普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

昭和とは何だったのか(補足)

2008-05-06 11:41:38 | 国際社会

 昭和とは何だったのかと言う5月1日の私の小ブログにしては珍しく6人もの貴重なコメントを頂いた。
 その論旨の主なものは、
・何故日本が無謀な世界二次大戦に突入したのか。
・米国の占領政策の影響が如何に現在の日本と日本人に大きな影響を及ぼしているのか。
・所謂左派、右派の人達やマスコミの議論が日本人を思考停止状態にしているのではないか。

 などいずれも真摯な国のことを憂える立派なものばかりで、是非読んで頂きたい。

 当時の私は少年から青年になりかけのころで、日本の世の中の動きを完全に把握している訳ではなく、当時の歴史を研究した訳ではないので、上記のようなコメントに対して正確なお答えをする立場でもないし、僅か2,3千字で調べたことを書ける才能もない。
 それでもしご興味のある方は下記の Wikipediaの資料も覗いて頂きたいと思う。

満州国
関東軍
第二次世界大戦 
  いずれも当時の環境を朧げながら知っていた私から見ても、可なり正確な記述をされていると思う。
 その中でも開戦直前と言う重要な時期に、国際連盟で折衝にあたるなど、日本外交の大学一線で活躍した松岡洋右
さんの記述には一見と価値があると思う。

[当時の概況]
1912年 (大正 1年)中華民国発足
 中国は清朝の領土の継承を宣言するが、実態は各地域の軍閥による群雄割拠の状態であり、満州は馬賊出身の張作霖の軍閥の支配下であった。
1928年 (3年) :国民党による軍閥攻撃(北伐)、
1928年(3年):満州国建設を目指す関東軍は張作霖を暗殺
1931年(6年):柳条湖事件、満州事変
1932年(7年):国際連盟はリットン調査団を派遣
1932年(7年):満洲国建国、五・一五事件
1933年(8年):国際連盟の満州国反対の決議に反対して脱退
1936年(11年):二・二六事件、
1937年(12年):日中戦争開戦 、日独伊防共協定締結 
1938年(13年):国家総動員法制定
1939年 (14年) :米国は日米通商航海条約の廃棄を通告
1940年(15年):日独伊三国軍事同盟締結、大政翼賛会結成
1941年(16年):米国、英国、中国、オランダによるABCD包囲網。太平洋戦争開戦

[何故日本が無謀な世界二次大戦に突入したのか]
 この理由としてコメントされた方にお考えとして、この裏には世論の強い後押しがあったこと、日本の戦略で戦争に突入したというご意見を頂いた。

 私はその当時の状況を私なりに概略まとめて見たいと思う。
・中国では清国から中華民国への混乱期で満州は馬賊出身の張作霖の支配下になるまで政情が収まらなかった。
・だからこれまでは日本の利権を守るために派遣されていた関東軍は地域安定のためにそれなりの存在価値があった。 
壮士の活躍
・なお、歴史上でもWikipediaでも余り出ないが、日本がまだ元気な時代で、壮士と言われる人達が、日本に亡命していた孫文を匿うなど国内外で活躍していた。
その彼らにとっては満州は絶好の活躍の場だった。
関東軍の独断専行
・満州事変のころから関東軍独自の行動が目立ち、日本政府はそれに引きずられる形になった。
リットン調査団の報告
・後になって考えれば、リットン調査団の報告への日本の対応が重要な分岐点だった。
  何故なら、報告は満州に対する中華民国の主権を認める一方で、日本の満州における特殊権益を認め、満州に中国主権下の自治政府を建設させる妥協案を含む日中新協定の締結を勧告と言う必ずしも日本として妥協出来ない内容ではなかったからだ。
  然し日本は国際連盟脱退と言う行動にでて多くの国民はそれに喝采した。
  ここを耐えるか否かが日本の軍国主義国家として生き残るか、敗戦国として茨の道を歩くかだったが、そのどちらか良かったかの判断は今でも難しい所だ。
・ここまではどちらに進むにしても、今考えて見ても日本なりに合理的な正当な理由があったような気がする。

戦争の正当化
・日中戦争突入あたりから様子が変わって来る。
  そのの直接の理由は国民党政府からの満州国攻撃を護るためであったが、戦いの進行中にいつのまにか大東亜共栄圏構築
と言う看板に変わってしまった。
  これの評価はWikipedia によれば、
・大東亜共栄圏の目的は、アジアの植民地群を列強の支配から解放、独立させ、EUのような対等な国家連合を実現させることであった。
・一方で日本による植民地化、日本は侵略者と言う批判
・日本軍が宗主国勢力を排除したことが結果として独立に繋がったと、占領下で様々な施政の改善が行われたため旧宗主国に比すれば日本はよりましな事をした
などその功罪に関しては今なお議論が続いている。
と評価されている。
・いずれにしても当時の日本の攻撃の対象となった地域の宗主国に言わせれば、大東亜共栄圏など余計な話だった。
  なおこれはブッシュさんが当初の大量破壊兵器---と言ったのが、いつの間にか戦争の大義としてイラクの民主化と言い出したことに少し似ている。
・日中戦争の進展に伴いアジアに権益を持つ米国、英国、オランダなどから圧力が強まり、ABCD包囲網で日本がパッシングを受けていると考えるようになった。

