無名人独白集

美しいもの、麗しいもの大好き。その真逆は嫌い。
故に「小異に拘り、大道を外す事勿れ」
そんな我侭で偏屈な人の独り言。

本年は有難う御座いました。

2006年12月31日 19時53分16秒 | ゆるりと
皆々様、本当にお世話になりました。
ようやく私も、本日朝にすべての忘年会が終了しました(苦笑


では皆々様、良いお年をm(_ _)m
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価値観の変質、そこに生まれる最低な世の中w

2006年12月28日 23時02分02秒 | 教育、歴史、道徳に関わる話し
今年もいよいよ終わりです。
そんな師走の慌しき中でも妙な事は頻発するもので(苦笑

あちこちで、作為的な取材や粗探しが行われ、
自らが自己の自存性を疑うやうな行為を繰り返す様は、
その信じている人間が、如何に盲目になっていると分かってはいても、
目に余るものです。



さて、近年ある事柄を経験した時とみに感じた事ですが、
この日本において、如何に価値観というものがおぞましくも変質してしまったのか、
といった想いに近頃捕らわれます。

確かに人が生きていくためには、「モノ・お金」が必要でありましょう。
しかし、「モノ・お金」とは対極に厳然と存在するものを、
「意味なし、無価値、かっこ悪い」などと忌避し、
その重要性を認識せず、認識していても目先の利益に盲いたる故か、
その価値を認めた振りをしながらも尊重しない人々が増え、
その増えた人々が、また周りにそういった人々を増やしていく
悪循環に陥りつつある気がしてなりません。

お金で買えない、そう云ったものにこそ、実は本当の意味での価値がある事を、
子供たちに教えてこなかったツケが明らかに今来ているのではないでしょうか。

現実主義に走るのも良いですが、
その美名の下に、切り捨てたものが如何に大きかったか、
未だに気づいていない人々が多いのも事実です。
物質優先主義を捨て、精神偏重主義になれとは云いませんが、
物質の背景に必ず存在するモノを認識できない世の中は寂しい限りです。

目に見えるもの、触れるものしか信じないのは、猿にでも出来る事。
敢えて云うのであれば、
人は、その精神性の高尚さのみにおいて、人間足りうるのだという事を、
今一度、思い出して頂きたいのです。





価値観が喪失したという方がいらっしゃいますが、
喪失したのであれば、そこに穴が開きます。
その喪失感ゆえに違う価値観が創出される事もありましょう。
しかし、それは民意に支えられ創出されたものであり、
そうそう、民族性を貶める物では在り得なかったはずです。

何故に、早々に排斥される事もなく低俗な価値観が漫然と蔓延ったのか。

その実は、日本を二千年以上支え続けてきた価値感が喪失したのではなく、
極めて軽薄な近代欧米型の低俗な価値観に変質してしまっている事。
これに気づいていただきたい。
古来より、「悪貨は良貨を駆逐する」と云われます。
三浦梅園も「悪幣盛んに世に行わるれば、精金皆隠る」と云いました。
まさにこのやうな働きにより、
日本古来の美徳が駆逐され乗っ取られてしまっているからこその、
状況であるが故に、極めて悪質であり問題があるのです。

その価値観をこの国に入れた者としては、
自らの権益に汲々とし、
たいした展望も持たずに指導する立場に立った者の責任は重大でしょうが、
この国が民主主義であるというのであれば、
それを、流されるがままに受け入れた国民そのものに、本来の責は帰すべきものであり、
その上に立った者達を糾弾するのは的外れな話しです。

そして、今なお、流れに身を任すのみで、
自ら声をあげる事もなく、実生活で実践する事もなく、
その価値観を取り戻す努力を怠る者は、
たとえ水が如何に濁ろうとも、自らの責である事を認識すべきなのです。
それでも、「やれ政治が悪い」だの「そういう世の中なのだからしょうがない」
なんだのと責任転嫁や忌避を続ける者は、
自らが民主主義と呼ばれるものから、逸脱しつつある事を認識すべきなのかもしれません。
逸脱するという事は、政治に対する参加権利を失い、
自らの将来を、一部の上層者に任せるという事です。
それは、ただ世を生きるだけであれば楽な道ですし、
決してそれ自体が社会構造として悪いものではないと思っていますが、
自由・権利と対になっているものを忘れては頂きたくないと思います。
中途半端に便利なところのみ使うは卑怯というものです。

厳しい言い方かもしれませんが、
私は、漫然と自己の利益のみを中心に考え、流されて生きる輩が、
最も本来の民主主義から外れた存在と考えています。
それを美意識的に、認めるかどうかは別としても、
よほど、自己の権益を声高に叫ぶ者こそ、責任を取る限りは良くさえ感じます。



