無名人独白集

美しいもの、麗しいもの大好き。その真逆は嫌い。
故に「小異に拘り、大道を外す事勿れ」
そんな我侭で偏屈な人の独り言。

ヒトとしての大罪

2006年11月04日 00時32分20秒 | 独り言・・・
日本の漁船4隻、ロシアが「違法操業」で拿捕(読売新聞) - goo ニュース

中国、脱北者の取り締まり強化(朝日新聞) - goo ニュース

モンゴルの邦人殺害事件、民族主義活動家を逮捕(読売新聞) - goo ニュース

軍事演習は米への対抗策 イラン、連日ミサイル発射(共同通信) - goo ニュース

体にも数発の銃弾 銃撃・拿捕で死亡盛田さん(共同通信) - goo ニュース

拉致、教育めぐり論戦 衆院予算委で基本的質疑(共同通信) - goo ニュース
東西冷戦に象徴されるイデオロギーの対立が終わったあと、民族主義、宗教対立に根ざす混沌の時代が来ると予言された方がいらっしゃいましたが、私はある部分ではありますが、その方の慧眼に心底敬服しています。

よく考えれば当然のことであるものの、それに気づきいち早く発信することには、
並々ならぬ勇気を必要ともするでしょうし、確固たる自信もなければなりません。

さて、さて、
いい加減、安穏と「水と安全は無料(ただ)」と
先人が命を懸けて築き上げたものに胡坐をかき、
国家とか、
国防とか、
民族としてのとか、
安全保障とかを考えないのが当たり前。
そんなことは考えなくて良いし、それより目先の利益、生活。
といった考えに染まった日本国民が考えを改める時期が来ています。

なぜこんな若輩者の私が断言をできるのか?
私自身が、幼少時より欧米の文化・精神性を、
後から思えば強制的ながらもその本質に対し理解する環境に居り、
14、15才の頃より日本人以外の考え方に直接触れる機会があり、
大学時代に日本人の現在おかれた特殊性に気づいていたから以外、他なりません。

私は、今ここで言い切ることができます。

いい加減、日本人よ目を覚ましなさい。

それができなければ、「日本人よ」と呼びかけることすら出来なくなるのだと気づいてください。

「別に日本人だろうが、何人だろうがいいじゃん」
「別に先祖なんていいじゃん。腹が膨れるでもなし」
という方々に申し上げる。


あなた方が、苦しみ、苦労し、辛い思いをし、
したくもない事をしているという思いを持つ事。
また、楽しみ、快楽を得、喜びを感じること。
全て、貴方がこの世に存在する故に感じれる事なのではないかと私は考えるのです。

たとえ苦しみであろうとも、感じられることこそが幸せであり、
何も感じられないことこそが、不幸であるという事に気づけないのか?と

なぜ貴方がこの世に存在しえるのか?
それは、紛れもなく父祖が存在したことであり、
脈々とこの国土に根ざした価値観に多大の影響を受けながら、
父祖は血脈を保ったのではないかということを認識していただきたい。

あなたの存在は、
この国土があり、
伝統に裏打ちされた、
歴史の中に存在するのであって、
けっして、あなたが突然にこの世に現われた存在ではないことを思い起こして頂きたい。

貴方が存在すること。
それ自体が歴史であり、それ自体が伝統の継承者でありうることを、
自覚していただきたい。


考えないこと。
考えることの否定、拒否。
それは、先人に対してはもちろんのこと、
同輩に対しても次世代に対しても無責任というものです。



無責任ということが、
最もたちの悪い、陰険な、反社会的、非人間的な判断であり、
いずれは自分に帰る最大の災厄である事に気づいて頂きたい。


例え、自分なりで他人様と少々ずれていても良い。
予想、予測の出来ない人間は、
広義の意味において生きる事を放棄したものである事に、
気づいていただきたいと私は思うのです。



無責任。
無自覚。
これこそが、ヒトとして大罪であると認識していただきたい。
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大人としての責任を忘れてもらっては困ります。

2006年11月02日 00時36分44秒 | 教育、歴史、道徳に関わる話し
つい先日、よき覚悟であれど、「死んではいけなかった」と言ったばかりでした。

教師の質が、生徒と同じになったとまで言われている中で、
その時期、方法を誤った行為であったかもしれませんが、
一つの覚悟の見せ方としてその判断を否定は出来ないと思ったこその私の発言です。

しかるにこれは何たる事ですか・・・
遺書で「パワハラ」訴え、女性中学教諭が自殺…鹿児島(読売新聞) - goo ニュース
これでは、「いじめられたから自殺した」と
遺書を残した中学生たちと何ら変わらない
中学教師が居ると云う事ではないですか。。。

多感な思春期の少年たちにとっては、
自殺が伝染病になのだという事が、この教師には判っていないのでしょうか?

それとも、生徒たちを指導する立場でありながら、
自らも簡単に罹患してしまったのでしょうか?



確かに死にたくなるほど苦しかったのかもしれない。
妙な思想を持ったり、歪んだ価値観を持つ世代が管理職に多い今の日本において、
職場でのパワーハラスメントは確かに酷いものがあります。
実際そういった事例を多く見聞きしますし、
自分自身経験もしてきて居ます。

だからといって、死んでどうします!?
命を捨てられた女性教師やその御両親を哀れに思ふ心もありますが、
ある意味、選択肢が少なく逃げ場のない生徒と、社会人は違います。

それほど納得が出来ないならば、抗議をすればよい。
黙殺されるなら、然るべき手段をとればよい。
それでも駄目ならば、職場を変えればよい。
それすら適わぬなら、職業を変えても良い。

いったい、何と情けない、甘えた人間が教師をしているのかと、
ほとほと嫌気がさしてきます。
正直、この記事に接したとき云い様のない怒りが突き上げたのが、
偽らざる心境でもあります。


今この時、子供たちを救わねばならぬ者が何をやっているのか!と・・・


女性であること、(どうやら校長先生も女性のやうですが・・・間違って居たら申し訳ない)パワハラを受けて自殺した事。
この女性教師を、可哀想に思い擁護する意見も多いと思いますが、
私は、教師という立場にありながら、この状況・時期の中で安易に
あてつけのやうな自殺をしたこの教師を、擁護する言葉を持ちません。

高久裕一郎校長の自死とは、
たとえ、その本質の部分で被るものがあったとしても、
その見え方に大きく差があります。
当然、その受け取り方にも大きな差が出るのです。

到底、同列に語ることは出来ないどころか、
まったくその行為のもたらす結果は、相反するものである事を気付かれている方も多いでしょう。

自己の内面に対する未解決事を自らの死に帰結する事は、
自己の弱さ以外、何物でもありません。

人は弱きものです。
死の誘惑は、甘きかほりをもって人の弱き心に付けこみます。
しかし、死の荘厳さ、その価値、その美しさ。
そしてそれに相対する生の尊さ、その価値、美しさ。
これらを教えねばいけない立場の人間が、
このやうな選択をしてしまう、
させてしまう構造に異を唱え改善するのは急務ですが、
それ以上に必要なのは、大人個々による大人としての自覚です。



大人たちよ、自覚を持っていただきたい。
貴方は自ら大人であると胸をはれますか?
例え胸を張れずとも、大人であろうと言動に責任を持ち、努力していますか?


子供は、大人の背を見て育つのです。
大人としての責任を忘れてもらっては困ります。
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死んではいけなかった。

2006年11月01日 07時42分02秒 | 教育、歴史、道徳に関わる話し
必修漏れ、自殺一因か 茨城県教委、校長の遺書一部公表(朝日新聞) - goo ニュース
<以下引用>
茨城県教委が公表した遺書


   お願い

一、生徒の調査書、成績表については、生徒に瑕疵(かし)はありません。生徒に不利益にならない御処置をお願い申し上げます。


一、三年四組・五組の皆さんには、迷惑をかけますが学校から出される補習日程に従って補習を受けるようお願いします。


 右願い、一命を副(そ)えてお願い致します。

     高久裕一郎

「一命を副(そ)えてお願い致します。」
その覚悟や立派。
その姿や美し。

しかし、死んではいけなかった。。。
今、自死することではなかった。

そういった想いが強く残ります。


この問題は、今に始まった事ではありません。
似たやうな話は、随分と前からあったことなのです。
社会の健常化に伴い表面化したに過ぎません。
簡単な問題ではないからこそ、もう少し生きて頂きたかった。
生きて、問題解決に力を出して頂きたかった。

その後に事へ至ったのであれば、
教師の質が下がり、生徒と同列になりつつあるとまで云われている昨今において、
「未だ教育者にも真の士あり」と見せられた事でしょうに・・・
残念でもあります。


高久校長のご冥福をお祈りすると同時に、
全校生徒の前で、「校長先生の御霊~」と発しえた先生にも、
是非とも、今後頑張っていただきたい。

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