むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

弱くていい

2014年01月14日 | 日記



京都、大原三千院のお地蔵様 

寒い日が続きますね。
今年も早、半月が過ぎました。 

年の初めは、映画「永遠の0」を観ておんおん涙し、数年ぶりに友人を訪ね、懐かしさと、子どもたちの大きくなりっぷり、やんちゃでやきもち焼きだったダックスフンドが穏やかに年月を重ねた姿に、また目頭が熱くなりました。

子育てに忙しい彼女は、時々「会えなくてさみしいね。」と、メールに書き添えます。
わたしは、飾らないことばに水の匂いをかいだようで、ほっとします。
さみしいね。と言いながら、元気に歩き続ける彼女が好きです。

いつも前向きでなくって、誰かにぼそっと弱音をはけるのは、健康的な気がします。
生きてると時々、生のさつまいもをかじるような思いをしますが、まぁなんとかくじけないで、希望を見つけて、えっちらおっちらやっています。


先日、東京の刑務所の、法務教官の方とお話する機会がありました。
入所者の方を対象に、日々、認知行動療法を主とする更生プログラムを行っていくうちに、当初は心理療法に消極的だったほとんどの人たちが、大きく変わって出ていかれると伺い、人間のやわらかさ、環境の与える影響の大きさを思いました。

「永遠の0」で戦時中、家族のために生きて帰ることを熱望していた主人公が、次々と仲間の死に直面するうち、特攻に志願するに至ったのも、抵抗しきれなかった環境の作用でしょう。

先の法務教官の同僚の男性は、年末の誕生日の前日に自ら生きるのを止めてしまったそうです。
残された遺族は、「なぜ?」を問い続けておられます。

答えも可能性も、沈黙の中です。

今年は、弱い自分をゆるして、弱音もきいてくれる親しいひとを大切に、足の裏を熱く感じて歩いていきたいと思います。

これからも、どうぞよろしくお願いします。



冬の午後、大原の里。


                           かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/



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