My treasure is jin-musk-ten and Knit!!

ムスク&テン姫と手編みの日記

ギョーザ7段活用のススメ☆おうち餃子がいちばんっ♪

2012-05-01 | 食材・おうちごはん

バリっ!モチっ!具汁じゅわぁ~~~がたまらない羽根つきギョーザっ♪ =1段活用
を筆頭に、だ~~い好物のギョーザ特集がやっとできる~!(笑

ええと、ギョーザって、たまにムショ~に食べたくなるんですよねぇ。でも、チルドや惣菜やラーメン屋のおつまみ的なギョーザじゃわたしダメなんです。ギョーザと言えば、やっぱりどーしたって母さんの作ってくれた昭和風手作り餃子がサイコウ!おうちのギョーザがいっちばんウマいよね~!!!って。。。

もぉかれこれ3年以上前かな??友達たち数人とデ~ト中にそんなギョーザ話になったんです。で、その話の流れで、たえちゃんがですね、「わたしギョーザは皮から作るよ~うちの母さんがそうしてたから」的な発言をしてくれまして・・・ 
「え”---!?皮ってふつう買うよね?作らないよね!?」ってビックリしちゃって悔しくって!?(笑)そうそう、たしかその場にいたがみちゃんにも「作らないよね??」「う、うん」って確認したくらい衝撃的だったわけなんです。

そんな経緯で、友達ができる・やれてることは、わたしにもできるっ!ちくしょー!がモット~なんで(←ウザっ笑)去年から、ギョーザの皮も手作りでやってます☆最初はかってが解らず必要以上にちらかしちゃったけど、慣れればほんと簡単だし小スペースでもできるし、なによりモッチもっちで旨いっ^^ なので、悔しがらせてくれたたえちゃんにスペシャルThanks!!!


皮はココレシピの配分がお気に入りです。(わたしは一つまみの塩も投入)未経験のどなたかぜひぜひっ!市販の皮とちがって、ふちに水をつけなくても包めるあの感触は感動モノです☆

ちなみに、わたしのギョーザのタネ・レシピは、挽肉いっぱい+ニラいっぱい+キャベツor白菜(旬のほう)+ネギいっぱい+ニンニクしょうがの擦りおろし+ゴマ油+しょうゆ+酒+塩コショー+たまに鶏ガラの素です。=あくまで母さんの具のコピーマンですが(笑)



揚げ揚げギョーザ♪ =2段活用

2日目の晩はたいてい揚げですねぇ~揚げのイイところはね、冷めてもさらに旨さが倍増するところっ!ギョーザの中で1.2位を争うくらい好きです!!


水ギョーザ♪ =3段活用

実はつい2週間前もギョーザWeekだったんで、ついでに水餃子に初挑戦。つけダレはポン酢+ラー油+善光寺の七味入りゴマで。
あっさりとバクバクいただけて、白米にも合うしサイっコウ~~だった^^
で、手作り皮って、じつは水餃子がいっちばんその良さがでるかも~!!!と実感。あらたな発見でした。

そして水ギョーザと言えば、もっとタネが美味しそ~~でマネしたくなっちゃうような「皮から手作り・水餃子!」を、がみちゃんが近々アップしてくれるハズなので乞うご期待!!!(よろしくー!笑)


ギョーザのたねを使ったチャーハン。  =4段活用
  〃    鶏ダシの中華スープ。   =5段活用

もぉ4日目とかになっちゃうとね。。さすがに連日のギョーザにも飽き飽きのやっつけ仕事です(笑)スープは美味しかったけど、チャーハンはもろにギョーザ丸出しテイストになってしまいショックだったぁ・・・チャーハンにはもぉ入れまい!と学習した一品。


で、クドいのは承知で、さらに続きますよ?・・・(笑)


ギョーザと言えばもう一つ。以前からずーっと興味津々だった手羽餃子に今年やっと初挑戦!
ムスクもまだいた時で、仕込んでいる間中ず~っと横でクンクンしながら付き合ってくれてたんだ♪

そして初めての手羽の骨の抜き方はコチラを参考にしました。いや~この時もまた3日分をこしらえたので、たぶん合計で30本くらいは骨抜きしたと思うんですが、、さすがに手首が熱もっちゃってキツかったなぁ~(笑)
さらに、皮が手羽なので、ギョーザのタネはややシッカリめの味付けがウマウマです☆


焼き手羽ギョーザ♪ =6段活用

グリルで焼くことで手羽の油が落ちちゃうので(もったいない!><;)けっこうアッサリなテイストでした。脂ずきなうち的には、揚げの方が好みです。


揚げ手羽ギョーザ♪ =7段活用

肉汁のジュ~シ~さが、かんっぺきに守られ包まれている揚げ手羽ギョーザ、最強に美味しかった~♪♪これ、オススメです^^


とゆーことで、クドっ!長っ!いい加減もたれるっ?なギョーザ7段活用の特集ができて大満足っ!!!(笑笑)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


昨晩、ものすごく久しぶりにムスクが夢で会いにきてくれました^^いっぱい触らせてくれて、いっぱいキスしてくれて、お互いにいっぱい大好きだよ!ってまた確認し合えました。毛の感触も体の温かさも、わたしが知っているままだった。しかも、ピョンピョン跳ねてすっごい元気で嬉しかった。。なので今日はますます元気で幸せな気分♪ 相棒を失ったテンの心身的体調も、順調に回復しています

次はあらたに加わった趣味を、クドくない風合いでアップしまーす(笑)では~GW楽しむぞーー!!