・特に、包囲網のために米国から輸入していた、航空機用燃料やくず鉄など戦争に必要不可欠な物資が入らなくなった。
 アメリカの資源に頼って戦争を遂行していたため、その供給停止による経済的圧迫は地下資源に乏しい日本は苦境に陥った。

・そして日本はその当の米国に宣戦布告せねばならぬまで追い込まれてしまった。
  これでは日本はまるで蟻地獄に入った蟻だ。

[当時の世論]
  一連の経過で見るように、関東軍の暴発とそれに引きずられた政府、一連の事件の連続、それに対する欧米の日本に対する締めつけなどに対する被害者意識などから次第に国民に愛国心が強くなったこと。
 そしてこれを誘導するような政府の対応、マスコミの報道。
 遂には国家総動員法制定による決定的な言論統制。

 それでコメント頂いた当時の世論は自然誘発的ものと政府によって作られたもの二つから形成されたようだ。
 なお、これは事態の深刻さや事情は全く違うが、一党独裁下の中国の国民の聖火リレー妨害に対する被害者意識に駆られた異常な反発的な言動に似ているところがあると思う。
 但し日本ではあのようなデモや暴力的な行動はまったくなかった。

[米国の占領政策の影響]
 これに付いてはコメント頂いた方達のご意見と私の考えは大体似ているので記述は省略する。

[現在の日本での左派、右派の人達やマスコミの影響]
 私はコメント頂いた方の言われるように、今の人達の考え方に米国の占領政策に可なり影響されていること、何でも直ぐに左翼とか右翼、反日、媚○とレッテルを貼ってしまうのが、物事の本質を見誤ることが時にはあると思う。
 例えば私の良く例に挙げるNHKも良く反日のレッテルを貼られることがあるし、私も時には首を捻る報道も時にはあるが、非常に多くの有益な番組を流しているのも、認めてやるべきだと思う。
 そう言う私自身が、前記のブログで書いたように、NHKの番組で、最初はいやに昔の日本の攻撃するなと思って、スイッチを切ったが、同番組を最後まで見られた方から、昭和天皇の崩御に半旗を掲げた感激的なシーンを私が見過ごしていると叱られた。

 私の持論だが、物事の真実を知るためには、
・色眼鏡を外すこと
・物事を真っ直ぐに見ること
・そしてその
物事を横に立ったり、反対の立場からも考えて見る
必要だと思っている。

 外国に留学して日本がいかに良い所であるか判ったと言うコメントは正に真実を突いている。
 私たちが今の日本の政治情勢を一歩引いて見ると、コメントとは反対の例だが、今の世界的な資源枯渇や環境の悪化、日本での少子高齢化の進行に伴う影響の拡大と深刻化しているときに、今の与野党の権力争いが如何に馬鹿馬鹿しいか良く見えてくると思う。

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1 コメント

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何故戦争に突入したのか (rakitarou)
2008-05-06 20:41:26
無党派様、皆様貴重なご意見をありがとうございます。

確かに「世論」と称するものの果たす役割は非常に大きいと思います。世論を見方にした意見や政策は非常に通しやすい。一方で民衆というのは苦しい状態になければ、一般にその時に力強い「体制側」寄りの意見を持ちやすいことも確かであると思います。

アメリカ映画などを見て強く感ずるのは「政治が軍事に優先する」ことが徹底していることです。優秀な軍人でも暴走しそうな時は平気で首を切る。ヒトラーもスターリンも軍人のいいなりになどならなかった訳で、何も民主国家に限った事ではない「国家として当たり前」のあり方です。

私は明治の頃は日本でも政治が軍事に優先していたと思います。だから日清日露戦争も日本有利で終わらせることができた。世論としては日本の取り分が少ないの何のと当時の政治家に不満をぶつけた記録がありますが、軍人は粛々と政治に従っていた。この優秀な明治の日本軍人が、何故昭和になると政治に介入するくせに日本全体のことになると思考停止するようになっていったのか、このあたりが良く分らないのですね。

昭和の軍人というのは日本のトップがなった事は知っています。陸軍中野学校の記録などを読むと当時でさえ現在と変わらないような現状分析をしている人たちも多い。もしかするとトップクラスだったから、かえっていけなかったのかも知れません。またいろいろと教えて下さい。

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