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ヨハン・シュターミッツ

2005-12-11 00:31:16 | 音楽史
stamitzJohann Stamitz
Symphonies Vol.1

Donald Armstrong
New Zealand Chamber Orchestra

ヨハン・ヴェンゼル・アントン・シュターミッツ(1717-1757)はボヘミアのネメツキー・ブロートに生まれた。シュターミッツはオルガニストであった父から音楽の手ほどきを受けた。1728年にはイエズス会のギムナジウムに入り、1734年頃にはプラハの大学に入学した。1743年にマンハイムの宮廷オーケストラの第一ヴァイオリン奏者として活動、1745年頃にはコンサートマスターになり、指揮をするようになった。1750年には音楽監督としてマンハイムのオーケストラを指導した。1754年にパリに行き、コンセール・スピリチュエルに出演した。彼の音楽はパリ、ロンドン、アムステルダムで出版された。

シュターミッツはナポリ派のオペラ序曲から発展したシンフォニアを急-緩-急の3楽章形式からメヌエットを加えた4楽章形式にし、現在の交響曲の土台を築いただけでなく、プファルツ選帝侯カール・テオドールの宮廷オーケストラをヨーロッパ最高のオーケストラに育てた。このオーケストラを中心に活動した音楽家たちをマンハイム楽派と呼ぶ。

18世紀中頃になると、音楽は教会や貴族の社会から市民社会へ開放されるようになり、「わかりやすさ」や「快さ」が求められるようになった。楽譜も通奏低音のように数字だけではなく、弾くべき音をすべて記すようになり、華やかな旋律とシンプルな伴奏による、わかりやすく演奏も容易な音楽になっていった。この時代は対位法を駆使したポリフォニックで複雑な構造を持つ音楽は、人工的で自然の美を損なっていると批判されるようになった。

シュターミッツの音楽は最弱音から最強音に至る音の強弱の大きなコントラストやクレッシェンド、打ち上げ花火風の主題、トレモロ奏法などを特徴としている。当時の美学者シューバルトによれば「雷のようなフォルテ、瀑布のようなクレッシェンド、穏やかな川の流れのようなディミニュエンド、ピアノは春の息吹」と形容されるものであった。音量の強弱による効果と様々な楽器を重ね合わせることによる色彩感の効果により、ダイナミックな表現が可能となったのである。

→パウル・ベッカー「西洋音楽史」(新潮文庫)
第十一章 バッハ・ヘンデルの後継
→田村和紀夫、鳴海史生「音楽史17の視座」(音楽之友社)
第3章 古典派-人格の表現としての音楽-


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