イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

百年持たせる仕事

2015年05月24日 | イコン
このブログを書き始めて、1106日です。
最初の頃は、イコンを学べることがうれしいのと
介護日記のような形で書こうと思っていましたが、
イコン画家への絶望や
昨年のフィットネスクラブ通いがあり
今はまた日本画のお教室に行き始めたりして
短期間でもいろいろとあるものだなと思いました。

同時介護で今は病院と自宅でみていますから、
絵はなかなか進まない。
それでも、私から絵は離れてはいかないのが不思議です。

大学のときのミニ同窓会みたいなものがあり
これでまた次の人生が開くように思いました。

イコン画家の白石孝子さんの激しい妄想を目の前で見てからは
イコンを描き始めてから
霊的なことはなるべく考えないように
絵の世界に霊的なことを持ちこんで
現実を見誤らないようにしてはいるのです。
なぜなら、私は聖職者ではないから。

ケン・フォレットの大聖堂をドラマ化したものを観たのです。
大聖堂を建てるふたりの建築家が主役なのですが、
途中、聖職者になるか、そのまま建築家でいるか?
というストーリーも出てきました。
聖職者になると立場上、現実には動けなくなることもあり、
建築家のままだと、生命さえ危ないというシーンだったのですが、
そのときは、主役の建築家は愛する女性の近くにいるために
洗礼を受けて聖職者になります。
それも一時的ではあるのですが。
ドラマですから、
そんなことあり得ないだろうと思うこともたくさん出てきます。

白石さんが神父の娘であるのに
柳井原ハリストス正教会を「こんな田舎の教会なんか!
東京の教会がいちばんいいんだから」と言ったり
イコン教室の女性の生徒に
至聖所に上がっで撮影を許したりする、
白石さん独自の勝手な判断を目の当たりにすると、
「この人は聖職者になりたかったんだろうな」と思いました。
父親と同じように、聖職者になりたかったけれど、
正教会は女は聖職者にはなれませんから
それは無理で、
だからイコン画家になったのだろうなと思いました。

しかし、あまりにも欲深で
私や母は驚いて、仏画家や仏師で
白石さんみたいに、
何もかも自分のものにしようとする宗教画家には会ったことがないので
母は「あの人が聖職者にならなくてよかった。
私たちを貶して罵るし、
イコンの聖人は平気で間違えて描くし
めちゃくちゃだから
聖職者になられたらとんでもなかった」と言いました。

私は自分が絵を学んだ者としては
ここは日本なのに
イタリアやロシアのイコンのことばっかりで
日本の環境をさっぱり考えず
日本の絵画のことも知らず
あんなアクリルのイコノスタスをよく描いたな、と思いました。
神父の娘が描いたのが、あれ⁈
と、思いました。

画材のことも考えていない画家など画家とは言えない
と私は思っているのですが、
呆れたを通り越して
神様が人吉ハリストス正教会にあのすぐ剥落するアクリルイコンを
白石さんが描くように望んだのだから
それでいいのではないかと思いました。

あのような仕事を仏画家がしたら
二度と仕事はできなくなると思います。
白石孝子さんは主婦感覚の画家だったのだと思いました。
せっかくのイコノスタス、
長持ちしないのは非常に残念です。

私は「アクリルでいいんですか?」と何度も言ったり
八栗寺の多宝塔の内陣壁画の仕事を手伝った話をしましたが
全く聞く耳を白石さんは持っていませんでした。
イタリア賛美ばかりで、
日本の絵画に見向きもしなかったどころか
日本をバカにしていました。

嵯峨美、日本画のミニ同窓会で
文化庁の社寺修復の仕事をされている先輩にお会いしますので
社寺の板絵をアクリルメディウムから膠に総入れ替えしている仕事の話をお聞きしたいと思います。

人吉ハリストス正教会のイコノスタス21枚はアクリルメディウムですから
30年持てばいい方です。
なぜ、百年持つイコンを描かなかったのか?
神父の娘なら、イコン画家なら
百年持つイコンを描くのは当然だろうと私も他の日本画家も思っているのですが、
白石孝子さんというイコン画家の仕事は
30年も持たないイコンを描く仕事なのだから
仕方ないことだと思っています。

京都のイコンもアクリルだとしたら
短命なイコンだと思います。

日本画家にこれを話したら
「百年持たない宗教画描いたんか⁈」とみな驚きます。
普通の日本画だと
膠が効いて正しく描いていれば
百年は持つからです。
新納忠之助みたいな仕事は
イコン画家の白石孝子さんにはできなかったのだと思いました。
イタリアばっかりで
日本美術の知識がないのですから
日本の板絵の勉強をしていないのですから
百年持たせるのなんか全く考えていないイコノスタスを描いたわけです。

私は途中で白石さんが自分勝手に取り上げていき
描かなくなりましたが、
それも神様のお望みであったのだと思っています。
私は百年持たないイコンなど描かなくてよかったのです。

人吉ハリストス正教会のイコノスタスには
私もイコン献金を出したので、非常に残念です。
剥落していく様子が想像できます。
百年持たない仕事を
宗教画家がするとは考えてもみませんでした。
白石孝子さんは私に
「私を敬いなさい。
すばらしい仕事をしているんだから、
岡山の人は私を敬って当然よ」と言われましたが
至聖所に上がれと言ったり、
30年も持たないイコンを平気で描くイコン画家の
いったいどこを敬えばいいのでしょうか?
私はさっぱり理解できません。

人吉ハリストス正教会のイコノスタスは
私には
キャラクターのイラストにしか見えません。
「アクリル絵画ばかり、たくさん描いてすごいですね。
ご苦労様でした」
という感想です。

あのアクリルイコンを
柳井原や別の聖堂に描きたいと白石さんはご希望でしたが、
あれをもし日本正教会が描かせるとしたら
日本のイコンの歴史は
山下りんからその後は
めちゃくちゃになるだろうと思いました。
至聖所に上がる女の画家の
30年は持たないアクリルイコンだらけになるわけですから。

私はイコン画家でなくてよかったと思います。
堅牢な画材を研究しながら
生き生きとしたイコンを描いていきたいです。
イコンを頼りにするのは
普通の一般庶民ですから、
私は一般庶民の立場で描きたいです。

「神父の娘が描く特別なイコン」は
白石孝子さんに描いてもらってください。
「私のは特別なイコンだから、高いのよ」とおっしゃってました。






















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