ムスク、ありがとう。ありがとう。ありがとう。

2012-03-22 | ムスク&テン

ねぇムスク、パパとママね、やっぱりどんなに想いかえしてみても「愛してるよ。ありがとう。」しか出てこないや、、、
ムスクとおんなじ気持ちだったんだね^^
ねぇムスク、わたし達ほんとうに幸せだったよね。。でもね、これからもね、いつだって一緒なんだよ。パパとママね、いつだってムスクを想っているし、いつだって近くに感じているんだよ。また絶対に会えるからね。その時まで、パパとママとテンの想いはずっと、ずっと今までとおんなじなんだよ。だから安心してね☆

先に、ステキなところへ行っちゃった。。ムスクが、3月10日・土曜日の夕方、天国に旅立ちました。13歳と8ヵ月でした。



あの、先にお礼を言わせてください。。ムスクと私たちの日々に慈悲の気を贈ってくれた友人たち、ムスクのために祈ってくれた素敵な方たちへ、ものすごいパワーをありがとう。心からありがとうございました。
ムスクの目が見えなくなってから~慢性腎不全と闘ってきた、この約2年間強。。もうダメだ・・・となすすべもない分岐点となる要所要所で、ムスクの力や病院の先生や私たちの力だけじゃ説明がつかない、なにかキセキのような、目に見えないけど、なにかものすごい大きな力で何度も助けられました。
安曇野のおばあちゃんやおびんずるさん、たっくさんの神様たちにも、ほんとうにありがとう☆わたしの願いどおり、わたしの中でムスクを看取れました。

そして、わたし達家族4人は、これ以上はない!!!ってくらいやりきりました。なので今、わたし達に後悔や辛さや悲しみはこれっぽちも微塵もありません。なんでなんだろう??変だよね。
不思議なんだけれど、ムスクがいた全ての日々をJと共に想い返しては話して笑って。。そしてたくさんの思い出のムスクが可愛すぎて・・その可愛さに心は微笑んでいるんだけど、涙と鼻水だけが勝手に水のように流れてきて、あれ?悲しくないのになんで涙がでるんだろう?って、そんなとても穏やかな気持ちで過ごしています。


振り返ってみると、その2日間はすごく神秘的で、正直なところ、どっちがムスクの命日だと思う?ってJと迷ったくらいの最期でした。
1回目は3月9日の夕方・会社の就業中にわたしの腕の中でとつぜん息をひきとり、命日の2回目は、前日の9日とほぼ同時刻の病院・酸素室の中でした。



まず、ムスクが「なにクソー!」って闘ってきた慢性腎不全とは、腎臓の3/4以上の機能がすでに蝕まれた病態で、この時点にならないと病状が表にでてこず本人も飼い主も気づきません。なぜなら、腎臓とという臓器はそれほど強いから。そして、腎臓の3/4以上の機能が低下した時点で、それが分かった時点で、すでに手遅れな酷な病気です。その蝕みは、早かれ遅かれ徐々に進行していきます。
腎臓は唯一「再生」しない臓器なので、破壊されてしまった部分は治ることはありません。。そして病状がさらに進むにつれ、下痢や嘔吐や食欲不振、体重の減少、貧血などの症状が目立ってきます。最終的には、体内の老廃物や毒素を尿で排泄できず尿毒症におちいり、痙攣や昏睡などの神経症状が目立つようになります。
そしてムスクの腎臓は、もともと2つある人間や他のワン・ネコちゃんと違って、「もともと1つ」でした。獣医師さんとわたし達がこの10か月間必死になってやってきたことは、この大事な一つしかない腎臓の腎機能低下をなるべく、なるべく遅らせること。そのさまざまな症状の悪化を先回りして防ぐこと、でした。

ちっちゃなムスクは、この慢性腎不全末期の闘いに最後のさいごまで耐え、ソレ自体に勝ちました。そりゃあ進行はしていたけれど、数値もムスク自体も安定していたの。それから、ムスクが生まれた時から背負っている、動脈管開存症(PDA)という心奇形にも勝ちました。心臓はさいごまで強かった!
最期の原因は肺炎でした。そう、人間の老人がよくなる、喉の筋肉やその老化による誤飲の肺炎(本来ならば飲食が消化器を通って胃に入るべきなのに、体がまちがって肺に入れてしまい肺が炎症して呼吸ができなくなった)でした。

でもね、そのさいごを可哀想なんて思わないでほしいの。だって、
健常であるポメラニアンの寿命は、一般的に12歳~16歳と言われていて、そんなこと今まで調べようとも知ろうともしなかったけど、そっか、、、
こんなにいっぱい病気したのに、ムスクはちゃんと老体としての完全なる寿命をまっとうできたんだね^^って、なにか、誇らしくも想ったさいごだったから。


