戸惑い八景

見たり聞いたりしたモノを独自に味つけしました。
飛騨の高山から発信しています。

こうえん2

2009年03月22日 | 想うこと

ロビーに入りましたら、質問箱が置かれていました。

受付で頂いた、記念下敷き、アンケート類と一緒に、質問用紙がついていて、それには、江原さんに訊きたいことがあるなら書いて質問箱に入れてください、と記されていました。

用紙を入れた方の中から抽選で、第二部において、公開カウンセリングを行います、となっていたのです。

周りを見てみると、ロビーのあちらこちらで、多くの方が、一生懸命、質問用紙に何やら書き込んでいました。

確かに、江原さんに質問できるなら、こんな嬉しいことはありません。

私も妻も、ドキドキしながら質問用紙に向かったのですが、いざ書こうと思うと、何も思いつきません。

結局、名前を書いただけで、箱に入れることはしませんでした。

・・・さて、第二部が始まりました。

公開カウンセリングを行うに当たってなにやら注意事項を江原さん自らが語り、それが結構可笑しかったのですが、後、用紙の入った袋に、江原さんが手を突っ込み取り出しました。

順番にカウンセリングを行いましたが、全部で、四件、四名の方がカウンセリングを受けました。

・・・実は、それぞれの方の質問を詳細に記そうと思っていましたが、書いていて、あまりに深刻なため、果たしてブログに載せて良いものかどうか迷ってしまいました。

・・・そこで、江原さんが答えた部分で、普遍的かつブログで公開しても差し障りない部分に関して記そうと思います。

一つ。

身内に戦死者がいる方の質問を受けたとき、江原さんの語調はそれまでの穏やかさから、感情的とも言えるほどに激しくなりました。

まず、質問者にことわりを入れ、観客に語り始めました。

未だに成仏されていない戦死者の方は多い。ということです。

なぜかというと、こんな国になってもらうために死んだんじゃない。

という虚しい(?)思いを抱えている。

または、”家族”を守るのために死んだのに、いまのこの国の”家族”はなんだ、(ここでも家庭内不和の問題が出てきます)という強い憤り。

ある意味、自分たちの死は無駄死にだったのではないか、という思い。

ですから、現在の日本人は、戦死者の方にちゃんと謝罪しなければならない、と、仰いました。

そして、避けては通れない靖国の問題にも言及しました。

私は政治的な発言をするつもりは全くない、とことわり、政治家はちゃんと靖国で謝罪すべきだと。

なぜなら、戦死した方は、靖国で会おう、を合い言葉に死んでいったのだから。

戦犯が合祀されていることが問題なら、分祀すればいい、とも仰いました。

あくまでも、戦死者の御霊のために、です。

ただこういう発言をすると、冗談めかし、刺されるかも、とも仰いました。

この刺される、という話は、この後も何度も言われ、もちろん笑い話のようにですが、でもそれを聞いていて、ひょっとすると、脅迫めいたことを言われたりしたのではないか、と思われました。

確かに、講話のなかでも、罰が当たるとか祟るとかで悩んでおられる方に(あくまでも一般論で話し、その類のカウンセリングはありません)、そんなこと、ない! とはっきり否定するために、その筋の商売をされている方々から、非難されることが多いだろうな、というのは感じました。

何ぶん微妙な話なので、うまく書くことができないのですが、江原さんは、常にまっとうなことを述べられていました。

戦死者の話でも、言われてみると、そうだな、と思いました。

お参りすると言うことに関しても、場所やお墓が大事ではなく、本人がちゃんと気持ちを込める、というのが大切だ、ということでした。

まあ、当たり前のことです。

・・・つづく。

 

 


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