比企の丘

彩の国・・・比企の丘・・・鳩山の村びと
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信濃路・・・北信濃の須坂市・・・臥龍公園でお花見

2018-05-27 | 信濃の国は

信州上田の・・・六文銭の写真帳

4月11日、北信濃m千曲川の河東・・・須坂市の臥龍公園のお花見です。
国道18号線を上田方面から北に・・・千曲市屋代から国道403号線(谷街道)へ。
須坂市街地に入り百々川の畔から・・・臥龍公園に。

百々川(どどかわ)・・・ドウドウと音を立てて流れる様を擬音化した名前でしょうか。
護岸して短い間隔で砂防堤を数十堤築いています。上流は菅平高原の四阿山、根子岳のカルデラから流れ出す米子川

桜咲く臥龍公園、龍ヶ池です・・・池の周りにソメイヨシノ150本、公園全体で桜が500本。。
1931年開園。「日本さくら名所100選」、「日本の名松100選」、「長野の自然100選」に選定されています。

園内にある「池乃清泉亭」・・・名物は黒いおでんオダンゴ

花筏の写真を撮る・・・カメラマン。

花筏・・・
※撮影日は4月14日。
須坂・・・米子川、灰野川が合流して百々川、その川が作り上げた扇状地、その扇頭部に古くから発展した。古代の古墳、中世の古城が見られ、江戸時代は須坂藩の館町、菜種油を主とする生産地、商業の町、栄、谷街道、大笹街道の分岐点として栄え、明治、大正、昭和の時代のは糸都して栄えた。
※臥龍伝説・・・むかしむかし長者の娘に惚れた若者が、長者にその恋を阻まれ龍となって暴れまわり、娘が悲しんだため、その身を臥したという。


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五月の庭・・・チドリソウが咲いてます

2018-05-27 | 趣味の園芸

チドリソウの花が咲いてます・・・こぼれ種からの発芽です。


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信濃路・・・上田市生田の・・・信州国際音楽村・・・ロケットの糸川博士の終焉の家

2018-05-26 | 信濃の国は

信州上田の・・・六文銭の写真帳

4月9日、諏訪湖畔の花見の帰りに上田市生田の信州国際音楽村あたりの花見をしました。

信州・・・上田市生田茂沢・・・標高650m、千曲川の流れる大屋あたりから比高200m。
桜咲く丘は信州国際音楽村・・・

信州国際音楽村を見下ろす丘の上に・・・
日本の宇宙開発・ロケット開発の父糸川英夫博士が晩年を過ごした丸子町生田(現上田市)の住居跡。
糸川博士は新潟県上越地方の古民家を移築、1995年から1999年まで過ごし丸子町の病院で永眠しました。
信州国際音楽村の設計に深く関わり、その縁でここを終焉の地にしたのでしょうか。
航空工学の学者の顏の他にバレエ、チェロ、ヴァイオリンをよくし、1996年信州国際音楽村「海の費記念コンサート」を企画して自らも出演しています。

玄関前のエントランスにペンシルロケットのモニュメントが。
2013年、住居跡を開放して見学できるようにしています。カフェ「じねんや」の看板がペンシルロケットの脇に立っています。

信州国際音楽村・・・桜咲く風景、水仙の花も・・・遠くに見える町並みは、東御市本海野から田中・・・浅間山の裾野。
※撮影日は4月9日。
糸川英夫(1912~1999年)・・・日本の航空工学のパイオニア、中島飛行機で一式戦闘機ハヤブサなどを設計、東大教授。ペンシルロケット、ベビーロケット、カッパロケット、ミューロケットなどに関わった。2003年打ち上げの小惑星25143に「イトカワ」の名がつけられた。
信州国際音楽村の過去ブログ→クリック


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五月の猫びたい園芸・・・ズッキーニの花が咲いてます

2018-05-26 | 趣味の園芸

GW夏野菜の植え付け・・・ズッキーニの苗を植えました・・・花が咲いてます。

まだ小さいのですが結実してます。


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五月の庭・・・ビオラが咲いてます

2018-05-25 | 趣味の園芸

ビオラが咲いてます・・・こぼれ種からの発芽です。


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信濃路・・・桜咲く・・・日本の三大湖城・・・諏訪の浮城・・・高島城

2018-05-25 | 信濃の国は

信州上田の・・・六文銭の写真帳

4月9日、諏訪湖畔の花見にやってきました。信濃国諏訪高島藩の高島城です。
現在見られる諏訪高島城は諏訪高島藩初代藩主日根野高吉が1592年築城、そのご日根野氏は転封になり古代以来の諏訪大社大祝職の名門であった諏訪氏が浮沈を重ねながら再興し諏訪高島藩の藩主として故地に復帰、明治の廃藩まで続く。
明治の廃藩で廃城、取り壊され、本丸のみが高島公園に、二之丸、三之丸は住宅地に。
日本100名城」「日本の三大湖城」。

