むすんで ひらいて

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残り香と夏みかん Ⅱ

2017年03月09日 | こころ

つづき 

 

ふいに、その人が「めがね。。」とつぶやいた。

別の方を見ていたわたしは、彼のめがねのことか、でもかけてないし。。と思いながら振り返ると、その人は夏みかんの枝の奥を見上げていた。

「そこにめがねはないだろう」と思った次の瞬間、ちょうど一年ほど前の父の声が蘇った。

「おれ、めがねどこやっちゃったんだろう。。」

行き着けの喫茶店を二軒回って聞いて来たけどないらしい。それはその半年くらい前、一緒にキクチメガネに行った時、父が若い頃から好きなダンヒルというブランドのめがねをすごく気に入って買い、しっくり馴染んだものだったから、二人でしばらくざんねんがった。だけどそれ以上思い当るところもなくて、新しいものをあつらえた。

 

イヤだった。それがそこにあるとしたら。とにかく悲しくなりそうで、その人の視線を追うのをためらった。

でも、それは葉っぱの向こう、高くて採りきれなかった夏みかんの手前で、枝の又にブラーンとぶら下がっていた。「お父さん!!」、やっぱり笑いが込み上げてきた。

もしわたしひとりだったら、それを取れたろうか。去年収穫が終わって、つぼみがつく前のこのくらいの時期に父が脚立の上で剪定してる時の記念作品みたいで。触れたら父の元気だったあの時の時間が動き出してしまいそうで。たぶん、呆然としてしまっただろう。

だから彼が取ってくれて、その瞬間を笑いながらすべり抜けられたことに、とても感謝している。

「お父さん、こんなとこにあったよ!」

と、すごく言いたい。 きっとびっくりして、生粋の名古屋弁で「おれのめがねだがねー」なんて喜んで、一緒に笑い合うだろう。だけど、今度は探してたお父さんの方がいないんだね。。

わたしの目には、ほこりを被ったレンズの向こうにそれがよく似合った父の、はにかんだ笑顔がまざまざと浮かんできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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