墨染の ゆふべにかかる 細月の わづかなそりに 弦をはらなむ
*「墨染の(すみぞめの)」は「夕べ」とか「たそがれ」にかかる枕詞ですね。「なむ」は未然形についていますから、他にあつらえ望む意を表す終助詞です。「~してほしい」などと訳します。
すみそめのころものように小暗い夕べの空に、かかる細い月の、そのわずかな反りに、琴の弦を張ってほしい。
なかなかに詩的です。二日や三日目の細い月は、弓のように反っていますから、そこに麗しい糸など張れば、琴を幻想することができる。
昔から細い月は、船や琴などにたとえられてきました。空を渡る舟も、かすかに歌っているような琴も、遠くにあるようで、すぐ近くにあるかのようにも思える。決して届きはしないとわかっていても、月はなぜかすぐそばにいるような気がするものです。
あの白い月に、糸を張ってほしい。そうしたらそれを琴にして、歌いたいことがある。どうしても歌いたい恋がある。
月は、人間にとって、ひそやかな恋の相手の隠喩です。
届きはしない。だがいつでも見える。空を見れば静かに笑ってみていてくれる。かすかに胸の奥が痛いのは、愛の予感があまりにも美しいからだ。
白い月は、二枚貝の殻を横から見たような形にも見えます。貝の琴は、かのじょが唯一のアイテムとしていたパソコンの隠喩でした。小さな二枚貝のような、一台のパソコンのみが道具だった。そこから、おのれの真実と神の愛を歌った。まさに、小さな貝の琴を弾くように。
美しい。
夕べの細月を見るたびに、人はあの人の歌を思い出すでしょう。