しかし、そのやうな小難しい話以前に、
変質した価値観を戻すのか戻さぬのか、
日本人であると思っている以上、
そろそろ真剣に皆々様には考えて頂きたいものです。
まずは、すべての根幹として、そこからなのですから。
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妙な雲行き

2006年12月19日 20時19分24秒 | ゆるりと
何も云いますまい。
見て頂ければ分かること。
ただ仕事の合間に急いで撮ったので、
好い画になっているかは微妙ですが、、、ご容赦をw

1枚目は、

2006/12/19 16:42:06.8
焦点距離: 24mm
1/200 秒 - F/4
露出補正: +0.3 EV
感度: ISO 800

2枚目は、

2006/12/19 16:52:22.6
焦点距離: 38mm
1/40 秒 - F/4.8
露出補正: +0.3 EV
感度: ISO 800

3枚目は、

2006/12/19 16:53:54.6
焦点距離: 18mm
1/40 秒 - F/3.5
露出補正: +0.3 EV
感度: ISO 800

4枚目は、

2006/12/19 16:53:19.1
焦点距離: 18mm
1/60 秒 - F/3.5
露出補正: +0.3 EV
感度: ISO 800

実にいやな感じです。
射線は、環六中井駅周辺から
1枚目が、方位250度方向。
2枚目以降が、方位230度方向。
中野駅の方角になります。

大体距離は、50kmから100km程。
近くて平塚周辺から丹沢、遠くて伊豆半島基部から・・・
富士山のあたりでしょうか。。。



実に嫌な位置だ(苦笑

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さあ!本番です。

2006年12月18日 22時26分06秒 | 独り言・・・
教育基本法の改正通りました。

防衛庁もやっと独自に動ける省になりました。

やっとここまで着ました。
さぁここからが本番です!

燃え尽き症候群の方もいらっしゃるようですがw
燃え尽きている場合じゃありませんよ~
ここからが本番です。


「どこまで続くぬかるみぞ♫」
なぞといっている場合じゃありません。

さぁ前へ!



神は降りたり。
後は人のみぞ知る。
てな訳で、分かる人には分かる写真が撮れましたので貼っておきます。
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「人と鉄は時代が下るほどに悪くなる」

2006年12月11日 21時06分44秒 | 教育、歴史、道徳に関わる話し
江戸時代の刀匠が云ったとか云わなかったとか。

人は時代が下がるほどに悪くなっているのは否定のしようがありませんが、
其れを敢えて否定しようとする輩が居るのには困ります。
誰がなんと云おうが、
日本人としては、古来よりの人としての絶対真理は存在するわけで、
それを、諸外国の文化と比較し、さも適当なる事のやうに現状を肯定する御仁が多いゆえの事でしょうが、
其れを鵜呑みにして、本当の意味での自らの意見も持たず、己の感覚を信じられない、
自主性のかけらも感じられない人間が「自由自由」と叫ぶのですから、、、

この頃、この世は喜劇かとの想いすら持ちます。

確かに、近年私は、よく笑うようになりました。
それも快哉を叫ぶことではなく、
あまりの皮肉さ、おかしさに笑うしかない事が実に増えました。



皆さん。まずは在るがままを認めましょう。

間違いなく、人は落ちてきているのです。
ひとつ私が受けた話の中から解かりやすい例を。


皆さん、お鮨を思い浮かべてみてください。
江戸時代の、おにぎりのやうな数百年前の寿司ではなく、
明治以降の現代を考えた場合ですが、
かつての寿司好きの間では、ネタがシャリから大きく溢れているものを、
その引きずる姿から、「女郎寿司」と称し、品のないものと厭ったものだ。と
私は子供のころに習いました。
当然これは、地域やそれぞれにおいて異なるものかとは思いますが、
私に其れを教えた、父や先達は、
異なる時に、異なる場所であるにも拘らず、
私にその本意を以下のやう、ほぼ同じ内容として教えたのです。
「ネタが大きいことを本来ならば喜ばぬものはおそらく居るまい。」
「しかし、その姿は、下卑たものとなり、其れを食する姿は決して美しくない。」
「単純に自らが得をしたり、欲求の赴くままに事を喜ぶは、下品である。」


しかるに、今、氾濫している寿司屋を思い浮かべていただきたい。
今氾濫している、それらを紹介するメディアがどのやうに伝えているのかを
思い起こしていただきたい。

そこに、私の父たちの世代に持ちえた矜持を口にする人が、
どれほど存在するのかを考えていただきたい。


「人と鉄は時代が下るほどに悪くなる」
これをまず認識した上で、そうでなきやう努力をせねば、
今起きている、おぞましき社会事象・事件なぞ、
近い将来、児戯が如く思われる恐怖が自らの身に訪れることになるでしょう。

自らの学生時代からの経験的に、
こういって、このやうな事を口にする者自体が、
奇異な目で見られ、異端と理解されて久しいかとは思うものの、
その堕落を見て、少なくとも身を賭してでもと、身内や身辺から
同等の輩を出すことを恐れている私がここに居るのも事実では在ります。