<さいごの2日間の話> 長いです。

話はもどって3月9日。Jとわたしは前日からムスクの呼吸が少し速くなっているのに気付いていた。その腹式呼吸の速度が、朝会社に着いてから更に速度をましていた。
それに加え、「グジュっブジュっ」という濡れたような音色の苦しそうな咳をしだす。持病とまではいかないけれど、ムスクは体が小さいせいでの気管虚脱=もともと気管軟骨がつぶれているから、幼少時からしょっちゅうブゲっブゲっと咳するんだけど、その乾いた音のブゲっとはまったく違う咳でイヤな予感がした。
朝、ごはんは食べたしお水も3本だけ飲んでくれた。お昼にはちゃんと自分で立ってオシッコもできた。わたしが午前中銀行の用事から帰った際も、いつもどおりわたしのデスク前で「ママどこ行ったの?」とキョロキョロと甘えん坊の表情で立って出迎えてくれていた。キスもいっぱいしてくれた。でも、いつもと何かが違った。お気に入りのフアフアベッドで寝ようとしないし、まっすぐの伏せのような形で寝ている姿に、「明らかにおかしい。会社帰りに病院に寄ってくるね」とJにメールをする。そのたった3時間半後だった。


ちょうど取締役とお互いのデスク上で、顔は見えず声だけでの打ち合わせをしていたその時だった。半身を起こしたムスクがまた「グジュっグジュっ」と咳をしだした。なにか喉につまったモノを出したいかのようにとても苦しそうにしてるのを見ていられなくなり、ムスクを胸に抱っこして、ムスクどうしたの?だいじょうぶ??と話しかけたほんの数秒後だった。一生懸命呼吸をしようと咳をだしている最中、とつぜんムスクの意識と呼吸が止まった。
その息が止まる瞬間、ムスクはゆっくりと優しい目で、でもハッキリとわたしの目を見て伝えてきた。それはなにか言葉のような、でも言葉じゃないんだけど、「ママ大好きなの、ありがとう」そういう内容の振動だった。
すごく短いけど、今でもその言葉の熱風と温度も覚えてるくらい暖っかいムスクの気持ちが、わたしの胸の中にバンっと、ほんとうにバンっと強く響いてきた。

J以外に信じてもらえなくてもいい。ムスクがわたしの中へダイレクトに「強い短い言葉」を伝えてきたのは、これが2回目だった。
1回目は、転院を決断するキッカケとなった、まだ前病院で治療をしている最中のこと。 

そのほんとうに一瞬のできごとに、わたしは動けなくなった。
きっと何分ものあいだ、急な現実を受け入れられなくてムスクを抱きながら震えていたと思う。やっと揺さぶったりしながらムスクの顔を覗き込んだとき、目をむいたとても苦しそうな表情に「違う!」と思った。違う、ムスクこんなとこで死んじゃダメだ!こんなとこじゃパパが悲しむ。テンだって。違う。

なにか取締役の声が聞こえたけど、夢中でムスクを抱っこしながらエレベーターで建物の外に走って出た。雨が降っていた外気にあたれば、ムスクが息をしだすと思った。
でも、どんなに叫んでも声をかけても揺さぶってもそのままだった。もお5分以上は経っていたと思う、ムスクの口を大きくあけて自分の息を思いっきり吹き込んだ。「ゲっ」っていう音がしたような気がした。でもムスクは動かない。
何度も何度もムスクの口に息を吹き込んだ。鼻の横が一瞬ピクピクしたけれど、死後痙攣だと思った。その後やっぱりムスクは死んだままだった。
それからまた何分か雨にあたって、、、これが現実なんだ、と解ったら、誰もいないところで思いっきり叫びたくなった。ムスクを抱っこしたまま会社のエレベーターに乗り、行き先階を押さずに箱の中でしゃがみこんで、ありったけの気持ちを叫んだ。ムスクありがとう。一緒にいてくれて幸せだった。でも寂しいよ。ママを一人にしないで。叫び終わったと同時に箱の中の電気がボンっと消えて、まっ暗闇の無音になった。
急にとてつもなく怖くなって行き先ボタンをバンバン叩き、電気がパっと点いたとき、ムスクがわたしの腕の中で目をキョロキョロさせてた。息も、浅くだけど一生懸命呼吸している!?!?

急いで会社に戻り、ムスクをベッドにうつぶせに乗せた。意識はハッキリしている。でも舌はぜんぶビローンと出ていて、そこから透明の唾液が水道の蛇口のようにあふれ出てくる。
その経緯を震えながら主治医に電話で伝え、「今、わたしは何ができるか?」の指示を仰いだ。先生は、すぐに病院に連れてこれる?ということと、連れてくる間中、頭が下になるように運びつつ、流れつづける唾液をふき取りながら、唾液をぜったいに飲ませないこと。飲み込んだらすぐにまた死んでしまう。と。
早退をもらってすぐに会社をでる。今の病院がムスクにとって、我が家にとってパーフェクトなのは先生ご夫婦が心あるその専門医のプロだけじゃない。会社から病院が近いこと。これも今までムスクが生き延びてこれた理由の一つだった。



駅までの途中、Jに電話をいれる。いつもはケータイを携帯しない男Jが、しかも忙しい時間帯にすぐに電話にでた。いつでも電話にでれるように待っていたらしい。びっくりした。
会社を出てから30分で病院に着く。そのあいだ、山手線の中で、タクシーの中でムスクは「ママ、電車?」「あ、お外だね?^^」とかいつもどおりの、可愛いまんまるのお目めでわたしに確認したりしてきた。

