小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

「たけし・アート」を視る=「心の目」 by ピアニスト辻井伸行

2011年08月04日 | 映画・テレビ批評
NHK BSプレミアムの再放送である。子供達が、未だ小さい頃、女房が、嫁入り道具で、持ってきたピアノを、子供の音感教育にと、わざと、左腕をつって、「今日は、お父さんは、左腕が、使えないから、右手一本で、演奏だ。」と言っては、十八番の「お馬の親子」や「ドレミッミ、ソラソッソ、ミレドレミ,,,,,」を弾いてきかせたものである。もっとも、今でも、左手は、むろんのこと、つったままであるが、、、、、。そのお陰であろうか、子供達は、ピアノが、両手で、上手に、弾けるようになった。絶対音感というものがあるらしい。聞いた音を、ピアノで、弾いて、表現出来るそうである。目で視てないのに、風景も、風すらも、音で、感じて、旋律にしてしまうらしい。らしいではなくて、実際、出来るのである。そうなのである。ご両親は、何事も、経験だと、スポーツも、旅行も、分け隔て無く、子供の時から、「体験」させたそうである。その決断も、教育方針も、素晴らしい。映画音楽も、創作したいという「夢」を、持っているそうである。情景が、音で、表現出来ると言うことか?人間は、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、)とりわけ、目から、ものの画像を確認し、耳から、聞こえてくるものを感じ取り、鼻で、臭いを嗅ぎ、更に、舌で味わい、皮膚で触れて、脳で認識し、言語を発する、或いは、手足の動作で、表現し、他社とのコミュニケーションに至るが、「心の目」を持ち合わせていないと物事が、どうも、見えてこないらしい。我々、現代の「開き盲達」は、いつも、他社とのコミュニケーションに悩み、自己表現が稚拙になり、想像力が、欠落してしまいがちであるが、音楽を通じて、「心の目」の存在を実感するのは、決して、難しいことでは、なさそうである。そうなると、音楽も、絵画も、文学も、俳句も、舞踊も、日常会話ですらも、「心の目」をもって、しっかりと、味合わねばならない。どうしたら、そういう目を、持てるのであろうか?どうしたら、そういう目を育てられるのであろうか?「ショパンの風の家」というメロディーは、どう聞けばよいのであろうか? You Tube : http://www.youtube.com/watch?v=PnUKpvTYg5U


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。