「人と鉄は時代が下るほどに悪くなる」
しかし巧いことを言ったものだ(笑

裏の意味がわからない方はw
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変な輩であることを知っていただきたい

2006年12月09日 13時26分39秒 | 社会・内政関わる話し
44平方mに3千人超が住民登録、大阪・あいりん地区(読売新聞) - goo ニュース

大阪・あいりん地区のビルに3千人住民登録 架空登録か(朝日新聞) - goo ニュース

西成5階建てビルに3300人住民登録 給付金目的か<産経web>
http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/061207/wdi061207003.htm

何がとんでもないって、
そのお役所仕事もさることながら、
どうやら、役所の中に、この犯罪行為に協力、
もしくは協調した者が居ると思われる点がいかんのです。

この対テロ戦争が勃発している今、と大上段に構える話以前に、
これだけ虚構の反日を自らの権力体制に利用する国が周辺に乱立している今、
いったい何を考えているのか極めて問題でもあります。

このビルの1階に在る、「釜ヶ崎開放会館事務所」
釜ヶ崎地域合同労働組合
といったものは、自らのイデオロギーに弱者である人々を利用しているに過ぎない気がしてきます。
彼らを前面に立て役所に圧力を加えることは、彼らを救う真の救済になりえず、
極めて効率のよくない方法であることぐらい道理の分かる人間であれば分かることです。


無知であることは罪かもしれませんが、
ある意味、純真無垢、無知蒙昧なる人々を自らの思惑のために利用する人間は、
まさに人にあらざる者達です。

こういったことを主導した人間たちが、
いかにもごもっともな崇高な理念・目的を掲げ、
その実、犯罪行為すら容認するものであることを、
私達は認識しなければなりません。

耳障りのよい言葉には棘が含まれること、は云うまでもありませんが、
現在、社会のあちこちに存在し、さも識者のごとく振舞う中にも多く居る、
こう云ったおためごかしを主張してきた人間達が、
その実、自らの欲求のためには、
社会基盤の基本中の基本たる、法治の概念すら軽んじる
場合によっては、それすら正義だと信じ、主張するやうな、
極めて変な輩であることを、
私たちは、声高に人々に知らせるべきなのです。
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65年前の覚悟

2006年12月08日 00時28分02秒 | 独り言・・・
今から65年前の1941年12月8日未明(日本時間)以降たった半日に
何があったのか?
何が起こったのか?

いうまでもなく、日本帝国海軍が米国太平洋艦隊司令部のあるハワイ真珠湾を奇襲攻撃し、
日本帝国陸軍がマレー半島北端に奇襲上陸。
それと相前後して、台湾から飛び立った海軍航空隊は、
フィリピン クラーク飛行場を攻撃しアメリカ極東航空軍の過半を開戦初日で撃滅、
バタン島に帝国陸軍第14軍の一部が上陸。
そして
12月10日には、あの肝の塊のやうなウィンストン チャーチルをして絶句せしめ、
その著書第二次世界大戦回顧録に、
「戦争全体で(その報告以外、)私に直接的な衝撃を与えたことはなかった」
と書き記させたマレー沖海戦へと、
まさに怒涛・破竹の戦いの始まった日であります。


これから起こるのであればまだしも、
終わった戦争を是か非か問うほどナンセンスなことはありません。
ましてや、その当時の見方でなく現在の視点・感覚において
善悪を問うなぞは、抱腹絶倒ものの喜劇をするつもりでなければ、
止めて頂きたいものです。

戦争が良くない、何でもかんでも暴力は絶対悪であると言うのであれば、
人間がこの地球上に存在する事自体が悪である。
と云うのと似た話になってしまうということを、気づかない方が実に多いものです。

人は、生きている以上、周囲や互いを削りあい進むものです。
これは、ヒトが個々の生物体である以上、避けられない事実であり、
それを根幹的に避けるためには、
自我を消滅させるために、個々の肉体を捨て、
意識集合体のやうなものに昇華しなければ無理な話です。
その事実を確りと認識した上で、
私達は、生のヒトとして生きていかねばなりません。

それをしない以上、
ヒトは、個々及びにその集合体たる個別の意識において、
永遠にその自我・自意識に押しつぶされ、
他人・他者を押しのけて自我を通すことになるでしょう。

まずは、在った事をあったと妙な着色をせずに認めること。
その上で、埒のない非難や責任の押し付け合いをせず、
変えやうのない過去に拘泥せず、ましてや、その過去を利用せず、
現在の価値観にて判断することなく、その時代その時代の状況を理解するやうに努め、
その事実を正確に把握することさえ出来れば、良いのですが、、、