病院に着くと、先生たちが今のムスクにできる全てを用意して待っていてくれた。酸素マスク。。体温、心音、レントゲン、点滴、PDAによる心雑音に変わりはないことから、心臓を信じて強心剤の投与。しかし一度呼吸が止まった体のショックで、血が全身をまわっておらず血液検査のための血が抜けない。。先生が、カラの注射器を刺しながら「こいっ、ガンバレ、きてくれ」と念じながらやってくれていたけど、血は一滴も吸い上がらなかった。
レントゲンには、肺にモクモクと霧がかかっていて、肺炎の峠なのは一目瞭然だった。
ただ、ムスクはこの検査中ずっと、自らの力で立っていたし酸素マスクをあててもらって呼吸がラクなのか、にっこりさえしていた。



酸素室に入るムスクは、とても落ち着いていた。すぐに先生から病態の深刻なお話があり、わたしはその場で究極の二択からどちらかを選ばなきゃいけなくなった。今の病院に転院した初日に、先生たちに了解してもらい取り決めたことがある。わたしが、必ず看取りたいという願いと、夜はぜったいにお家に連れて帰る。ということ。これをベースに、今までどんなに危ない日も先生たちとやってきた。
でもこの日は、酸素室から出したら数時間後にまた逝ってしまう現実と、このまま酸素室で入院しても、今日明日、生きれる可能性がとても低い現実。
わたしはどうしたって選べなかった。どうしよう?ムスク・・「ムスクなんですけど、ムスクは?」知ってる声がした。
Jが病室に入ってきた。来れるはずがないのになんで!?またまたビックリした。ムスクとわたしが病院に着いた30分後には、Jもそこに到着していた。

一通りの説明と現状を受けて、Jがムスクを見ながら「もちろん入院させよう。少しでも生きれる可能性があるなら、それがあたりまえ。」ときっぱり決断してくれた。わたしはすごくホっとした。
酸素室は音が届くつくりになっている。Jが、「ムスクーパパ帰ったよ。ただいま^^」と声をかけると、お座りすような姿勢に体をおこして、「パパーー♪」って、いつものまんまるのお目めでニコニコしだした。その後、安心したのかすぐにウトウトしだして寝てしまった。
その姿を見届け、先生も安心したようだった。

そう、ムスクって子は、この前日までずーーっと、Jがどんなに残業でおそい日が続いても、かならずパパの帰りを玄関に出迎える子だった。もちろんテンも同様だけど、パパが帰宅するまで、本気寝をしない子だった。
この晩、先生たちは2時間ごとの交代でムスクを看病してくれることになり、わたし達はテンが待っている家に帰った。



一晩中、病院からの電話はなく夜が明けた。ムスクがガンバって生きてる♪♪
面会をしに、Jとわたしとテンは朝一番で病院に着く。向かっている車中で、「安定していますよ^^ごはんも食べるかも?」との嬉しい電話をいただく。
ムスクは、わたし達が入院室に入る前からキョロキョロと首を振ってわたし達を探していた。「ムスクーおはよう。よくガンバったね。だいじょうぶだよ。みんないるからね。」と声をかけると、まんまるお目めでじっと私たちの方を見ていた。そしてまた、安心したかのように瞼をゆっくりとじながらウトウトと眠りだした。私たちが、生きているムスクを見たのはそれが、この写真のムスクがさいごだった。

わたしとJは2人でおんなじ事を感じていた。ムスクは、昨日よりも弱っている。。。なにがって明確にはわからないけれど、そう感じた。
それでも、夕方の面会までに「もしもの退院」を期待して、ムスクを万全に迎えるために酸素缶の調達に走った。
それから一度家に寄って、わたしの手からでしかぜったいに食べない飲まないであろう、ムスクの2日分の療食弁当を作った。そのご午後の面会へ出発、、、お弁当を作っている時から、病院へ向かう車中のあいだ中ずっと、わたしは気分が悪くて吐き気がしていた。Jにもそれを訴えていたほど。

ちょうど病院の脇の駐車場に車を停車した時だった。わたしの携帯が鳴る、病院からだった。「たった今、ムスクちゃんが息をひきとりました」
その言葉に、わたしの全部が停止した。
ついさっきまで安定して呼吸していたのに、またとつぜんだったらしい。そしてまた、その「時」は昨日の会社での時刻とほぼ同時刻だった。

駐車場から病院の入口までたった10秒。たった10秒の距離での知らせだった。病院まで2人で走る。Jがまっ先にムスクを抱きしめて「まだあったかいよ」ほんとうに温かかった。そして、ムスクの顔は、まるで温泉に入って美味しいゴハンたくさん食べたあとのように、『テヘっ』って、笑いながら寝てしまったかのような可愛いお顔だった。わたしが、心からホッとできるさいごの表情だった。

「ムスク、えらかったね。よくがんばったね!おつかれさま。」涙でぐじゅぐじゅだったけど、抱きしめながらそうムスクに伝えた。その言葉以外は出てこなかった。

この10ヵ月間、一緒に戦ってくれたわたしよりも2歳も若い先生ご夫妻にも、泣きながらになっちゃったけど、どんなに支えてもらったのか、どんなに感謝してるのか、そのお陰で、日々どんなにムスクとわたし達が幸せで楽しかったのか、、、をちゃんと自分の言葉で伝えられた。ほんとうに言えてよかった☆

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
わたしは、わたし達2人は、この先生たちにゼロから鍛えてもらいました。

