比企の丘

彩の国・・・比企の丘・・・鳩山の村びと
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秋の信濃路・・・明治・大正・昭和のおもかげを偲ばせる・・・しなの鉄道「大屋駅」

2017-12-08 | 鉄道・駅の風景

11月29日、久しぶりの信州上田へ日帰り・・・
11月下旬は信州リンゴ、秋野菜の収穫期。
葱、白菜などいただき、知り合いの果樹園で規格外の林檎をタップリ仕入れて帰路に。

上田市大屋・・・しなの鉄道大屋駅」・・・明治・大正・昭和の香り偲ばせる駅舎。
1896年官設鐵道信越線「大屋駅」開業 2007年経済産業省の近代化産業遺産に認定。

官設鐵道信越本線は1885年高崎~横川間、1886年直江津~関山間開通からはじまり、1888年直江津~軽井沢間、1893年横川~軽井沢開通で全通。当時の小県郡地区の駅は1888年開通したとき「田中駅」のみ。急成長していた諏訪地方の製糸業者の製品流通ルートは中央東線開通前であり和田峠を越えて田中駅に製品を搬送していて、最短地区の「大屋」に駅開設を請願、これが認められて1896年「大屋駅」開設。日本最初の請願駅。駅前向かって右の石碑はそのときの請願文。
明治時代の日本の輸出産業の花形の製糸業に関わる歴史の1ページを飾る出来事。上田市の信州大学繊維学部講堂などと合わせて近代化産業遺産群に。
中央東線が新宿~塩尻間が開通し篠ノ井線と合わせて1906年長野県は東京と鉄道網が整備された。それまで1896年からは中信、南信地方の人々は峠を越えて「大屋駅」で東京に向かった。

かつては依田窪の谷の中心・蚕都丸子町(現上田市)に至る上田丸子電鉄の併設駅もあり、国鉄、JRの中堅駅。
駅舎は明治時代のままを改修を重ねたものか、改築したものか・・・詳細はワカリマセン。標高482m、1日の乗客数1132人。
※撮影日11月29日 Panasonic LUMIX DMC-TZ85。


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9 コメント

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長野、製糸業で…碓氷峠のアブト式も、この辺からの宝物・・とか? (縄文人)
2017-12-08 19:57:33


信州と言えば、リンゴ、
日帰りによきものをお土産に、そして大量の野菜。
↓の記事で今年は、不作とか、台風・長雨で。

何時も、素晴らしい画像を拝見させてもらい有難うございます。
確か、ヒキノさんの画像が素晴らしく、
専門の写真家が、≪熊谷駅をお借り出来ませんか≫!?という記事にお目に掛かったような気が致します。
それだけに、ヒキノさんの画像は見る人に印象をより一層与えるのでしょう。

大屋駅に見入り、秩父鉄道の各駅を見ているような気に駆られました。田舎駅…。
長野(上田高等蚕糸)&埼玉・秩父は貧乏百姓(農民一揆)は養蚕で栄えた山村地帯でした。

碓氷峠を見学に行った時に
説明員が、長野と横浜をもっと速く・大量の生糸を輸送しなくてはということから、
碓氷峠がイギリス人の手によって大きく飛躍したということを聴かされました。

大屋駅の佇まいを見て、
製糸業の大きな一翼を担ってきたのかと、思う時にきっと養蚕地帯が山裾広く奥地に広がっていたことでしょう(推察)。

いつも見ている、ヒキノさんのブログです。
奥行があり、すごく深味に感心いたします。
有難うございます。

大屋駅 (池 千之助)
2017-12-08 20:25:48
ヒキノさん、こんばんは!

大屋駅……、こちら信州・長野に居ても、
滅多に見れませんので、なぜか懐かしいと云う感じがしています。

昔は、軽井沢方面に行くのに、国道18号線しかなく、
確か、国道の1本下の大屋駅前の道路を通って、
行ったものでした。

今は、上信越道や浅間サンラインなど、
高速道やバイパスなどがあり、とても便利な道路状況だと思います。

この大屋駅も途中寄ったりしたものでした。

以前の面影を遺しているようで、
まさかこんな形で見ることが出来るとは、
思いもよりませんでした。

ヒキノさんはあちらこちらと活動範囲がとても広く、
ご自身にしてみれば、いつもながらの画像を載せていらっしゃると思いますが、
こちらかは時々ハッと思うのが楽しみで、
立ち寄らせていただいております。

