むらぎものロココ

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ジュゼッペ・タルティーニ

2005-08-28 18:22:00 | 音楽史
tartiniTARTINI
Concerti

Chiara Banchini
ENSEMBLE 415

ジュゼッペ・タルティーニ(1692-1770)はイストリア半島のピラーノで生まれた。父は成功した貿易商で、裕福な家庭で育った。両親はタルティーニが僧職に就くことを希望した。タルティーニは神学校に学び、修道士見習いとなった。1709年にはバドヴァ大学に入学し、法律と神学を学んでいたが、翌年、エリザベッタ・プレマツォーレと密かに結婚していたことが発覚し、パドヴァを追われ、アッシジの修道院に身を隠した。アッシジではチェコの音楽家ボフスラフ・チェルノホルスキーに音楽を学んだとされているが、この頃のエピソードとして、タルティーニの夢枕に悪魔が立ち、ヴァイオリンの演奏を聞かせたというのがある。起きてすぐに悪魔が弾いたフレーズを書きとめてできたのが、有名なヴァイオリン・ソナタ「悪魔のトリル」であるとのこと。
タルティーニは1714年にアンコーナのオペラ劇場に職を得ることができたが、1716年にヴェラチーニのヴァイオリン演奏を聴いて心を打たれた彼は自分の演奏を完璧なものにするため自己追放しヴァイオリンの技巧に磨きをかけることに没頭した。
1720年頃、ヴェネツィアに戻り、パドヴァの聖アントニオ大聖堂の第1ヴァイオリン奏者となった。1723年から1726年までプラハのキンスキー伯の宮廷楽団の指揮者としても活動し、1727年か28年にはヴァイオリンの学校を設立した。タルティーニは1740年にベルガモで腕を負傷するまで演奏活動も盛んに行っていたので、彼のヴァイオリンの名手としての名声はヨーロッパ中に広まっていた。

タルティーニはヴァイオリン協奏曲を130曲、ヴァイオリン・ソナタを200曲ほど、その他の作品をあわせて350曲ほど作曲したとされている。
彼はタッソーやアリオスト、そしてメタスタジオなどの文学から着想を得ることが多く、詩句の韻律にあわせてメロディーを作ったりしていたようである。タルティーニの歌うようなメロディーはまさに歌を作るようにして生まれたものなのである。
また、演奏活動を退いてからは音楽理論書の執筆をするようになり、1754年に「Tratatto di musica(音楽論)」を著した。この本には旋律やカデンツァ、不協和音、音階構造、和声、拍節などについて記述がなされているが、「差音」という、二つの音を同時に鳴らすと、二つの音の周波数の差に等しい周波数を持った音が聞こえてくるという現象についても記されている。差音のことを「タルティーニ音」と呼ぶのはこのためである。ここでタルティーニは音楽を物理学的に数学的に基礎付けようとしたが、数学的に誤りがあることが指摘されている。しかし、当時のヴァイオリニストは直接、間接にタルティーニの影響を受けていて、レオポルト・モーツァルトが1756年に著した「ヴァイオリン奏法」という本はタルティーニの教えをまとめて作られたものであった。


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