普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

舛添さん叩きの報道について

2016-05-31 12:13:59 | 政策、社会情勢
 週刊文春の公用車を使っての別荘通いなどの報道に関連して舛添さん叩きの報道が盛んです。
 特にワイドショー的なテレビの報道番組。
 他社のスクープ報道をそのまま使い、売り物のキャスターの他はおそらくと低いギャラのコメンテイターで1時間から2時間近く使えるのですから。それだけでは拙いと?それに関連して自社で得た報道を付け加えているだけ。
その中である番組では舛添さんの語録を持ち出し、彼の言行不一致の今までの行動を批判していました。
「私の経験」
これに関連して勤務していたボランティア団体の何十周年記念行事のときで聞いたことを思い出しました。
 その行事に花を添える為、東京在住の某有名な評論家の招待に関して彼の秘書と思われる人からの団体の責任者への申し入れです。
 新幹線のグリーン車やホテルのスイートルームの指定、評論家の到着から帰京まで彼にアテンドする専任者を付けること。講演の前後のコーヒーの出しかたからその温度の指定まで。
 気の強い団体の責任者は電話の後「評論家は自分を何様だと思っているのか」とぼろくそ。
 私も他の担当と同様に彼の指示で、不慣れながらもプラカードを持って成田で外国人技術者を出迎え、福岡まではエコノミークラス、小倉までバス、ホテルも普通の部屋という指示通りの常識的な対応をしましたが、彼からこれと言った不満はありませんでした。
 詰まり某評論家の秘書のやり方が余りにも常識外だったこと。
 会議ではボランティア団体の関係者で評判の悪い評論家の話を聴く人は一人も居ませんでした。
 評論家が悪いのか、秘書が上司に良かれとしてその足を引っ張ったのか判りませんが、どの講演でもそのやり方を通したのでしょう、その後その評論家いつの間にか消えてしまいました。
「庶民派の実力者で知られていた舛添さん
 舛添さんが厚労省の大臣をしていたころ、読売新聞が厚労省分割について概略次のような社説を出していました。
 厚生労働省は大きすぎる。
 厚労省の大きさは予算規模からも明らかだ。政府の今年度当初予算では、一般歳出52兆円のうち厚労省予算が25兆円を占める。
 総務省や内閣府などの分割・再編もにらんでいるようだが、社会福祉行政の信頼回復を図るためにまず厚労省改革に絞って具体案を練るべきだろう。
 暮らしにかかわる施策の大半を受け持つ厚労省は、国民の関心が高い問題を数多く抱えている。インフルエンザ、雇用対策、年金記録問題、医療・介護の人材確保――。挙げればキリがないほどの難題を1人の厚労相で担当しているのが現状だ。
 これでは、重要問題のすべてを十分に検討し、迅速に判断するのは難しい。所管分野が広すぎて大臣の監督権が弱体化していたことが、社会保険庁などで数多くの不祥事を招いた一因でもあろう
。(以下省略)
 結果として時の首相の麻生さんは厚労省分割案は見送りにしましたが、当時の舛添さんは時の人でした。
  厚労省と言わず時の国の大きな問題を取り扱っている舛添さん。
  ゴミ出しに外に出た舛添さんを囲むマスコミの人々。
  庶民感覚に溢れた実力者の舛添さん。都民は皆そう思ったに違いありません。
  その後色々あって東京都知事に立候補した舛添さんを圧倒的な支持を得て当選。
舛添さんの今」
 私が見聞きした評論家のように常識外れの公用車での別荘通い、海外出張でのファーストクラスの飛行機、一流のホテルのスイートルームなどなどと世の批判に曝される舛添さん。
  その理由は下記のように彼が都役所でお山の大将になったこと。
・私がボランティア団体で経験したように都知事を持ち上げて実はその足を引っ張る人の出現、または本人が威張りたがる性格?
・10数万の部下の大部分は舛添さん個人でなく「都知事」の言うことを聞いているのに、自分の意の儘になると勘違い。
・筋金入り親方日の丸の官公労と違いおとなしい都の労組?
・都知事就任時の初心を忘れた彼 (最初に書いた都知事に成る前の発言となってあとの行動の言行不一致)
 待機児童ゼロの公約で都知事選に出たのに美術館視察に何度も訪れても保育園、幼稚園の視察は年に2度ポッキリの報道 
 舛添さんと同じ旧八幡市で生れ育った私は、彼が厚労省時代に彼に着いていた(面向きだけかも知らないが)庶民派の政治家の意識、古いけれど「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の気持ち、都知事就任時の初心を持ち続けていればこんなことにならなかったと思うですが。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。

