【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

戦力の均衡

2011-12-13 18:46:28 | Weblog

 日本のプロ野球の戦力を均衡化させるためにドラフトがあったはずですが、それは「逆指名」とか「囲い込み」で機能不全に陥っていて、そのかわりに「有力選手のメジャーへの挑戦」が戦力の均衡化を推進しているようですね。日本のプロ野球のためにこれはいいんだか悪いんだか。

【ただいま読書中】『日露戦争諷刺画大全(上)』飯倉章 著、 芙蓉書房出版、2010年、2800円(税別)

 日露戦争当時、諷刺画という“ジャンル”が世界に登場していました。それは世論の反映であると同時に世論を作るものでもありました(もちろん駄作は無視されるもの、でしたが)。本書は、日露を除いた主に欧米圏での、日露戦争を扱った諷刺画を集めて、それを通して日露戦争を見つめよう、という変わった試みです。
 諷刺画で重要なのは“コンテクスト(時代背景)”です。したがって、100年前の諷刺画を鑑賞すると言うことは100年前の“時代”を読み解くことでもあります。さらにはその発表媒体がどのような“制限”の中にあったかも理解する必要があります。
 そもそも日露戦争とはどんな性格の戦争だったのでしょうか。様々な見方があります。「帝国主義戦争」「日本の祖国防衛戦争」「国民戦争(天皇制下での国民国家形成過程の国民戦争)」「絶対主義国家同士の戦争」「日本によるイギリスの代理戦争」……ちなみに最後のは最近の学界では人気がないそうです。そして、それぞれの見方による諷刺画が紹介されます。そうそう「第零次世界大戦」という見方もあるそうです(今年の6月に読んだ『日露戦争を演出した男 モリソン』で紹介された列強の動きは、たしかに世界大戦のリハーサルのようでしたっけ)。
 開戦前の外交交渉はぎくしゃくしたものでした。ロシアは日本から仕掛けることはないと読み、妥協はしますがゆっくりと小出しです。意志決定にも時間がかかるシステムでした。対して日本は、早期決着を求めていました。ところがお互いに相手の事情にはうとく、行き違いがあちらでもこちらでも。実はお互いの“着地点”(日本が朝鮮を支配、ロシアが満州を支配)を最初からきちんと示していたら、そこで妥協が成立していた(日露戦争が不必要だった)可能性もあるのだそうです。まあ、外交交渉で「正直」はあり得ないことではありますが。
 様々な見方から描かれた諷刺画が紹介されます。ロシアはおもに「クマ」ですが、日本は、小さな軍人・サムライ・芸者・ヤマアラシ……ふうむ、いろんなものに喩えられています。
 日本の奇襲攻撃は1904年2月8日、宣戦布告は2月10日でした。ロシアとフランスはその遅れを非難しますが、当時は外交関係途絶後は宣戦布告なしでの開戦が容認されていました(戦争開始に宣戦布告もしくは最後通牒が必要、とされたのは1907年第2回ハーグ平和会議の「開戦に関する条約」からです)。当時、日露以外の各国には二つの選択肢がありました。一つは戦争に参加する(交戦国になる)。もう一つは中立宣言をして中立国になる。ところが中立国には守るべき義務があって(交戦国に公平である義務、自国の国民がある程度の損害をこうむることを黙認する、など)、その義務をめぐっての“戦い”が世界で繰り広げられることになります。特に問題になるのは、清国の「中立」でした。「戦場」が中立なのです。
 イギリスの世論は親日(反露)、アメリカは親日寄り、フランスは親露、ドイツは二股でした。清国は中立でしたが親露でした。韓国も中立を唱えましたが高宗はロシア寄りでした(もっとも、日露とも韓国の中立宣言を無視しました)。そして、この高宗のロシア寄りの姿勢を口実に日露の外交関係途絶直後、日本軍は韓国の軍事占領を実行することになります。
 戦争が進むと、新聞の諷刺画には戦争拡大を懸念するものが増えます。それはもちろん読者の懸念でした。そのためか、英仏は協商を成立させます。それによって日露戦争の拡大には欧州では政治レベルでブレーキが掛けられますが、ドイツは孤立化し、それが第一次世界大戦の素地になります。
 諷刺画一枚で「歴史」のすべてがわかるわけはありません。しかし少なくとも「歴史の一部」(少なくとも、画家が何を考えていたか、何が読者に受けると思っていたか)はこちらにもわかります。それらをたくさん集めていくと、まるでモザイクのようにその「諷刺画」とは別の“全体像”がおぼろげな形ではありますが浮かび上がってくるのです。



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