忘れもしない、家での毎日のチックン(皮下輸液)の針を刺す行為が始まったばかりの1ヵ月間、その難しさに、その怖さに、自分の指はカタカタ震えるし心臓はバクバクいうし、胃が破裂しそうで、あまりの動揺で、針先を付け替える際に何度も何度も、バカみたいに自分の指先をまちがって刺してしまい、その流血事件にはJを呆然とさせる時もあった。Jはと言えば、一度だけ思い切って挑戦したけれど、恐怖のあまり、刺した針が引いた手にくっついて抜けてしまい、それ以降はそれがトラウマで完璧な押さえ役に徹していた。
そしてその都度のチックンの痛さに、ムスクは部屋を逃げ回り、なだめるパパに「イヤだ、イヤなのー」ってしがみつくほど怖がっていた日々もあった・・・

わたしは自慢じゃないけれど、常日頃から本気で自分の手先の器用さと、その手先までの感覚に自信を持っている。粘る気持ちもしかり。
でも、それらが全て打ち砕かれるくらい、その毎日の刺すという繊細な行為は、今まで体験したことのない恐怖感だった。
中にはちっとも平気な人もいるだろうけれど、もし、可能ならば、読んでくれているみなさんに想像してみてほしいの、、愛する3kgほどの赤子に、泣き叫ぶ我が子の柔らかい、かわいい体に、毎日毎日、針を刺す行為を。。そしてその動物用の羽針の太さは、たとえば人間用の、糖尿病患者さん用の極小インスリン用注射針の、その針の5倍も6倍もブっ太いのです。


「せんせい、やっぱり羽針は難しいしとても怖いんです。。ムスク痛がるし・・」と何度か先生たちに弱音を吐いたときもあった。
でも、先生たちは、何度でも皮膚の三角のつまみ方や、刺す場所、針を刺す角度、その刺すスピードをわたしの手をつかんで教えこんでくれた。
一度も、「そうですよね~怖いし難しいですよね~じゃあ、、」なんて、同調しようとはしなかった。いつでも「大丈夫だから。ぜったいに出来るから^^」と、まるで暗黙に、「あなたがしないで、だれが毎日ムスクちゃにそれができる?だれが助けれる?」という想いが伝わってくるくらい、優しいんだけど、静かに、厳しく鍛えてもらった。

そのお陰で、安定して毎日刺せるようになり、ムスクも痛がらず静かに打たせてくれるようになった。思いっきり打っているのに、気づかずウットリ寝ることに夢中なときも多々あった。
2ヵ月ほど前に発症していたムスクの首の神経痛を抑えるための、ユルい効きめの注射でさえ(←内臓に負担をかけるステロイドではない)「痛がってどうしようもない時に、ご自宅で打ってあげてください」と何本も託され、それをわたし達も「よっしゃ、任せてください^^」と平然と言えるほどになっていた。
実際は、ムスクが自力でその痛みを逃がしたため、ソレを打つ機会はなかったけどね。。そしてトラウマを抱えたJも、ホルモン注射を境に、最終的には注射がうまくなっていた。

そうそう、親だからこそ、飼い主だからこそできる事を気付かせてくれて鍛えられ、教えてもらったのは医療行為だけじゃない。死が待っている病気と戦う強さや子の気力を信じる気持ち、まず病気をよく知ることと、それを全部受け止める気持ち。それでもさいごまで諦めない精神。それらたくさんを教わったのでした。
この病院は、日々たくさんの腎不全と闘う子と、その親御さんでいっぱいです。みんな、真剣な者たちの集まる大切な場所。

わたし達にとっても、これからも守りたい、ずっと大切にしたい場所。だから、今後も病院名や先生名を表記することはありません☆

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<一昨年から~去年のお台場での想い出>


ムスクとテンが1歳未満の頃から、ノーリード散歩を求める場所として激しく通ってきたお台場。
10数年前は、建物といえばまだ船型のデックスしかなくってね。。。それがなんとも心地よくって。今はイロイロと建っちゃったけど、ココは、4人が今までもこれからもリラックスできる想いでがい~~っぱいの大切な場所☆









~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
火葬までの3日間、Jもお休みをもらい、わたし達は体だけになったムスクと向き合って、いっぱいいっぱい泣きました。いっぱい抱きしめました。いっぱいキスしました。

そして、ついたった1週間前に元気なムスクとロングお散歩にいったお台場に、さいごのお散歩にでかけました。
その1週間前の幸せなお散歩のとき、Jとわたしが2人でつまんでいたマックのポテトを異様に欲しがっていたムスク。。
ポテトを持って逃げるJを、まるで見えてるかのように真っすぐ早足で後を追っていたムスク。。。
ポテトのニオイがついたJの指を、幸せそうにカプカプあま噛みしていたムスク。。

もちろんそんなモノは食べちゃダメなので(テンもね)、「ダメなの。いつかいっぱい食べさせてあげるからね」って約束したから。。☆





14日の気持ちよく晴れた春日和、先生たちが古くから信頼している、という深大寺で「いってらっしゃい^^」の火葬をしてきました。ばむちゃんと同じく、わたし達もそれぞれに想いを綴ったムスクへの手紙と、いっぱいのcuteなお花を、さいごのムスクに添えました。

一貫した個別の立会火葬を希望し、さいごのお骨上げまで丁重にやっていただきました。お骨は、2人で時間をかけて「可愛いカワイイ♪」言いながら、楽しく丁寧に上げました。お骨ね、かわいかったぁ。妙な風に聞こえるかもしれないけれど、だってそのお骨の一つ一つまで、なんにも変らない可愛いムスクだったから。

