喫茶☆六花

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ラストサムライよ。

2011-07-08 11:03:36 | 日記

 

最近、新作料金を払ってまで観たいと思うような映画が少ない、ので、久しぶりに”ラストサムライ”を借りてきた。

ご存知の方も多いと思うが、トム・クルーズ主演で明治の初め頃の日本が舞台。

渡辺謙や真田広之など日本人俳優が多数出演している。

タイトル通り「サムライ的な生き方」(は、死に方に通じるということか?)=武士道がテーマ。

時代設定は明治10年、つまり日本帝国が近代的軍隊の体制を整えて行く中、

西郷隆盛が不平士族たちを率いて九州で反乱を起こして敗れた西南戦争の頃になっている。

トム・クルーズは日本の軍隊に銃の扱い方などを指導する教官として日本にやってくる。

いわば、近代化、西欧化、ハイテク化を推進するためにやって来たのだけれど、

やがて旧勢力であるサムライたちの一団に同じ武人としてのシンパシーを感じるようになり、深くかかわっていく。

明らかに西南戦争や、維新直後の戊辰戦争に想を得たとおぼしきフィクション(かなり破天荒な展開という点は否めないけど)。

 

 

アメリカ映画の(それも大作)中で、日本人俳優が揃っていい演技を見せている。

ラスト・サムライという物語の中に、日本人俳優たちをその気にさせる何らかの力が働いていた。

 

見せ場はやはり日本帝国の近代的軍隊と、ヨロイカブトのサムライたちが一大決戦するシーン。

制服に身を包み、整然と隊列を組み、銃や大砲を構える大部隊。

そこにヨロイカブトで身を固め、馬に乗り、弓矢や剣を手にしたサムライたちの集団が突撃して行く。

まるで、明治時代に戦国時代が殴り込みをかけたようだ。

 

そのシーンの中でも印象的だったのは機関銃(トリミング銃)。

機関銃のように連続的に射撃できる大砲のことだ。

その操作が、ただハンドルを回すだけ。

極端に言えば、女子供でも扱えるようなもの。

そのくせ殺戮能力は高い。

高度な技術や体力を必要とし、しかも相手と至近距離で対決しなければならない剣とは対照的だ。

改めて思うのだが、多分、銃というものが発明されて以来、兵器は卑怯な方向へとどんどん変化して来たのかもしれない。

離れた距離から、非対面的に人の命を奪うという生々しい実験を伴わず出来るだけ簡単な操作で効率よく大量に人殺しが出来るという方向に。

 

ところで、ラストサムライは、監督も音楽も脚本も衣装に至るまで、アメリカ人が手がけたものだ。

だから、細かい文化の誤解は各所に見られる。

そういう意味では結構な違和感はあるし、また、「世界のクロサワ」だったら、どんな作品に仕上がっていただろう?という想いもある。

しかし、このラストサムライは、外国人が撮ったからこそ、というよりも、外国人でなければ撮れなかった作品かもしれないとも感じる。

これを撮ったのが、日本人監督だったなら?

きっと、その政治的意図とかイデオロギー的立場を勘繰られるに違いない。

武士道の美しさを描き出す~それだけで、時代錯誤、保守的、反動的、好戦的、国粋的、右翼的などといった視線が集中するものだ。

第一、今の日本人の現実を見れば、恥ずかしくて武士道などといった言葉はとても持ち出せないだろう。

 

最後に、幕末にアメリカ側の全権使節ハリスの通訳兼書記として活躍したヒューストンの日記から引用したい。

『しかしながら、いまや私がいとおしさを覚えはじめているこの国よ、

この進歩はほんとうに進歩なのか?

この文明はほんとうにお前のための文明なのか?

この国の人々の質僕な習俗とともに、その飾り気のなさを私は讃美する。

この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子供達の愉しい笑い声を聞き、

そしてどこにも悲惨なものを見出すことができなかった私には、おお、神よ、

この幸福な情景がいまや終りを告げようとしており、

西洋の人々が彼らに重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならないのである。」

 

宮中で、日米修好通商条約のためのセレモニーを行った日、彼は日本が世界の仲間入りをしたことを喜びながらも、こう記述している。

 

 

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