比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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郡上八幡①・・・私の城下町を俯瞰する

2010-10-26 | 道をゆく 東海・中日本
10月7日、越前永平寺から勝山、大野の街を抜け、九頭竜川沿いに美濃街道を美濃白鳥に、岐阜県に入ると道は越前街道と呼び名を変えます。古来、道は目的地を呼称するようです。長良川沿いに下っていくと郡上八幡の町(現郡上市)に(長良川を上流に向うと白川街道)。

郡上八幡(ぐじょうはちまん)・・・静かな街です。ウダツ(卯建)の上がった家があります。人力車がありました。

郡上八幡の街をフラフラと歩いて、さてヒルは何を食べようかと・・・
向こうからプロレスラーが作務衣を着たような大男が「ウチのお蕎麦いかがですか」と声をかけてきたので、ついていってしまった。
「野菜天麩羅」とお蕎麦1枚、「おろし蕎麦」1枚。
ここの亭主と話をしていて、なんとヒキノ村びとのすぐそばの大×文〇大学のラクビー部(学部?)出身とわかる。ポジションは体格からしてロックだったと思われる。

      「蕎麦正ま〇い」の奥の部屋から見た郡上八幡城。そうだ城に行こう!

郡上八幡城は残念ながら擬城です。豊臣の時代の1559年築城され明治の廃藩置県で廃城、石垣のみに。1933年大垣城を参考に擬城としては珍しい木造で造られた。
擬城ですの登城せずに石垣の上から街を俯瞰しました。
中央を吉田川が流れ、先の長良川に合流します。すぐ下の橋は飛び込みで有名な新橋、その下流の橋は宮ヶ瀬橋。

典型的な山城です。吉田川と小駄良木川に三方を囲まれ、後ろだけが急峻な山の尾根、標高差100m弱ですが急傾斜、重い鎧を着て刀を持って這い上がる、それだけでもヘトヘトになりチャンバラどころではありません。難攻不落です。平和な時代、ここは展望台にはなりますが藩庁として行政事務はできなかったでしょうね。登城するだけでヘトヘト、お勤めどころではありません。

今日は越前勝山の擬城、大野市の擬城、そしてここ八幡城と擬城を眺めました。「私の城下町」「ああ青春の城下町」とか日本人は城が好きですね。江戸の千代田城は1657年明暦の大火で消失、無用の長物といったかどうかは知らないが、再建しませんでした。飛騨高山は天領になって維持費が勿体無いとかいったかどうかはわかりませんが高山城を廃城にしています。

山を降りて街を散策します。


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