無名人独白集

美しいもの、麗しいもの大好き。その真逆は嫌い。
故に「小異に拘り、大道を外す事勿れ」
そんな我侭で偏屈な人の独り言。

65年前の覚悟

2006年12月08日 00時28分02秒 | 独り言・・・
今から65年前の1941年12月8日未明(日本時間)以降たった半日に
何があったのか?
何が起こったのか?

いうまでもなく、日本帝国海軍が米国太平洋艦隊司令部のあるハワイ真珠湾を奇襲攻撃し、
日本帝国陸軍がマレー半島北端に奇襲上陸。
それと相前後して、台湾から飛び立った海軍航空隊は、
フィリピン クラーク飛行場を攻撃しアメリカ極東航空軍の過半を開戦初日で撃滅、
バタン島に帝国陸軍第14軍の一部が上陸。
そして
12月10日には、あの肝の塊のやうなウィンストン チャーチルをして絶句せしめ、
その著書第二次世界大戦回顧録に、
「戦争全体で(その報告以外、)私に直接的な衝撃を与えたことはなかった」
と書き記させたマレー沖海戦へと、
まさに怒涛・破竹の戦いの始まった日であります。


これから起こるのであればまだしも、
終わった戦争を是か非か問うほどナンセンスなことはありません。
ましてや、その当時の見方でなく現在の視点・感覚において
善悪を問うなぞは、抱腹絶倒ものの喜劇をするつもりでなければ、
止めて頂きたいものです。

戦争が良くない、何でもかんでも暴力は絶対悪であると言うのであれば、
人間がこの地球上に存在する事自体が悪である。
と云うのと似た話になってしまうということを、気づかない方が実に多いものです。

人は、生きている以上、周囲や互いを削りあい進むものです。
これは、ヒトが個々の生物体である以上、避けられない事実であり、
それを根幹的に避けるためには、
自我を消滅させるために、個々の肉体を捨て、
意識集合体のやうなものに昇華しなければ無理な話です。
その事実を確りと認識した上で、
私達は、生のヒトとして生きていかねばなりません。

それをしない以上、
ヒトは、個々及びにその集合体たる個別の意識において、
永遠にその自我・自意識に押しつぶされ、
他人・他者を押しのけて自我を通すことになるでしょう。

まずは、在った事をあったと妙な着色をせずに認めること。
その上で、埒のない非難や責任の押し付け合いをせず、
変えやうのない過去に拘泥せず、ましてや、その過去を利用せず、
現在の価値観にて判断することなく、その時代その時代の状況を理解するやうに努め、
その事実を正確に把握することさえ出来れば、良いのですが、、、

まぁそう巧くはいかぬものです(苦笑


ただ少なくとも、
私たちは、悪であることは承知の上で、
その必要性、蓋然性を踏まえ議論することをせず、
唯々ひたすらに忌避する様は、
到底、知識人・識者と呼ばれるには程遠い姿である事を、知っているのです。
知っている以上、声を上げて指摘するべきなのです。


やれる事を、やる事しか私達は出来ません。
しかし、
やれる事は、やらねばなりません。

それが、現在を生きる私達の、父祖に対する義務であり、
将来を担う子供たち世代への責任なのですから。


65年前の今日、
先人たちが苦渋の選択を、並々ならぬ覚悟の上でした事。
そうせざるを得なかった事。
その決断を考察することもなく、
それを後ろ支えする勇気も持ち得ぬ者が、
愚にもつかぬ論をまことしやかに語ることには虫唾が走りますが、

少なくとも志を持つ方々は、
現代に生きるものの務めとして、
その心意気を心に留めて65年前のこの日に想いを馳せて欲しいものです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする