戸惑い八景

見たり聞いたりしたモノを独自に味つけしました。
飛騨の高山から発信しています。

沈黙からの・・・

2015年01月26日 | 想うこと

テロにはパロディーで、っていうのでしょうか。

よく分からないのですが。

イスラム国の日本人人質ビデオの映像を、コラージュした画像がネット上に溢れています。

多くが、萌え系の戦士が映されていますけれど、それを見ていると、自分の中にも両極端な思いが沸いてきます。

とうぜん、不謹慎な、という強い想いが沸きました。

人の命をもて遊んでいるようで嫌な気持ちになるのですが、見続けていると、これも一種の抗議なのかな、とも思えてきました。

コラージュしている人たちは、たぶん、若い世代だと思います。

平和な日本で、テロとは無縁に育ってきた世代、それは私も同じですが、だから描ける、ある意味、無責任な表現だとも考えられるのです。

と思う一方で、彼らの抱えているであろう、虚無的な、世界の終わりを内包しているような精神であるからこそ、できる行為だとも考えるのです。

そしてその行為には、彼らなりの闘いの精神があるのではないかと。

何も持っていない世代。

何も必要としていない世代。

当然武器なんかないわけですから、正面からは闘えません。

だけれど、心のどこかで、間違っていると、こんなことはいけないのだ、とテロ行為を批判しているのではなかろうかと。

それとも、ただおもしろがっているだけなのでしょうか・・・。

だけれど、流れてきます、頭の中にメロディーが流れてきています。

『ドラゴンナイト』、世界の終わり、の音楽です。

まるで、ディズニーランドのパレードのような音楽。

無線機で、遠くからしか聞こえない歌声。

全て無意味なんだから、争うことは止めようよ、と。

昨日、イングマール ベルイマンの『第七の封印』を観ました。

ベルイマン、30年前の映画青年には、必須の映画監督でした。

私も、映画館で、『沈黙』、『叫びとささやき』は観ました。

最近は、ビデオ屋で、デジタル処理された昔の名作映画が並ぶようになりました。

それで、第七の封印を借りてみたのですが、相変わらずの”神様の沈黙ぶり”には、嘆かわしいものがありました。

もっとも映画自体はそれほど暗いものではなく、旅役者の夫婦などを観ていますと、また最後のシーンなどでも、希望のようなものも感じられます。

神様の沈黙はいまや真理でありまして、世界がどれだけ悲惨な状況に向かおうと、手をさしのべてはもらえません。

しかし、視線の先が虚無であろうと、笑うし、唄うし、死ななかったら生きていこうと、するのですね。

 

 

 

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