OT学会が終了して、しばらく経ってしまった。
ノートを見返しながら振り返ってみたい。
ワークショップ:「摂食・嚥下障害に対する作業療法」
→摂食・嚥下障害は、リハビリテーションの時期や疾患を超えて遭遇しやすい問題の一つだろう。また、それによって重篤な結果を引き起こしうる重要なテーマだと思う。OTにとっても、様々な形で関わることになる。僕も、特養で働く関係では、介護や栄養ケアの一環として、介護現場での事故防止としても大事なテーマ。僕も「日本摂食・嚥下リハ学会」の会員となり、少しずつ研鑽に取り組んでいる(つもりだ)。
摂食・嚥下に取り組んでいこう!というのは僕も仲間が増える思いでうれしい。が、苦言を一つ呈したい。というのは、何やら新たな「摂食・嚥下に取り組むセラピスト団体」のようなものを立ち上げたいらしいのだ。
おいおい、だから、何でもかんでも旗揚げすりゃいいってもんじゃないでしょ?今ある他職種で構成されている団体を大きく強く育てていきゃあいいじゃないですか。他職種共同なくして取り組める分野じゃないんだし…。
この業界は、とにかく流派立ち上げが好きらしい。「私が私が」状態。この諸派乱立傾向は何とかならないのだろうか?
シンポジウム「脳卒中作業療法のエビデンス検証」
→「脳の可塑性」。なるほど、運動機能や認知機能の改善のメカニズムを理解するのはとても大切だ。しかし、それ自体がOTアプローチの焦点となりうるのだろうか?我々は普段の治療場面で脳の中をモニタリングすることはできない。我々がモニタリングできるのは、その人が行う動作であり、行為であり、行動であり、生活なのだ。そしてそれらの改善こそが大切なことであり、OTの焦点ではないだろうか?我々にとってのエビデンスの焦点はどこであり、何を目指していくべきなのか?改めて考えてみたほうがよさそうだ。
ちょっと、辛辣なコメントになってしまったかしら?
最近はケアマネ関連の研修や認知症ケア学会、摂食・嚥下リハ学会等他職種との研修が楽しい。
むしろOTの研修ではなんとなく落ち着かず、「アウェイ感」を強く感じてしまう今日この頃。
ただ、一人職種という環境(研修でも職場でも)が長いと、むしろセラピストの抱える問題がいろいろ見えてしまって、複雑な気分。
しかし、こうしたことも自分(たち)カイゼンの糧になると思い、頑張っていくことにします。
※現在ブログを複数抱えているので、似たような記事を書いてしまうことがあります。それは名前の違う“もう一人の僕”が書いているものかもしれません…。
ノートを見返しながら振り返ってみたい。
ワークショップ:「摂食・嚥下障害に対する作業療法」
→摂食・嚥下障害は、リハビリテーションの時期や疾患を超えて遭遇しやすい問題の一つだろう。また、それによって重篤な結果を引き起こしうる重要なテーマだと思う。OTにとっても、様々な形で関わることになる。僕も、特養で働く関係では、介護や栄養ケアの一環として、介護現場での事故防止としても大事なテーマ。僕も「日本摂食・嚥下リハ学会」の会員となり、少しずつ研鑽に取り組んでいる(つもりだ)。
摂食・嚥下に取り組んでいこう!というのは僕も仲間が増える思いでうれしい。が、苦言を一つ呈したい。というのは、何やら新たな「摂食・嚥下に取り組むセラピスト団体」のようなものを立ち上げたいらしいのだ。
おいおい、だから、何でもかんでも旗揚げすりゃいいってもんじゃないでしょ?今ある他職種で構成されている団体を大きく強く育てていきゃあいいじゃないですか。他職種共同なくして取り組める分野じゃないんだし…。
この業界は、とにかく流派立ち上げが好きらしい。「私が私が」状態。この諸派乱立傾向は何とかならないのだろうか?
シンポジウム「脳卒中作業療法のエビデンス検証」
→「脳の可塑性」。なるほど、運動機能や認知機能の改善のメカニズムを理解するのはとても大切だ。しかし、それ自体がOTアプローチの焦点となりうるのだろうか?我々は普段の治療場面で脳の中をモニタリングすることはできない。我々がモニタリングできるのは、その人が行う動作であり、行為であり、行動であり、生活なのだ。そしてそれらの改善こそが大切なことであり、OTの焦点ではないだろうか?我々にとってのエビデンスの焦点はどこであり、何を目指していくべきなのか?改めて考えてみたほうがよさそうだ。
ちょっと、辛辣なコメントになってしまったかしら?
最近はケアマネ関連の研修や認知症ケア学会、摂食・嚥下リハ学会等他職種との研修が楽しい。
むしろOTの研修ではなんとなく落ち着かず、「アウェイ感」を強く感じてしまう今日この頃。
ただ、一人職種という環境(研修でも職場でも)が長いと、むしろセラピストの抱える問題がいろいろ見えてしまって、複雑な気分。
しかし、こうしたことも自分(たち)カイゼンの糧になると思い、頑張っていくことにします。
※現在ブログを複数抱えているので、似たような記事を書いてしまうことがあります。それは名前の違う“もう一人の僕”が書いているものかもしれません…。