14年前 2009年01月18日 | 試聴・動画 ◆あの「阪神・淡路大震災」で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集(GIGAZINE) ここに掲載された映像をずっと見続けている。 これらの動画はネット上に永久に残すべきだと思う。削除要請などしないで。 ▼阪神淡路大震災の報道 2 of 4 #災害 « She & Him | トップ | ビートルズの謎 »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 記憶と保存。 (Andy@音楽観察者) 2009-01-21 18:16:29 がいこつさん、はじめまして。拙ブログをご覧いただいているとのこと、ありがとうございます。あの震災を直接体験された方の言葉は重いです。追体験(それも頭の中での体験)しかしていない自分は、そういう言葉をただ黙って聴くことしかできません。そういえば無神経な報道、ありましたね。豪華な毛皮のコートを着て、被災者を取材に行った女性キャスターとか。そういう映像もあわせて保存しておくべきですよね。まったく同感です。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 返信する 失礼いたします (がいこつ) 2009-01-21 08:44:44 初めまして。以前よりブログを楽しく拝見させていただいておりました。私も当時大阪にて地震を体験しました。最初に揺れてから数時間、流れてくるのは仮眠をとっていたNHKの神戸局員が地震でたたき起こされる映像だけ、それを見てつい笑ってしまっておりました。この笑ったという事実と、なんとか対峙しようと努めた十四年間だった気がします。おっしゃいます通り、通信メディアの発達した現在、こうした映像は永く保管され、だれもが閲覧できる形式にしておくべきだと思います。できるならば、神戸の街が炎に包まれる姿を見て「綺麗に燃えております」と報道した様や、荘厳なオーケストラ曲をバックに震災の姿を演出した様も同時に。 返信する 衝撃と記憶。 (Andy@音楽観察者) 2009-01-19 04:26:57 hibikyさん、おひさしぶりです。当時、関西圏ではコマーシャルなしにずっと地震関係の報道を続けていた民放局があったんですね。私もこれを見て初めて知りました。僕の当時住んでいた家はなぜか地震に強く、記録上は震度4だったはずなのに目が覚めなかったこと、午前中仕事をしたあと、昼に入ったそば屋で「死者200人」というTVニュースを見て「え、そんなに」と驚いたことを鮮明に思い出します。最終的に6千人もの人々が亡くなられるほどの大震災だとは、その時は思いもしませんでした。そうそう、地下鉄サリンもその年でしたね。東京から流れてくるニュースが不気味に響いたことを憶えています…。 返信する 改めて衝撃を覚えました。 (hibiky) 2009-01-19 01:58:52 こんばんは。久しぶりに御邪魔いたします。当時はあまりニュースを見なかったので、当時の現地映像をこれほど見たのは実は初めてです。改めて、衝撃を覚えました。。。あの日、私は寝坊して遅刻して、お昼前に職場へ出向いたら、なにやら騒然とした雰囲気。で、会議室のテレビがつけっぱなしになってて、見たら神戸の街が炎上している映像が流れてて、腰を抜かしました。実家は(いちおう)関西圏なので、不安になって電話したら全くつながらなくて、夜になるまで不安でたまらなかったのを鮮明に覚えています。1995年は3月に地下鉄サリン事件もありました。そのときも職場へ出向いたら、いつも流れてるJ-WAVEが音楽ではなく、延々とニュースをやってて、「クーデターでもあったんですか??」と、同僚に冗談で尋ねたら、真顔で頷かれて、そのときもビックリしました。あの年は、本当にいろいろな事件が起こりすぎましたね、、、一生、忘れられない1年でした。。。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
拙ブログをご覧いただいているとのこと、ありがとうございます。
あの震災を直接体験された方の言葉は重いです。追体験(それも頭の中での体験)しかしていない自分は、そういう言葉をただ黙って聴くことしかできません。
そういえば無神経な報道、ありましたね。豪華な毛皮のコートを着て、被災者を取材に行った女性キャスターとか。
そういう映像もあわせて保存しておくべきですよね。まったく同感です。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
以前よりブログを楽しく拝見させていただいておりました。
私も当時大阪にて地震を体験しました。
最初に揺れてから数時間、流れてくるのは仮眠をとっていたNHKの神戸局員が地震でたたき起こされる映像だけ、それを見てつい笑ってしまっておりました。
この笑ったという事実と、なんとか対峙しようと努めた十四年間だった気がします。
おっしゃいます通り、通信メディアの発達した現在、こうした映像は永く保管され、だれもが閲覧できる形式にしておくべきだと思います。
できるならば、神戸の街が炎に包まれる姿を見て「綺麗に燃えております」と報道した様や、荘厳なオーケストラ曲をバックに震災の姿を演出した様も同時に。
当時、関西圏ではコマーシャルなしにずっと地震関係の報道を続けていた民放局があったんですね。私もこれを見て初めて知りました。
僕の当時住んでいた家はなぜか地震に強く、記録上は震度4だったはずなのに目が覚めなかったこと、午前中仕事をしたあと、昼に入ったそば屋で「死者200人」というTVニュースを見て「え、そんなに」と驚いたことを鮮明に思い出します。最終的に6千人もの人々が亡くなられるほどの大震災だとは、その時は思いもしませんでした。
そうそう、地下鉄サリンもその年でしたね。東京から流れてくるニュースが不気味に響いたことを憶えています…。
久しぶりに御邪魔いたします。
当時はあまりニュースを見なかったので、当時の現地映像をこれほど見たのは実は初めてです。
改めて、衝撃を覚えました。。。
あの日、私は寝坊して遅刻して、お昼前に職場へ出向いたら、なにやら騒然とした雰囲気。
で、会議室のテレビがつけっぱなしになってて、見たら神戸の街が炎上している映像が流れてて、腰を抜かしました。
実家は(いちおう)関西圏なので、不安になって電話したら全くつながらなくて、夜になるまで不安でたまらなかったのを鮮明に覚えています。
1995年は3月に地下鉄サリン事件もありました。
そのときも職場へ出向いたら、いつも流れてるJ-WAVEが音楽ではなく、延々とニュースをやってて、
「クーデターでもあったんですか??」
と、同僚に冗談で尋ねたら、真顔で頷かれて、そのときもビックリしました。
あの年は、本当にいろいろな事件が起こりすぎましたね、、、一生、忘れられない1年でした。。。