また不思議なんだけど、火葬中、ムスクが楽になってたのしそうにルンルンしてるのがJとわたしに同時にダイレクトに伝わってきて、わたし達まで楽しくなってくるほどでした。ほんとうに、なーーんにも悲しみは感じなかったの☆
もちろん遺骨はお家へ持ち帰りました。そして、深大寺でお互いに大中小サイズ(小はテンの)で購入した、お骨入れお守りネックレスを毎日身につけています。それもあるのかな?わたしとJが気持ちが楽でさみしく感じないのは。。きっと、ぜんぶムスクのお陰なんだよね^^



お散歩が、走ることが何より喜びだったムスク。旅行が大大大~~好きだったムスク。潮風が大好きだったムスク。川岸が大好きだったムスク。湯沢が大好きだったムスク。
茹でたササミと納豆と白米が大好きだったムスク。若くてかっこよくて優しい男の人を見つけてはアピールするのが大好きだったムスク。(笑)
お子ちゃまの時から、なぜか一眼レフをさげた人たちに唐突に写真を撮られまくっていた美しいムスク。お台場のアニメ系コスプレの人たちに、神扱いされるほど可愛がられて、めちゃくちゃ嬉しそうにポージングまで決めていたお調子者のムスク。
マジで走ったら、ゴールデンレトリバーも追いつけないくらい速かったムスク。目が見えなくなるまでは、自分の子供のようにテンをお世話していた、ものすごい母性本能のムスク。
どこに行っても「かわいい、かわいい」の絶賛をあび続けていたムスク。さいごまで、食べることと、自分で立ってオシッコをすることにこだわっていた、真にプライドの高いかっこいいムスク。さいごのさいごまで、わたしを信じてくれて、そのすべての身をわたしに任せて頼ってくれた愛おしいムスク。

わたしの、自慢の娘であり、誇りだったムスク。


わたしたち4人は、いつも一緒でした。


一緒なら、なんだって乗り越えられました。


4人で過ごす時間が、なによりも幸せでした。


そしてこれからも、わたしたちは4人家族です☆


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最後に2つだけ。

一つは、大震災後、残された方々、傷が癒えぬ方々、光がみえない方々、それでも一生懸命生きている方々、残された動物たち、ずっと帰りを待っているピュアで美しいワン・ネコちゃんたち、そのみなさんそれぞれに、少しでも癒しがありますように。少しでも明るい希望がありますように。少しでも、一歩づつでも、前を向いて生きていけますように。心から、日々願って祈っています。今までも、これからもずっと見守っています。

2つめは、うん、やっと今あえて書きますが、、、ステロイドはけっして悪い薬じゃありません。適切各所に使えば万能薬です。
でもどうか今後、その子の自然な老いによる宿命で失明し見えなくなったキレイな体に、MRI・CT検査で、誰がなん度確認してもなんにも見付からなかったキレイな体に、失明となんの関連性も根拠もないステロイド剤を、1年と5ヶ月ものあいだ処方するような医療行為が、今後一切なくなりますように・・そんな、域を超えた、域を侵した冒険のような、その医療行為が今後蔓延しないように、そんな医療を受ける子と飼い主さんが今後でてこないように、その処方の説明が充分であるように、、、、、心の底から、切に切に願っています。
ワン・ネコは、目が見えなくなっても、お散歩も生活もちゃんとできるんです。どうか医療が、医療を行う人間が誠実で実直でありますように。ここでの、最初で最後のお願いです。


じゃあ、次こそギョーザ特集いかせてもらいます!(笑)がみちゃん、そのときは連携プレーよろしくね~

FO,FO!! Musk's Moss flowers☆

2012-02-20 | Finished knit 完成した作品

To my dearest Musk,
I think this sweater the only chance to you...
Just my true heart only for you.. Wherever you are, I will be always with you forever.☆☆☆

Ok, Her name is Musk,13 years old. She even now fights against chronic renal failure for nine months....
Me and my musk together 24 hours; of course is the my workplace. yeah, We thank for this environment to always together. And We are the happiest!!!
So Nothing scares we anymore!;)))


かっわいぃ~うちのプリンセスに、かっわイイ苔花のセーターできたっ♪
なんとか間にあって、1月中に完成してました。久々にknit,じゃないや、大大苦手なcrochet がんばっちゃった^^v

じつは元々お洋服がきらいなムスクが喜んで着てくれてることに。。。嬉しすぎて毎週写真を撮り溜めたり、ジ~~ンとしみじみ噛みしめたりしながら温めてました☆

なんと言っても、サイドのラインが一番気に入ってます


 Musk's Moss flowers 




Details ; Crochet Motif patchwork
Pattern ; My own
yarn ; My handspun and sockyarns
Hook size ; 4.0 mm

ちなみに、モチーフとモチーフの繋ぎ方はこの本の中の「カラフルパッチワークのミニポンチョ」を参考にさせてもらった。。というか、イイとこだけ頂いちゃいました(笑

◆↑本の編地もそうなんですが、モチーフの裏面を、繋ぐ時にあえて表面に採用することでモコッポコっとした立体感が生まれます。
◆わたしはこの編地がどうにも苔にしか見えず・・(笑)しかもこんなカラフルな苔のお花畑があったらステキだなぁ~とインスピレーションを受けて作り始めたのでした。
◆セーター自体の型は、だいぶスクロールしてもらうことになりますが(すみません><;)・・一番下の写真でムスクが着ているダウンベストを、まんまコピーしています。
◆やっぱりワンコのお洋服って、着脱しやすい&サイズの微調整がきくマジックテープが一番便利と思います!
◆かなり手紡ぎ糸を盛り込んだのでセーター自体が軽くなると見込んでいたんですが、、編地に凹凸感を出したいために、欲深くモチーフをギュウギュウに型にはめていったので、けっこうズッシリと重みがでてしまったのは誤算でした。しかしムスクはとくに気にしてないようです^^
◆嬉しいことに、この1ヶ月間のお散歩で毎回着て歩いてくれてるので、首~胸元部分が伸びてきちゃった。今、裏布あてようか縮絨しようか?しんちょーに迷ってるところ。。