諏訪高島城・・・1970年、冠木門、三層三階の天主閣(擬城)、塀、角櫓が復元。
築城当時は西に諏訪湖、東、北、南の三方を湿地に囲まれ、水面に浮かぶように見え諏訪の浮城と呼ばれました。干拓により濠の外側は城下町に。

本丸の表門・・・冠木門・・・冠木門とは左右に柱を立て一本の貫を通した簡単な門ですが、屋根つきの楼門(高麗門)です。
最初に作られた冠木門の名前がそのまま名称だけ残り冠木門と呼ばれるようになったようです。1970年復元。橋の名前も冠木橋。

高島公園・・・明治の廃藩置県、1875年廃城のあと1876年本丸は高島公園に。心形池のある日本庭園。桜の名所。

高島城天守・・・1970年復元(擬城)、杮葺(こけらぶき)の屋根は銅版葺に。
瓦葺ではなくなぜ杮葺であったか諸説あるが不明。3階は展望台、2階は高島城歴史資料館、1階は企画展示コーナー、ギャラリー。

本丸内の御川渡御門跡、諏訪湖への出入り口。門外に船着き場があった?
現在の門は三之丸裏御門の遺構、1988年所有者から寄贈をうけて移築。
※撮影日は4月9日。


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夏なのに・・・なぜか・・・白いクリスマスローズが・・・・咲いてます。

2018-05-24 | 趣味の園芸

夏なのに・・・なぜか・・・クリスマスローズが咲いてます。


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信濃路・・・諏訪湖畔・・・世界のシルクエンペラーが90年前に作り上げた温泉保養施設「片倉館」

2018-05-24 | 信濃の国は

信州上田の・・・六文銭の写真帳

4月9日、諏訪湖畔の花見にやってきました。

明治・大正・昭和の時代、日本の生糸産業のトップランナーとして走り続けた・・・「片倉」・・・
その片倉が創業50須周年記念事業として1928年建設した「片倉館」です。

片倉館は社員(工女とその家族)への福利厚生、地域に人たちの健康福祉のために作られた温泉施設です。
正面に尖塔、煙突、急傾斜の屋根、中世のヨーロッパ風の建築の浴場、左に大広間、会議場を設けた会館・・・国の有形重要文化財。

大浴場の受付、右の彫像は片倉を不動のものにした二代目片倉兼太郎(佐一)、片倉館の生みの親。




※撮影日は4月9日。
片倉工業・・・1873年諏訪郡川岸村(現岡谷市)で製糸業開始。1895年片倉組に。1920年片倉製糸紡績株式会社に。1843年片倉工業に改称。1994年熊谷工場の操業休止で製糸業に終止符をうったが、いまも片倉は輝いている。昭和初期、あの戦争前まで世界の製糸界に君臨した岡谷製糸業10数社、多角経営に変換した片倉工業以外はいまは名も知らない。
片倉一族・・・諏訪湖から流れ出した天竜川の畔の豪農(自作農)。庭の一隅に作った10釜の製糸工場から始めた。法被に股引、ねじり鉢巻、工女より早く起きて働いていたという。
「女工哀史」というものがたり・・・諏訪の人たちは女工に不利になるようなことをしては「損だ」という認識をしていたという。その「損」を計算できなかった経営者は消えていった。

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信濃路・・・桜咲く4月・・・諏訪湖畔・・・不思議な自然・・・間欠泉を見る

2018-05-23 | 信濃の国は

信州上田の・・・六文銭の写真帳

4月9日、諏訪湖畔の花見にやってきました。まずは諏訪湖畔の間欠泉です。
時間が来ると噴出する不思議な温泉・・・アメリカのイエローストーン公園が有名、アイスランド、ニュージーランド、タイなどで見られる。
地震大国・温泉大国の日本では10ヶ所で見られるそうです。
諏訪湖畔の間欠泉は1983年噴出、当初は50mの高さに噴出、日本一だったそうですが現在は15mほど、ポンプによる加圧だそうです。