政治・人気ブログランキング

川柳「遊ぶならと弟を背に括られる」貧乏の今昔

2016-05-31 11:57:52 | 川柳
 最近福岡県向けのNHKで二日に渡り貧困問題について放送がありました。
 なんと貧困率で福岡県は全国でワースト・ファイブに入っていること。
 その要因は昔炭坑で栄えた市がそれが無くなり、就職率が県全体として1以上になったのに、その市だけは1以下で就職出来ずに遊んでいる人が多いこと。
 その一例として子供一人を抱えた貧困に喘ぐシングル・マザーの例を挙げ、声のない「自己責任」の世間の批判を恐れて生活保護申請もできないでいること。
 そして関係者たちが如何に彼女の心をやわらげて申請をするよう努めているかと言う話でした。
「昔の貧乏な暮らし
 その話を聞いて私の家のことを思い出しました。
 前にも書きましたが何しろ職夫(職工と日雇い人夫の間)と言う試用の工員の父、子供が五人、文字通り貧乏人の子沢山の家庭でした。
 如何に貧乏だったかは学校での私達の弁当。ご飯の片隅に削り節に醤油をかけただけのおかず。それか味付け海苔だけに変わるだけ。
 大家さんの家を間借りした六畳の居間と4.5畳の茶の間、入り口兼炊事場の土間に親子7人の暮らし。
 一番大変だったのは母親。ガス・水道なし、煮炊きは七輪と竈。洗濯機、レンジ、冷蔵庫なし。朝から晩まで、炊事と洗濯と買い物。
母の通夜のときの句
「もう起きぬ母へ時計が5時のベル」
 姉などは二つ下の赤子の私を連れて小学校に行った由。それを受けいれてくれた学校。 今でも覚えていますが姉から少し大きくなった私を風呂にも連れて言って貰ったとき、私がめそめそ泣いていたのを知らない小母さんから「姉を困らせるな」と叱られたこと。
 私も少し大きくなって二つ下の末っ子を背におぶって遊んだものです。
「遊ぶならと弟を背に括られる」
 男の子四人は優しい家主のお蔭で広い庭で遊び放題、柿、いちじく、梅なども取り放題。小さい子の子守をしてくりた大家の小母さん。
 母も忙しい中そして苦しい家計の中で、正月や旧正月の餅搗き、五月の柏餅、七夕の笹飾り、海水浴、旧八幡市の起業祭の御馳走作り、大晦日の枕元には新しい下駄、稀には着物や制服など普通の家庭のように子供にしてくれました。
「新しき肌着と下駄を枕辺に迎えし正月貧しき時代の」(読売歌壇より)
 父も給料日は必ず駄菓子を買ってくれましたし、物好きな父で鉱石ラジオを作って皆に聞かせたり、会社から借りたテントで海岸でキャンプ、福間から「馬車鉄」で宮地嶽参りなど連れて行って呉れました。
 高等小学校を出た姉は見習い看護婦として、兄は工員として住み込みを始め、その給料の大部分を家の生活費として家に入れました。
 そのお蔭で少し楽になった家計から私は旧制の工業学校に進み、下級管理者を約束されている「職員」として大きな会社に採用されました。
 その私も就職後弟二人のため給料は全て家にいれ小遣い暮らしを始めました。その後大学進学のチャンスもあったのですが、後の二人のことを考えて勤めを続けることにしました。(後で考えると人を指揮しての仕事より裏方てきな仕事を好む私の性格からみて良い選択でした。)
 その二人も私と同じ旧制工業学校に進みました。父も本採用になり退職金で粗末ですが家も建てました。(最初から本採用の人は自宅のほかに借家まで建てるのが普通でした。)
「昔と今の貧乏な暮らし」
 今と昔とは情勢も人の考え方も違うので比較のしようがありませんが、唯一言えるのは
・テレビで取り上げた元炭坑の市でも、昔と変わらず女性の廻りの人もそれなりに心配や心配りもしている
・しかし私達と違って親は仕事と子供一人の世話で精一杯、将来も子供一人に頼りきりになるしかない
・テレビで心配しているのは当面の生活保護申請と言う一次逃れの対策だけ
・私の父は身分がやや不安定だが将来の正社員への道が開けている。女性には?そしてその子の進学などの将来は?
 やはり現状では色々問題があるにしろ、私が何時も言う非正規社員からやや身分が不安定かもしれないが「正規の試用従業員制度」への見直し、貧乏でも能力、意欲のある生徒・学生への教育制度の大幅な見直ししかないような気がします。 
 それと「貧乏人の子沢山有用論」(2007/5/3)でも書きましたが、我が子たちのためにも少子化対策のためにも、余裕のある人(出来れば余り余裕のない人)は出来るだけ多くの子供を持って貰いたいものです。 

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。

人気ブログランキング