一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

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大智禅師発願文

2006年02月14日 | 禅・仏教
私は毎朝の朝課(朝のお勤めのお経)が終わると、自分の部屋に戻り、床の間の龍天軸(雲水、つまり修行僧の守護神の掛け軸)に向かって、室内看経(しつないかんぎん…自室で読むお経)をあげます。

その時、私が修行した永平寺では読みませんでしたが、どこかで覚えた(どこの僧堂で覚えたか忘れてしまった・・・)、※大智禅師発願文という、いわば自己の仏道修行に対する誓願の文章を唱えます。

実は記事にするにあたり、大智禅師発願文の参照文献を探しましたが手元になく、すべて私の記憶を頼りに文章を起こすしだいです。
ご専門の方、文章の記述に誤りがあったら、ご指摘いただければ幸いです。
ただし門風によって、読み方に若干の違いがあることはご了承ください。

前置きはさておき、この「大智禅師発願文」。

とても味わい深く心に響くものがあります。

まさに大乗ロマンの爆発!!!

不遜な言い方ですかね・・・

この発願文には、「私はいついかなるときであっても、どこであっても、たとえ地獄にあろうが、仏法と一如になって、どこまでも衆生を救済していくことを誓います、どうか仏さま方、この私を護ってください」、ということが高らかに宣言されています。

正直、こんなの絶対無理だよって思いますが、理想の生き方として、かなりかっこよすぎます。 
 
 大智禅師発願文

願わくはわれこの父母所生の身をもって、三宝の願海に回向し、
(ねがわくはわれこのぶもしょしょうのみをもって、さんぼうのがんかいにえこうし)

一動一静法式に違せず、今身より仏身に至るまで、その中間において、
(いちどういちじょうほっしきにいせず、こんじんよりぶっしんにいたるまで、そのちゅうげんにおいて)

生生世世、出生入死、仏法を離れじ、在在処処に広く衆生を度して疲厭を生ぜじ、
(しょうじょうせせ、しゅっしょうにゅっし、ぶっぽうをはなれじ、ざいざいしょしょにひろくしゅじょうをわたしてひえんをしょうぜじ)

あるいは剣樹刀山の上、あるいは鑊湯爐炭の中、ただこの正法眼蔵をもって、
(あるいはけんじゅとうせんのうえ、あるいはかくとうろたんのうち、ただこのしょうぼうげんぞうをもって、)

重担となして、随処に主宰とならん、
(じゅうたんとなして、ずいしょにしゅさいとならん、)

伏して願わくは、三宝証明し、仏祖護念したまわんことを
(ふしてねがわくは、さんぼうしょうみょうし、ぶっそごねんしたまわんことを)


大智禅師(1290~1366)は、肥後(現熊本県)出身、大慈寺の寒巌義尹(かんがんぎいん)禅師について出家得度し、曹洞宗の太祖、瑩山紹瑾禅師につき、後に瑩山禅師の上足(高弟)、明峰素哲禅師の法を嗣ぎます。肥後の国が輩出した、曹洞宗門の名僧の一人です。

ちなみに、この大智禅師発願文は寒巌義尹禅師発願文ときわめて類似しています。
もしかして、記憶違いで上記は寒巌義尹禅師の発願文かもしれません・・・
くどいようですが、専門の方、間違いがあればご指摘願います。
この発願文についての資料がなくて。
注釈書なども出ていないようです・・・

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