諏訪湖岸通り・・・諏訪湖間欠泉センターから・・・桜並木・・・切妻屋根は北澤美術館

噴出時間は・・・諏訪湖間欠泉センター公式サイトを→クリック





足湯・・・
※撮影日は4月9日。
北澤美術館・・・株式会社キッツの創業者(旧北澤バルブ、旧東洋バルブ)の創業者北澤利男のコレクション、エミール・ガレ、東山魁夷、杉山寧、小倉遊亀などで有名。北澤バルブは1915年製糸工場で使われるバルブ製造販売業を上諏訪で創業。分社、総合を経て現在に。戦時中は軍需工場に、砲丸の信管を製造。バルブ・システム機器等の流体制御機器の製造メーカー。
※諏訪地方は美術館、博物館の宝庫です・・・近くにサンリツ服部美術館、諏訪市立美術館(片倉財閥より寄贈された歴史的建造物、国の有形文化財)、原田泰治美術館、放浪美術館(山下清)などなど・・・蓼科高原にあったマリー・サンローランは残念にも閉館、東京のホテル・ニューオオータニに移設・・・
参考諏訪湖周辺の美術館、博物館リンク集→クリック

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イチゴの季節・・・イチゴジャムを作る

2018-05-22 | 美味しいブログ

埼玉県比企の里から近い吉見・・・関東では有数のイチゴ産地です。春3月から5月までイチゴの出荷の最盛期ですが、あいかわらずイチゴは高価ですね。
イチゴ食べたいなあと思っても、ご無沙汰しています。2014年2月、大雪によるイチゴビニールハウスの損壊から高値が続いています。

八百屋さんで4ケース500円のイチゴが売っていたので買ってきました。小粒で貧弱で食欲をそそられるイチゴではありません。ジャムにしました。

1.2㎏くらい、ヘタを取って佐藤30%、レンジで20分。

3瓶・・・単価1瓶170円くらいか・・・まあ、ヨシとしよう


※テレビ番組で見た・・・北信濃の野沢温泉の土産物屋で欧米系の外国人がジャムを爆害していた・・・日本のジャムは外国人(特にジャムの本場北欧、ロシアの人)に評判がイイのだそうだ。理由・・・日本人はむかしは果物を越冬食品として長期保存する習慣が無く、果物は生食が好きなので、日本のジャムはプリザーブ系(半つぶし)が多く、糖分が少ないのだそうだ。冷蔵庫の普及が糖分少な目、火入れ時間少なめになっているかも。

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信濃路・・・軽井沢に落葉松700万本を植えた・・・雨宮敬次郎の遺構・・・市村記念館

2018-05-21 | 信濃の国は

信州上田の・・・六文銭の写真帳

3月30日ふたたびの早春の信濃路の佐久・・・御代田・・・追分・・・大日向・・・と浅間の顏を見ながら・・・国道18号線を仮宿を過ぎたあたりから旧道18号線へ、中軽井沢駅前を過ぎて湯川橋を渡り旧軽井沢方面へ。途中、軽井沢中学校前交叉点、山側に市村記念館、雨宮御殿、雨宮御殿新座敷、軽井沢歴史民族資料館などのある離山公園です

旧雨宮御殿の武家門(医薬門)・・・18号線旧道沿いに。

離山公園・・・軽井沢町長倉離山、旧雨宮敬次郎邸屋敷地と標高1256mの円錐台形状の離山火山を含む公園。

市村記念館(軽井沢歴史民俗資料館別室)・・・旧近衛文麿別邸・・・市村今朝蔵邸、軽井沢町所有に。

旧雨宮敬次郎邸新座敷・・・明治末期に建築された御殿。
※撮影日は3月30日。

軽井沢といえば・・・落葉松・・・その唐松を明治時代に700万本・・・植えまくった・・・大経済人雨宮敬次郎・・・ご存じでしょうか?

雨宮敬次郎(1846~1911年)・・・明治時代の実業家、投機家、甲斐国山梨郡牛奥村(現甲州市)に生まれる。甲州行商人で財をなし横浜に移り生糸、蚕種、洋銀の相場で発展、アメリカに学び製粉業(現日本製粉)、1883年軽井沢で農牧業の開拓を試みるが地勢の関係で失敗、林業を計画し落葉松700万本を植える。南原、芦ヶ沢、向原を中心に開拓した土地1100㌶、現在地名として雨宮新田、雨宮橋が残っている。甲武鉄道(現JR中央線)、江の島電鉄、電力事業、水道管事業など、手がけた事業は大きい。結果的かもしれないが軽井沢に植えたカラマツは観光軽井沢のシンボルになった。
近衛文麿(1891~1945年)‥・昭和の政治家、総理大臣を3回務める。古代からつづく皇室藤原五摂家30代当主、公爵家。
市村今朝蔵(1898~1950年)・・・長倉村の出身、雨宮敬次郎の妻の甥。政治学者、日本女子大学、早稲田大学の教授。敬次郎の死後、軽井沢の開発を受け継いだ。雨宮邸は遺族より1999年軽井沢町に寄贈。

