小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

渡辺京二 「逝きし世の面影」を再読する

2012年02月08日 | 書評・絵本
「明治は遠くなりにけり」という言葉があったが、今や、昭和までもが、既に、同じ範疇で、語られようとしている。況んや、江戸時代や、幕末の時代、明治という時代をやであろうか?著者にとって、「重要なのは、在りし日のこの文明が、人間の生存をできうる限り気持ちの良いモノにしようとする合意とそれに基づく工夫によって成り立っていたという事実である。」と、近代文明、或いは、西洋文明という怪物に、翻弄された幕末から、明治初頭に掛けての「日本人の矜恃」を、外国人という視点から、客観的に、一つの文明・文化・生活様式を、数々の異邦人による滞在記や見聞録の翻訳書を通じて、近代知識人論ともとれるような展開を、「ある文明の幻影、「陽気な人々」、「簡素とゆたかさ」、「親和と礼節」、「雑多と充溢」、「労働と身体」、「自由と身分」、「裸体と性」、「女の位相」、「子供の楽園」、「風景とコスモス」、「生類とコスモス」、「信仰と祭」、「心の垣根」、という各省毎の短い簡潔を得た題で、纏めている。「文明開化」と言う言葉や、「西洋化」、「近代化」という言葉は、当時の日本人、とりわけ、知識人にとっては、旧弊の文化の全否定を伴った痛みの上にしか、築けなかったモノなのであろうか?明治期のこれでもかという程、容赦のない、苛烈なまでの様々な制度改革は、やはり、「封建制度は、親の仇」くらい、心の奧底から、憎い程の全否定の対象以外のなにものでもなかったのか?異邦人の眼のみならずとも、当時の日本人の本当の気持ちを知りたくなる。城郭の打ち壊しにしても、今にして思えば、そんな貴重な文化遺産を、こともなげに、打ち壊したのも、単なる政治的な思惑以外に、どんな本音と背景があったのかと、、、、、。「滅び去った旧い日本文明の在りし日の姿を偲ぶには、皮肉にも、異邦人の証言に頼らなければならない」と、著者は言う。まるで、滅び去った古代文明の遺跡が、大英博物館やルーブル美術館に、保管されて、かろうじて、生き延びているのに似ている。そうしたレンズを通してしか、今や、失われてしまった逝きし世の面影は、観られなくなってしまった。「和魂洋才」とは、良く言ったモノであるが、その時代を結局生きてきた人々は、果たして、本当に、どのように、映っていたのであろうか、福澤諭吉にでも、この本の感想を聞いてみたいと思ったのは、私の戯言だろうか?強烈な表情というものが、日本人には、欠けていると言われているが、果たして、豊かな表情を獲得することが、逆に、当時は、幸せだったのか、異邦人の眼で撮られた今や貴重な写真やスケッチや挿絵を見ると、考えさせられる。福澤や明治期の知識人達が目指した、確固たる「個の自覚と独立」は、国家の独立や、国体の護持という前では、戦後民主主義の中でも、否、今日でも、変わらぬ課題であることは、どうやら間違いなさそうである。幕末から明治に掛けて生きた人々は、今ではほとんど失われてしまった美徳を如何に、自然に身につけていたかを、ありありと知ることが出来ると、日本人として、大きく胸を張りたいところであるが、果たして、そんな感傷だけで、良いのだろうか?大切な課題を、脇腹に、グッと、ドスを突きつけられた思いが、再読して、感じられてならない。失われた10年も、今の時代も、又、やがては、逝きし世の面影として、忘れ去れようとするのであろうか?その時は、誰の眼を通して、残してくれるのであろうか、それとも、「残すに値する何物か」が、まだ、残っているのであろうか?それとも、我々は、それを創り出す努力を怠っているのだろうか?