比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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秋の信濃路・・・信濃追分・・・街道の分岐点「分去れ」のスポットで

2017-12-13 | 道祖神・石仏・石神
11月29日、久しぶりの信濃路・・・
ノンビリとむかしの北国街道らしき街並みを東に・・・上田市大屋で明治のおもかげの「大屋駅」東御市元海野で「海野宿」そして「小諸」。
小諸でお蕎麦したあと・・・国道18号線を東に。

軽井沢町追分・・・むかしの中山道追分宿の外れ、国道18号線と県道80号線(通称浅間サンライン)が合流するあたり。
むかしの中山道北国街道との分岐点・・・「分去れ」・・・道しるべ、石仏、歌碑が。

国道18号線東側から、一番前に道祖神?、道しるべ、森羅亭万象の歌碑、常夜燈、石地蔵座像・・・分去れの道標説明板
右は旧北国街道、国道18号線に沿った旧中山道は「小田井宿」方面に。

道標・・・左の写真・・・従是北国街道・・・右の写真・・・従是中仙道・・・
風食していますが読めます。延宝7年(1679年)建立。中山道が整備されたの1674年ですから5年あと。

森羅亭万象の歌碑・・・風食していて読めません・・・世の中はありのままにぞ霰ふる かしましとだに心とめねば・・だそうです。寛政元年(1789年)建立。常夜燈も同年建立。
森羅亭万象は江戸時代の科学者、蘭学者、医者、事業家、文人、画家の平賀源内の門人。

石地蔵座像・・・建立年不明。

一番奥に・・・馬頭観音・・・安永6年(1777年)建立。
※撮影日11月29日 Panasonic LUMIX DMC-TZ85。
※石に刻まれた文字は風食が激しく読めません。歌碑の文、建立年はWEBで参照、確認しました。
森羅亭万象の歌碑に右横に台座だけ残された石碑があり台座の正面に「さらしな(更級)は右 みよしの(御吉野)は左 月と花とを追分の宿」という歌が刻まれ、右、左、後の面のそれぞれの里程が刻まれているそうですが見つけられませんでした。
追分・・・元々は牛馬を追い分ける場所が地名に、各地にあるようです。ここでは中山道と北国街道の分岐点といわれていますが中仙道整備前からいわれていて古代東山道がここで関東と東北方面に分かれたことから・・・だそうです。
分去れ・・・追分と同じ意味で、長野、群馬、山梨あたりの方言・・・らしい?


秋の信濃路、国道から碓氷、軽井沢ICで高速道に入り帰路に。

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