有難うございます。

その2を追伸 (縄文人)
2017-12-08 20:46:21

養蚕業は、横浜の港を輸出港に
長野の上田、埼玉、群馬を中心として花形として農村地帯に根を下ろしました。
しかし、養蚕農村地帯は米穀の出来ない傾斜地の畑作地帯。
そこに桑を植えて、桑の葉を摘み、蚕を飼育して繭を生産した。

比企野さんも、秩父農民一揆をくまなく歩かれたようですが、いったん落ち目になると
このような一揆が勃発したのでしょう。

「耕して天に至る」すべてが傾斜の畑でした。

きっと、大屋駅前向かって右の石碑は、養蚕に纏わる一文も、刻まれた請願文であったことでしょう。
一気に、他愛無いことを綴りましたことお許しください。
そんな貧農の家に生まれた、次男坊です。

今年も・・・・・ (こきおばさん)
2017-12-09 06:45:12
↓大銀杏の黄金色に染まった美しさを拝見できて、うれしく思います。

この1年も比企野様からはいろんなことを教えて頂きました。有難うございました。
これからも毎日楽しみに訪問させていただきます。

またいつコメント欄が開かれるかわかりませんので、少し早いと思いますが、どうかよいお年をお迎えください。
大きな石碑 (縄文人さんへ・・・))
2017-12-09 10:08:33
はじめは何の石碑かわかりませんでした。
製糸業者の血の滲むような駅舎開業への請願文。碓氷峠の鐵道建設も輸出生糸のためです。
大屋駅開業から9年後の1905年中央東線は岡谷まで開通しました。昭和恐慌までシルクは日本の経済を支えたのです。
養蚕王国信州はそのご桑畑を林檎、高原野菜などに転作したりしていきました。

養蚕農家の思いが込められた駅です。

雰囲気が懐かしいですね。秩父鉄道の駅でこんな雰囲気は波久礼駅、三峰口駅くらいしかなくなりました。
アーカイブ・・・こんな風景を写真に残しておきたい。 (池 千之助さんへ・・・)
2017-12-09 10:23:14
私の子どものころ、こんな雰囲気の駅舎は普通でした。私の生れた村の駅は無人駅で駅標だけのプラットホームでしたが。

川東線の駅舎で残っているところはあるでしょうか。

信州では急ぎのとき以外は旧道を走ります。バイパスから旧道に入ったり。
懐かしい風景が広がります。

信州在住のかたにしかできないアーカイブを写真に収めてください。

コメントありがとうございました。
コメントありがとうございます。 (こきおばさんへ・・・)
2017-12-09 10:33:14
段々行動範囲が狭くなりました。
それでも季節季節でできるだけ訪れたいところを訪れています。

ブログも重いテーマは資料集めがしんどくなり時どきしかできません。
白旗の少女、怒る富士、神通川公害、安中公害、満州義勇軍、秩父事件・・・読んでもらおうと懸命に書いたブログが毎日、閲覧されていること、やってよかったと思っています。

寒くなります。元気でやっていきます。
大屋駅 (ヒトリシズカ)
2017-12-09 16:22:15
比企の村人さん(ヒキノさん)

この大屋駅には、たぶん30年ぐらい前に、上田市を通る国道18号から丸子方面に行く際に、この駅に立ち寄り、地図情報を教えていただいた記憶があります。

その後は、どんどん道がよくなり、自動車にはナビが搭載されるようになり、大家駅に立ち寄ることが無くなりました。

上田市の各所もずいぶん変わりましたね。観光地も増えました。

なお、、川島町に飛来しているコハクチョウは近々、確認に行ってみたいと考えています。
大屋駅 (ヒトリシズカさんへ・・・)
2017-12-09 18:37:45
大きな石碑を見て、近代化産業遺産であることを知りました。歴史的な駅です。
昭和の佇まいの雰囲気が好きです。
この駅のそばの千曲川と依田川の合流点にコハクチョウが来ます。
少し東に北国街道に唯一残る海野宿があります。
佐久に来た折りは寄ってみてください。
川島町の白鳥、朝の飛び立ち、夕方の着水がイイです。
鳩山の石坂の森にミヤマホオジロが来ています。
コメントありがとうございました。

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