説明はそんなところです。とにかくほんとに可っ愛い~~んで、これでもか!ってくらい写真いっぱい埋めました☆
作品も写真もいろいろと楽しんでもらえたら、ムスクもわたしも写真撮ってくれたJも嬉しい限りです♪

☆☆☆GRAND LOVE, Musk☆☆☆



さぁて、これからRavelryにもムスクを拡散させてこよ~~っと。ルーン♪




ムスク、他にもいろいろ出てきた障害にも負けずガンバってます。それ以上に、毎日が楽しそうなんです and わたし達もよ☆
それから家族中でいっちばん優しいテンだって元気で相変わらずのやんちゃ!
実はテンにもね、総手紡ぎのセーターが編みあがっているんだけどね。。いったいいつアップできるんだろうね???(汗

この流れで、次回はわたしのセーターupといきたいところですが・・どーしてもギョーザの特集をやりたいので、そうさせてもらいます(笑笑)

では~データいっぱいで重いのに見てくれてありがとう^^

信州でホワイト・クリスマス・イブ

2011-12-29 | 旅行・田舎

うちは2人とも今日がやっと仕事納め。なんとなく安堵感+疲労感のコラボで、いま遠い目になってます(早く帰ってビール飲みたい目。笑)
今年は大震災に始まり深刻な汚染ingに愛娘の病と。。食も含め生活がガラっと変わった年だった。そしてこれ以上ないくらい家族に真剣になった年だった。な~んて、Jには幾度となくキツくあたっちゃったけどね(笑)

で、相変わらず毎日がせーいっぱいで、フリー時間が惜しいから旅行記はまたちゃんと来年にやるとして、けど一つの節目として忘れられない旅行になったんで、、ちょっとだけサワリだけ思い出を数枚ね。

今でも精神的に頼っている大好きなおばあちゃんの眠る大好きな安曇野へ、そしてお礼参りの長野へ、
いつもの大好きな家族たちとふたたび。ぶじ旅行に行ってこれました☆



本堂は国宝なんです。「遠くとも一度は詣れ善光寺」というきまり文句がありますが、

なんせ父が信州人なんで、幼少期から「八幡屋」の七味欲しさに何度となく訪れている馴染みの場所です。
そして大人になってからは益々この寺院周辺含めの賑々しくどこか派手な色彩風情がたまらなくって、なぜだか分からないんだけど、わたしとムスク&テンの3匹はココにくると毎度テンションが超~~Maxになります(笑)

それと、わたしもJも基本は大マジメに無神論の自分神教?(笑)なので、ココ善光寺・本堂の無宗派(どの宗派の人でも受け入れるお寺)なところ=誰でも参拝することができる敷居の低さもまた魅力的なんですよね。




連泊したのにあっというまで、楽しくて美味しくていつもどおり幸せな旅行でした。というか、個人的には感無量だった・・
だってちょうど半年前この信州の地で、このメンバーでの旅行初日、合流場所で突然ムスクの意識がなくなって体が冷たくなって、みんなでボー然として~~
で、今に至ってるから。。まさかムスクを連れてみんなとまた旅ができるなんてね☆

とにかく、今や時間割できっちり定着しているムスクの規則正しい生活リズム(点滴時間&食事時間&遊び時間&睡眠時間)をそのまま旅先で再現するために、全面的にその配慮やケアサポートをしてくれた父母のおかげで、わたしもムスク&テンもJも(←この人は、ウハウハと釣りまで楽しみやがった・・みんな慣れたけど。笑)リラックスして信州リターンズを楽しめました♪
うちらだけだったら絶対にテンパってたと思う。ほんと心強かった。

あと、この旅行の発起人である父さんにすっごい感謝してる。8月ごろだったかな?「ムスク頑張って生きてたら、またおまえ達の大好きな旅行と善光寺に連れてってやるからな。がんばれよ。」って言ってくれて、毎日のように電話くれて、前日&当日キャンセルの可能性も大なのに宿の予約も何もかも全部手配してくれて、ちゃんと約束守って年内に連れて行ってくれた。それが何よりも嬉しかった。


なんかビックリされちゃうかもしれないけれど、この半年間、うちにとっては日常的で毎朝自分たちでムスクに打つ、この点滴セット+お薬+12月中旬から新たに加わったエリスロポエチン(赤血球の産生を促進するホルモン注射。腎臓での生成ができなくなってきたから=極度な貧血を回避するため)の入った小さな注射器も冷蔵しつつ、これらと旅をともにしました。

なにが言いたいかって言うとね、今はあんまりそう多くはいないだろうけれど、モチロン信頼関係があってこそなんだけど、イヌネコと飼い主に精神・肉体的&時間的&金銭的負担がかからないように、こうやって医療器具を託してくれる獣医師さんとその治療法があるということと、それらが揃えば腎不全末期のワンちゃんだって旅行に行けるんだよ♪ってこと^^


