ちょっと長い「ひとこと感想」その3。
緊急上映会のチラシに、「核廃棄物の危険性をテーマにした米国のドキュメンタリー映画『ダーク・サークル』に触発されて神戸で制作が始まった後、チェルノブイリで事故が起きた」という説明があった。25年前の映画なので、当時のデータ(原発の数、使用済み燃料の総量等々)の数字のささやかさが、私には逆に目に沁みた。(今はこんなものじゃなくなっている・・・。)
ほんの30分ほどのドキュメンタリーなのだけれど、「トイレのないマンション」と呼ばれる原子力発電所の当初からの問題点が、簡潔にわかりやすく説明されている。
確実に増えていく核廃棄物、深夜に核燃料を載せて原発へと疾走するトラックの列、そして「これまでの経緯から、再処理は無理だと思います。」という専門家の言葉・・・メディアの表にはあまり登場してこなかった?日本の原子力発電の「現実」を見ながら、思ったのは、「25年後の今も、廃棄物については何も進展してない。それなのに、『事故』だけは起きてしまったんだ・・・。」。
本当は・・・25年じゃない。私が学生の頃だから、さらに10年以上遡る。
大学での小さな勉強会で、原発についてのレポートを担当した友人は、アメリカの原発についての本を探して調べたことを報告してくれた後、最後に自分の感想としてこう言った。
「日本の原子力発電が今後どうなっていくのか、実感として掴みにくいし、そもそも想像するのも難しいんだけど、とにかく"廃棄物"だけは確実に増えていく。それだけは確か。」
「でも、今の時点でもグラフはこれほど急カーブで上昇してるのに、処理技術がどうなるのか見通しが立ってるようには思えなかった。」
「ほんとにこのままで、発電所を増やしてなんかいけるんだろうか。そこまで乱暴なことを本当にするとは思えないんだけど・・・。」
私たちは、原発のことなど何も知らなかったからこそ、「トイレ」を作れる見通しナシに、マンションを建てるとは思えなかったのだ。インターネットも無かったあの時代、若かった私たちは、今より人間の良識(というか「常識」程度の論理性?)を信じていたのかもしれない。そして10数年・・・
初めての子どもが生まれて間もなく、チェルノブイリで事故が起きた。
子どもが小さかった割りに、私は放射能について無頓着だったけれど、周囲の若いお母さんたちは食品汚染をずいぶん気にかけていたのを思い出す。でも、チェルノブイリはまだまだ、心理的には遠い場所だった。
1986年の映像を見ながら、そんなことを思い出した。(福島第一2号機の原子炉で温度が上昇しているという今、遠い過去を思い出しているような場合じゃないんだけど。)
ご報告とお礼、どうもありがとうございます。
しばらくPC開けてなくて・・・遅くなっちゃって、ごめんなさい(^_^;。
ヤマさんも仰るとおり、とにかく「想像を絶する無責任さで事が進んでいく」ばかりで
唖然とするようなニュースが、今も続いてますね。
先日、家で家族と一緒に『インサイド・ジョブ』っていうドキュメンタリー映画を見ました。
サブプライム・ローンが破綻して、世界恐慌が起きる前後の顛末を描いてる作品でしたが
日本の原発事故もアメリカ経済も、構造は同じだと思いました。
観た後、どうしたらいいのかワカラナイ無力感?のようなものもソックリでした。
お金でもって権力側(政治・経済・学問)をがっちり抱き込んでしまえば
あとはもう何をしても(しなくても)大丈夫・・・
でも、人間って本当にこういうものなのかしら。
で、そういう人たちが社会の上層部として高く評価されて当然なのかしら。
子どもや若い人は、ソウイウ人(立場)に少しでも近づくために
あれほど勉強・就活してるのかしら・・・などなど。
う~ん、アタマが回ってないので上手く書けない。
でも、素朴に猛烈に腹が立ったのも同じだったので
つい書いてしまいました
昨日付けの拙サイトの更新で、こちらの頁をいつもの直リンクに拝借したので、報告とお礼に参上しました。
我々の年齢になって本作を観ると、その当時を同時代で過ごしているだけに、いろいろ思うところが多くありますよね。なぜ止められなかったんだろう? まさかそこまでずさんなことはしないだろう、良識(というか「常識」程度の論理性?)として。とか思ってたのでしょうね、誰しも。
でも、想像を絶する無責任さで事が進んでいくわけですよ。今騒がれている汚染水の漏水問題にしても、そこまで杜撰なヤッツケ処置がされていたのかと呆然としてしまいます。人間のすることって本当に罪深いですよね。
どうもありがとうございました。