無名人独白集

美しいもの、麗しいもの大好き。その真逆は嫌い。
故に「小異に拘り、大道を外す事勿れ」
そんな我侭で偏屈な人の独り言。

紫陽花の傍らにて

2010年06月24日 19時41分08秒 | 
【参院選公示】石原都知事が激怒、演説中の「白真勲コール」に「日本人ならルールを守れ!!」
http://sankei.jp.msn.com/politics/election/100624/elc1006241438032-n1.htm
>「日本人ならルールを守れ!!」

> 都内で行われたたちあがれ日本の参院選第一声の際、]
>“応援団長”として演説をしていた石原慎太郎・東京都知事が激怒する場面があった。
>演説中に近くで民主党比例代表候補の白真勲氏に対する「白真勲コール」を聞かされたためだ。

> 新宿駅西口の小田急百貨店前で24日午前11時すぎ、たちあがれが演説を開始した。
>ところが、与謝野馨共同代表の演説中に、100メートルも離れていない京王百貨店前に白真勲氏の宣伝カーが止まり、
>鈴木寛文部科学副大臣らが演説を始めた。

> 与謝野氏は演説を終えると、すぐさま白氏の宣伝カーに直行、
>「公党間の約束で決めた場所に勝手に入ってくるな」と白陣営に抗議した。
>鈴木氏らは一時演説を中断させたが「公道でやるのだから自由だ」と拒否し、
>結局演説を強行した。

> 与謝野氏はその後、怒りを抑えきれないまま、
>記者団らに「政治生活でこんな選挙妨害をされたのは初めてだ。これこそ民主党の姿だ」。

> 小田急百貨店前では共産党、たちあがれ、公明党の順で街頭演説をすることになっていた。


100メートルも離れていない京王百貨店前に白真勲氏の宣伝カーが止まり~演説を始め
「公党間の約束で決めた場所に勝手に入ってくるな」と白陣営に抗議されると。
「公道でやるのだから自由だ」と拒否。結局演説を強行した。



【参院選公示】たち日VS民主応援演説新宿駅前ニアミス、民主側が反論
http://sankei.jp.msn.com/politics/election/100624/elc1006241646035-n1.htm
> 参院選公示日の24日午前、新宿駅西口でたちあがれ日本と民主党の応援演説がニアミスした問題で、
>民主党・白真勲候補の選対本部長で衆院議員の末松義規氏(54)は
>「(たちあがれ日本の)代表の演説が終わるまでは待ったが、我々も支持者を待たせていたので、仕方なく演説を始めた。
>私も長年選挙戦を戦っているが、最初と最後は乱立する。演説をやっているところであとから始めるのは何度もあった」と反論した。

我々も支持者を待たせていたので、仕方なく演説を始めた。
私も長年選挙戦を戦っているが、最初と最後は乱立する。演説をやっているところであとから始めるのは何度もあった」と反論した。

でも本当は、
小田急百貨店前では共産党、たちあがれ、公明党の順で街頭演説をすることになっていた。

画像保存するのも馬鹿馬鹿しい内容なので、敢えて全文引用させて頂きました。

さて、赤文字の部分だけ見ていきますと、なんとなく、違和感を感じます。
「白っぁん。。。そりゃぁ横紙破りの上、開き直りっぅんだよ!」
と云いたくなるのは、おかしな事なのでしょうか。

これは、自らも韓国に在住経験があり、北朝鮮への訪問経験もある上に、
奥様も在日韓国人である筑波大学大学院教授 古田博司氏なども、
良く良く御存じの事だと思いますが。
日本人と、朝鮮族の大きな違いは、「勝つために何をしても正当化される」と本気で考え、
実践できる処であると良く云われます。
かくいう私も、一部の外国人を除く、所謂、外人の感覚にこの意識を大きく感じる事が少年期より多々ありましたが、
特に、正当派の儒教系の感覚を持つ方たちには、なぜかその意識が強いやうにも感じています。

これに対し、日本人の感覚はその真逆であります。

それこそが、日本人の美意識であり、日本特有の文化を醸成してきたのではないでしょうか。

私は、日本人は事の正邪云々や論理云々ではなく、全ての価値観にこの美意識を使用する事により、
その行動規範とも云えるものとしてきたのではないかと思います。

この赤文字を追うにつれ、日本の文化破壊そのものにつながりかねない外国人参政権など、やはりとんでもない話であり、
ある意味、その歴史的経緯からも同一価値観に限りなく近い、
西欧の感覚をそのまま適応する愚を犯そうとしている有権者の判断は、
浅慮そのものだと云わざるを得ません。
しかし同時に、半世紀以上続く日本国民の自己喪失とも云える状態により、
どれほどの現代日本人が、この違和感を持ち得ているのか不安になる、
憂いを感じざるをえない選挙の夏風景が、あちらこちらで見受けらます。
それは、有権者側にも弁者側にも云える事です。


この美意識は、元来の躾、正規の基礎教育によって醸成されてきたものでしょう。
そう考えれば、親の子に対する躾。義務教育における基礎教育。先輩の後輩に対する教育。上司の部下に対する教育。
一生にわたって、実に教育の重要性が浮き上がってくるものです。


ちなみに昨今問題となった、外国人横綱の問題も、これに起因する話であるというのは云うまでもない話でしょう。


ジメジメとする梅雨時にあっても、その粘り付くやうな雨を「豊饒の為の恵みの雨」と考え、
紫陽花の美しさを愛でられた故人たちは、この状況を草葉の陰よりどのやうな眼差しで見つめている事でしょうかね。

故人の還る季節が近づくにつれ、その視線を強く意識せざるを得ない日本人は、今、如何程居られるのでしょうかね。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする