手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

吟歴45年 思い出は多い

2019-11-02 20:40:30 | 詩吟関係
 美唄東高校で同僚と詩吟の会を作ったのが44歳の時だった。

 先生が佐久間先生の伯父さんで豊泉流の師範になったばかりの東先生でした。先生の東と美唄東の東をひっかけて東吟会と名付けました。私が会長になったのは一番年上だったからだと思います。

 週一度、職員室で夜の6時からの稽古でした。何の伴奏もなく、また、詩吟の構造もわからないまま、先生の吟を聞いて復唱するように練習をするのです。一回聞いても全くわからないまま唯声を張る。すると転句あたりで声が出なくなる。家に帰って稽古をしようにも、何せ節が分かっていないのですから、稽古にならないのです。

 それでも、稽古の状況を私が印刷して、次の日皆さんに配布するというようなことをしました。いきなり初段の資格審査に向かっての稽古でした。そして、六ケ月後、初段の審査を受けました。みんな緊張していました。段という言葉がひどく重たくのしかかっていました。全員合格でした。直ぐに合格祝いをやりました。審査はひどい失敗をしない限り全員合格することが分かり、納得はしました。仲間の中で一番下手だったのが私だったと思っています。

 次の稽古に入る時に、豊泉流から分派して恵山流日本吟道会が設立され、東吟会もそちらに吸収されました。恵山流は5級から始まることになってましたが、私たちは豊泉流で初段を取っていたので、初段に格付けされて進みました。

 恵山流の最初の 競吟大会の合吟に「富士山」で出場し、優勝してしまいました。随分稽古をしました。皆様本当に熱心で気合も入っていました。その時のトロフイが今も私の部屋に飾られています。恵山流は数年後、 象堂流という宗家吟になりました。
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