【幸せ☆は突然やってくる】

幸せはどこにでも見つかるもの!
虹の彼方ではなく、ほらすぐそこにも!
何気ない日常に見つけるシアワセのオスソワケ♪

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なんにもなしにすると何でも入る

2005-07-22 | Weblog
最近ますます「自分の頭の中の雑音」が消えていく。
気がつくたびに摘んで捨てる・・を繰り返しているおかげでしょうか。

以前は人に会うと、
「なんでこの人こうなんだろ(こうじゃないんだろ)」とか
「もっと~であるべきだ(べきでない)」とか
「この人は多分こんな人だな(こんな風に考えるんだろうな)」とか

【頭の中に勝手に現れてくる雑音】が妨害電波のように煩く飛び交って、
そして目の前に居る人と本当には一緒に居なかったように思う。

雑音を捨てて「なんにもなし」になって行くと、荒れた藪だった場所が
広い草原に変わったようで、そのスペースに何でもすーっと入ってくる。

意味づけ・解釈・思い込みの雑音をすてて、ぽっかり大きな空間を空けると・・

誰とでも、何とでも、すっと自由に付き合えるようです。

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2 コメント

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Unknown (nagi)
2005-07-25 11:12:54
「なんにもなし」って、本当は、全てを含んでいることなのかもしれないんだ、って、思っちゃった。



以前、ねこひめに聞いた話を思い出した。

「いろいろな香りが、すべて、ほんとうに調和すると、無臭になるんだよ」って。

(ねこひめがどんな言葉を使って、伝えてくれたのかは、忘れちゃった、、、ゴメンね。たぶん、もっとすてきな言葉だった気がする)



それを聞いたとき、それって、なんかスゴイ!と思ったんだけど、

ブログを読んで、それをおもいだした。



なんにもなし、ってスゴイ。

「頭の中の雑音」 (zazen256 )
2005-08-04 04:38:55
 お久しぶりです。

 私が講読している「「大法輪」八月号p99に次のような記事がありました。先生が体験されていることと共通するのではないでしょうか?

 道元の言葉について次の様な紹介記事があります。

 「 『虚空の如く学ぶべし』 」とは、

花を黄色だと思えばそれをただちに放棄して「虚空の如く学ぶ、これが人間のなす仏道修行の奥義なのです。もしよくわかり充実したと言うなら、それは捏造であって無限ではない。人間にとって不確かな、茫漠たることこそ無限の便りだというわけです。」 と。

 この前に、次のような解釈文があります。

「たとえば花を見、黄色だと認めたとき、実際の花はX線や赤外線などなど無数の光線を受けているのですが、人間はその光りの一部だけを感じて黄色と見るのです。本当は無限の存在、無限の色のはずで、人間が見ることができるのは限定された情報です。ですから私たちが認識し、思考するのは人間的に限定することです。」

  ( 正法眼蔵「摩訶般若波羅蜜」

      愛知県東泉寺住職 前川睦生 )

とありました。



 いつも私はこのことと似たようなことを考えてはいるのですが、仲々自分のものとはできないため、日常生活のなかでは常に忘れ去っています。



 「頭の中の雑音」がなくなった状態は、つまり「虚空のような状態」とも言えるのではないでしょうか。そのなかに真実があると思います。私は気が向くたびに「空の世界」のことを考えているのですが、学習能力と集中力が不足しているため仲々「その真実」を掴むことができません。



 今後ともよろしくお願いします。

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