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五月の猫ビタイ園芸・・・ネギ・・・植え直しました

2018-05-21 | 趣味の園芸

GW以来続いている夏野菜の準備・・・ネギの植え直し、新苗の植え付けです。

縄文葱・・・埼玉県さんの青葱です。昨年からのものがネギ坊主を出しました。植え直してしばらく休養です。

九条葱・・・京都の地場野菜ですが今は菜苗を売ってます。3年目です。ネギ坊主の出たところは固いのですが、ほかは食べられます。

九条葱の新苗を買ってきました。少し経てば食べられます。

全部青葱です。根もとの上で切ればまた伸びてくるので何回でも使えます。白葱はあまり使わないので八百屋さんで買います。


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初夏の庭・・・梅の実、アンズの実が・・・大きくなりました

2018-05-20 | 趣味の園芸

豊後梅の実が大きくなりました・・・昨年は6月2日収穫。楽しみです。

あんずの実も大きくなっています。アンズジャムが楽しみです。


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TBSテレビ「プレバト」から・・・「原爆忌・・・」・・・の俳句にトリ肌がたった

2018-05-19 | 語り継ぐ責任・・・ひろしま・ナガサキ
2018年5月17日PM7:00~8:00、TBSテレビ バラエティー番組「プレバト」・・・を見ていました。
北山宏光さんの詠んだ句です。季語は「原爆忌」だそうです。

原爆忌 アイツと 青く 飛んだ日々    北山宏光

 

アイツ・・・友だち、幼馴染み、戦友・・・ 青く・・・ 空の青、海の青、原爆の落された日の碧空・・・ 飛んだ日々・・・友だちとの思いで、特攻隊の出撃・・・
読む人それぞれの思ひでストーリーはひろがる・・・

夏井いつき先生絶賛、戦争を知らない世代の人がこんな句を詠んだ・・・
戦争のことを知らなくても・・・原爆の落された日には・・・
戦争のこと原爆のことに思いを巡らせてほしい、そして次世代に語り継いでほしいと。

北山宏光・・・1985年神奈川県生まれ。ジャニーズ事務所所属、歌手、俳優、タレント、7人組アイドルグループの「Kis-My-Ft2」のメンバー。
夏井いつき・・・1957年愛媛県内海村生まれ。愛媛県中学教諭を経て俳人に、松山市在住。帝塚山学院大学客員教授。NHK「俳句」選者。
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信濃路・・・早春・・・浅間山・・・65年前の1953年この大自然を守った200万の長野県民

2018-05-18 | 信濃の国は

信州上田の・・・六文銭の写真帳

3月30日ふたたびの早春の信濃路の佐久・・・御代田・・・追分・・・大日向・・・と浅間の顏を見ながら・・・

御代田町塩野あたりから・・・雪融けの浅間山。

国道18線追分あたりから。


国道18号線追分交差点、仮宿交叉点あたりから山側に上っていくと軽井沢町長倉大日向・・・
浅間山の南麓・・・火山灰地の不毛の原野を切り開いて作った高原野菜の栽培地が拡がります。早春・・・農作業のはじまりです。

1953年・・・ここに見える浅間山・・・麓から頂上まで米軍演習場になる計画が持ち上がった。

1953年4月2日、日米合同委員会は裏妙義の八風山下の安中市松井田西野牧恩賀(上信越高速道碓氷・軽井沢ICのあたり)から浅間山東南麓を米軍演習場に使用したいと伝えてきました。1950年にはじまった朝鮮戦争真っ只中のこと。山岳地帯の実戦訓練用です。5月1日メーデーにおいて長野県労働組合評議会、長野県教祖、長野県青年団が反対表明、5月3日軽井沢町町民大会で反対決議。3月町長他数名が招致陳情したことが明らかになり町長の辞職に。5月14日、県評、日農、農民連盟、共産、左派社会党、青年団、婦人団体、大日向開拓組合などが反対表明。5月27日県の72団体で反対期成同盟、6月1日反対期成同盟代表80名が衆議院議長に陳情。6月7日軽井沢中学校で5000人の反対集会・・・大会の終りに県歌「信濃の国」が大合唱されたそうです。7月16日地震観測上の障害にになると「演習基地設定中止」が決定。2ヶ月半の決着です。全国でも珍しい基地化阻止の歴史・・・長野県民「200万人の勝利」といわれています・・・1950年からはじまった朝鮮戦争は7月で休戦します。

大日向・・・軽井沢町長倉大日向・・・あの戦争の前の1937年長野県南佐久郡大日向村(現佐久穂町)の村民2133人のうち664人が満蒙開拓団として渡満、入植して大日向分村を作ったが、1945年敗戦により解村、新京収容所で酷寒と飢えのため300人余が亡くなり帰国した人327人、1947年ここ長倉の不毛の原野に開拓団として入植した人165人。軽井沢町大日向は南佐久郡大日向村の人たちの第三のふるさとです。
※撮影日は3月30日。
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