さて、長野といえば、いや善光寺といえばね、七味狂なわたしの七味ライフラインでもあり、ここの七味が常備ゼロになると発狂し出すくらい愛してる老舗も老舗っ↓↓



根元八幡屋礒五郎

とーぜん自宅用の一味&七味&ゆず七味の3種つめ替え用大パックを買い込み、今回初めて目にした「七味マカロン」を母さんに買ってもらって、あまりの斬新美味美色だったので写真いっぱい☆
全色お味が違うんだけど、とくに旨いっ!!と衝撃が走ったのは、唐辛子風味とゴマ風味と柚子風味。Jとうっわぁ~~~とワナワナ盛り上がったのは、ソレそのものだった生姜風味です(笑)
なんてね、来年また訪れてもきっと買ってしまうであろうほど美味なマカロンでしたっ☆サスガです八幡屋さん



そんなこんなで。。。

宿泊したいつもの安曇野のコテージ(ペットOK1棟あり)のデッキにふわっふぁに積もる雪を見ながら。。

ムスク&テンと、旅先でまさかのホワイト・クリスマス・イブを過ごせました 

旅の最後にムスクにバイバイを言わなかったムスクと仲良しの父さん、帰宅後わたしが何でバイバイしなかったの?って責め電話(笑)したら、
「そういう最後みたいなことは言わないの。また春に会えると思ってるからいいんだ、あんなに元気なんだから。」って・・そっか、そうだね。この先のことなんて考えたくもないし分からないけれど、わたしもそう想って新年度も1日1日愛娘たちとJとガンバルよ!!!

サラっとやりたかったのに、長々としつれいしました><;


それでは大好きなみんな、よいお年を迎えてね^^ 

途中なる美学 with Musk and Ten.

2011-12-04 | Knit in progress
knitリハビリな目的も兼ねて、たまには気分転換でリアルタイム的な日記でもやろうかと。。(笑

シンケンに共倒れしそうだった猛暑ものり越え、会社帰りモロに直撃されたあの爆風台風ものり越え、
毎日の添い寝も職場でも24時間一緒な、この子との一喜一憂な二人三脚生活も気づけば半年目に入りました。

やっぱり平日はこの子との移動やその体調管理にものすごく神経を使うんで、隔週の通院日じゃない貴重~な休日が
何よりも楽しみだったりします☆そしてそんなのどかな休日に、大好きなお散歩を終えて満足そうにぐ~~っすり寝ている
この子達の寝顔を眺めながら、ほんの数時間だけね。。ムスクへの、最初で最後のknitコートを編みつなげている
この時間がなによりも至福のときだったりするんです。

もう何でもイイからパパっとつなげて早く着させたい気持ちも無きにしも非ずなんだけど、けどそれじゃあ意味がない。
ムスクとは毎日「これ出来上がるまでガンバってくれる?」って約束しあっているから、きっと待っててくれると思う・・
そんで途中なる気持ちも作っていく上での固執した美学も、きっとすでに理解してくれてると思う・・
とにかく、わたしの持っている色彩力史上において、これ以上ないくらいサイッコーーな多色魂をこの子に作ってあげたいんだっ☆


で、途中でしか存在しないであろう、こんな美的価値もまたモノ作りの醍醐味だったりします。
今この瞬間がパーフェクトなのよ~~っ的な意味も含め(笑)

なんせ出来上がってみたら当初とはまったく違う趣のモノになったりすることも多いんでね。。

とーぜんですよ☆集中したい時はこの大親友の金麦さまと、それから

とくにモノ作る時はこの子が傍にいてくれないと始まらない!な、わたしの親衛隊長テン子が見守る中の↓↓作業風景。


そうそう、こういう配色作業の面白さって言えば、もちろん気持ちイイ!って感覚だけでの直感で配置していく楽しさと、
玉置氏じゃないけど、「ここでD入れちゃうか?」いや、「あえて入れないほうがイイんだよね」的な冒険というか、
その遊び心がまた何とも一人興奮するツボというかね。。(笑)ほんと極上に楽しい瞬間なんですよね~



こういうのってオールsock yarnも大アリだと思うし、そのほうが手っ取り早いんだろうけど、、でもやっぱり一応スピナーでもあるプライドがね、、、

ここはやはり、どーしたって手紡ぎ糸でのモチーフを8割がた以上にしたいワケなんですよね。
って、それがまたアダになってるし長引く原因の一つなんですが・・><;


なんせ気力とド根性がハンパない子なんで、ぱっと見には至って元気そうにしてるんだけど、、
やはり水面下ではゆっくりと、少しずつ少しずつ病が進行しています。

それも承知な上で、あえて今度のクリスマス3連休にムスクの大好きな人達と共に大好きな場所に旅行に行く計画を立てていて、今はその旅へ無事に連れていってあげることと、ここまで来たらどうにかね、、家族4匹だけで夢の年明けを迎えたいと。
もぉムスクの気持ちは痛いほど解っているから。。とにかく最後まで保守的にならないで、この子達の生きている&生きたい理由
の根本を最優先してあげたいと決めてます。人間もだけど、楽しぃーーーい目標が常に目の前になくっちゃね^^



完璧に着こなしてくれるであろうコレを何とかね、なんとかしなきゃイカンよね☆