まぁそう巧くはいかぬものです(苦笑


ただ少なくとも、
私たちは、悪であることは承知の上で、
その必要性、蓋然性を踏まえ議論することをせず、
唯々ひたすらに忌避する様は、
到底、知識人・識者と呼ばれるには程遠い姿である事を、知っているのです。
知っている以上、声を上げて指摘するべきなのです。


やれる事を、やる事しか私達は出来ません。
しかし、
やれる事は、やらねばなりません。

それが、現在を生きる私達の、父祖に対する義務であり、
将来を担う子供たち世代への責任なのですから。


65年前の今日、
先人たちが苦渋の選択を、並々ならぬ覚悟の上でした事。
そうせざるを得なかった事。
その決断を考察することもなく、
それを後ろ支えする勇気も持ち得ぬ者が、
愚にもつかぬ論をまことしやかに語ることには虫唾が走りますが、

少なくとも志を持つ方々は、
現代に生きるものの務めとして、
その心意気を心に留めて65年前のこの日に想いを馳せて欲しいものです。
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純然たる研究として

2006年12月06日 22時10分06秒 | 教育、歴史、道徳に関わる話し
日本書紀に、信頼に差がある2種の筆者 天文現象で分析(朝日新聞) - goo ニュース

なかなか面白い記事です。
妙な思想に傾くことなく、純然たる考古学的興味からも
その成果に期待したいところです。

なんにせよ、大東亜戦争終結以降、
むやみやたらに否定したりしてきた訳ですから、
実によい方向ではあります。



ぜひとも、戦後60年の日本古代史研究に対する暗黒時(そう思うのは私だけかもしれませんが、、、)
を脱して頂きたいと切に願います。
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しかし多いなぁ

2006年12月04日 16時54分20秒 | 独り言・・・
この処、妙に変な連絡が多いですねぇ。。。
色々と各方面から警告はされているのですが・・・
なんにせよ、無駄がお好きな方がいらっしゃるようで(苦笑

気付いたら、直ぐに削除していますが、何せ今入れた記事に1分以内に妙なものがw
また私のアドレスと一緒で、どこかに晒されましたかね・・・


ご覧になられて不快な思いをされた方には、申し訳ないですm(_ _)m

お口直しに、一葉の絵を。
お題は「事を見通す」w
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公費の無駄遣い・・・

2006年12月04日 16時42分01秒 | 教育、歴史、道徳に関わる話し
桃太郎は反男女共同参画?
北名古屋 女性の会が啓発劇収録
名古屋市女性の会男女共同参画委員会
20人による創作劇?

なんですかこりゃ?
と思ったので、以下に記事を一部抜粋。
http://www.chunichi.co.jp/00/ach/20061201/lcl_____ach_____010.shtml
<以下記事本文中より引用>
物語は、桃太郎に登場するおじいさんが川へ洗濯に、おばあさんが山へしば刈りに行くなど、これまで当たり前に受け入れてきた役割を入れ替えて、固定していると思いがちな男女の役割について考えてもらう内容。主人公も女性の「桃子」とし、犬や猿、キジを連れて乗り込んだ鬼が島では「男も女も、男だから、女だから、ということで区別されず、それぞれが個人として尊重される」などとする3カ条の「鬼が島改造計画」を鬼たちに提案する。
<引用終了>

なんでも
「国と愛知県の補助金により劇がビデオに収められ、県内の自治体に配布されることになった。」
そうで。。。

なーにを考えているのやら(苦笑

そもそも桃太郎伝説が温羅伝説であると考えたら・・・
「阿曽郷(あそのごう)の祝の娘・阿曽媛(あそひめ)に神饌(みひ)を炊かしめよ」
のくだりから考えても随分と皮肉の効いた話しではないですかw

男では出来ない事だったのですが、、、女には出来た事がある。
否、女にしか出来ぬ事がある。

女性がそもそも持つ力を自ら放棄し、
男と同種になりたがるとは、、、またけったいな話しです。


そういった意味でも、如何に昔からの伝承やお話しを、
単なる絵空事としてではなく、
古人の知恵や教訓を多く含んだものとして、
民間レベルにおいて重要な役割を果たしてきた、
講話として認識しなければならない切迫性を、再認識させて頂ける話しです。

今回の馬鹿げた話に公費が使われている事も問題ですが、
それ以前に、この題材に桃太郎を選んだ名古屋市女性の会男女共同参画委員会
の方々の皮肉に敬服いたしますw

表層的なものの捉え方しか出来ぬ人間が増え、
そういったくだらない無教養な人間が、簡単に公費を使え、
その意見が幅を利かすことこそ、危機的状況であるという現状を、

始まりから終わりまで女性が絡み、
その女性によって収束を向かえる話しの男女の別を逆さにすることにより、
知らしめて頂けた訳ですから、何を況やw


喝采!


しかし、公費がもったいないなぁ

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