村上家 当主のブログ

五箇山資料室

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つづき

2010年09月18日 17時50分14秒 | 日記
平村史の流刑資料を見ていると、観光説明を訂正することが多々あるので記憶の悪い私としては大変困っています。
侍身分だから流刑されたものと思っていましたが夫婦や、神主、十村百姓、山伏、刀の研師、大工、町人など色々な人が流刑されています。
寛文七年(1667)前田藩老臣長連頼の家老浦野孫右衛門の一派が、 勢力を利用して悪事をはたらいたとのことで、加賀藩主から断罪の処分受けた事件で6名の流刑人が長家から送られてきたのが始まりらしい。 五箇山流刑は、明治元年(慶応四年)三月の大赦令(明治天皇ご元服大赦)で解放された。
「是月朝廷に大赦令あり、能登海島其他五箇山流刑人及閉門逼塞等の者ことごとく之を赦す」加賀藩資料にあるらしい。
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