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東山魁夷の「行く秋」が生まれた町

2012-04-08 00:14:00 | Weblog
東山魁夷の「行く秋」は、秋になると玄関に飾る。

「行く秋」は、私の宝物。
黄金色」に輝いて、秋を豪華にしてくれる。

私の「行く秋」は、もちろん、オリジナルではない。
1,050円だった。でも、大きい、A1サイズ。

「行く秋」のオリジナルは、
「東山魁夷館」が所蔵している。

東山魁夷の「行く秋」が生まれた町は、どこだろう?
ドイツ北部」、というが、広い。
ドイツ北部の、どこの町だろう?
「行く秋」の故郷を知りたい!

東山魁夷の著書、ほかをみると、
「行く秋」を、つぎのように説明している。
1)「森と湖の国への旅」、東山魁夷著、講談社、2008年では、
「白樺の林の道を、池の岸へと歩いて、
ふと、心に思い当ることがあった。
これが私の心に、長い間、郷愁の象徴として、
潜在していた風景ではなかったかと」

「秋深い林の中を落葉を踏んで歩く。
(かえで)の黄葉が地上に織り上げた金色のタペストリー。
行く秋は淋しいと誰が言ったのか。私が見出したのは、
荘重で華麗な自然の生命の燃焼である」

2)「四季めぐりあい 秋」、東山魁夷著、講談社、1995年では、
「たとえば、庭の一本の木、一枚の葉でも、
心を籠めて、眺めれば、根源的な生の意義を、
感じ取れる場合がある」

3)「別冊太陽 東山魁夷」、菊屋吉生監修、平凡社、2008年では、
ドイツ北部にて取材した東山魁夷の作品。
人生も終焉を迎えた東山の作品のなかでも、
生命の輝きが画面いっぱいにはなたれ、
とても眩(まぶ)しく感じられる一点」

4)「生誕100年 東山魁夷展」、尾崎正明編集、日本経済新聞社、2008年では、
の樹と周囲に敷き詰められた黄金色落葉を描く。
中央に平面的な樹の根元を置き、
色感と落葉の形体によって奥行きを表している」
「東山はこの作品で『荘重で華麗な自然の燃焼』を主題とした」

5)「もっと知りたい東山魁夷」、鶴見香織著、東京美術、2008年では、
「一株の(かえで)の根元に敷き詰められた、
黄金色落葉の絨毯(じゅうたん)が描かれる」
ドイツ北部の景色に、
『荘重で華麗な自然の燃焼』を、
見てとった魁夷は、一抹の寂しさとてない、
絢爛(けんらん)豪華な色彩美を画面につくりだした」

私の宝物、「行く秋」の生まれた街は、
「ドイツ北部」であることは、わかる。
しかし、どこの町か? は、書いてない。

東山魁夷は、1969年にドイツ・オーストリアを旅して、
紀行文、「馬車よ、ゆっくり走れ」を書いた。新潮社、1971年。

ここで、長野県の須坂市まで寄り道して、
この紀行文と同じようなタイトルの石碑を見る。
「馬車よ ゆっくり走れ!」。「蔵の町」横町。

「字」も「馬車の絵」も、東山魁夷からの贈りもの。

「蔵の町」を復興した記念に、入り口で、
「歩み入る者に安らぎを、
去りゆく人に、しあわせを」
の願いをこめて、訪れる人を出迎える。

「蔵の町」には、製糸業で栄えた当時の建築物を復興してある。
まゆ蔵」。

昔の日本の主産業は製糸業だった。
須坂では、まゆ蔵をよく残してくれたと思う。
岡谷にいっぱいあったまゆ蔵は、今はない。

まゆ蔵は、「ふれあい館まゆぐら」という博物館になっていて、
道具(かいこ棚)や、機械類(座繰器)が展示されている。
帰りに、お茶とつけものをごちそうになった。
入館料はタダだったが。


さて、東山魁夷の紀行文、
「馬車よ、ゆっくり走れ」にもどって、
「馬車よ、ゆっくり走れ」の章では、
つぎのように書いている。

ラッツェルブルクからメルンへ向かう道は、
橅(ぶな)の森の、匂うばかりの若葉の下を走る。
メルンに、道化者ティル・オイレンシュピーゲルがいた。

ある朝、馬車を走らせて田舎道を進んでくる人がある。
道端にいたティルの前で馬車が止まり、
「次の町まで何時間かかるかね?」と聞く。

ティルは馬車の様子を見て答える。
「そうさね。ゆっくり行けば4、5時間だね。
急いで行くと、1日がかりかね」

「人を馬鹿にするな」
と、男は怒って馬に鞭を当て、
前よりも早く馬を走らせた。

2時間ほどで馬車の車が壊れ、
次の町へようやく辿り着いたのは真夜中だった。

「なぜ、人は急ぐのだ」
科学の急激な進歩は、工業の発達は、
スピードと騒音と、人間喪失と、
自然の破壊と大気の汚染をもたらし、
ますます人間にとって住みにくい環境を造り出している。

紀行文「馬車よ、ゆっくり走れ」の、
ドイツの地図に文字を書き入れた。

ラッツェルブルク①は、ドイツ北部の町である。
メルン★②は、ラッツェルブルク①の南西。

東山魁夷画文集」、東山魁夷著、1978年を、
松本の古本屋「青翰堂」(せいかんどう)で買った。
この「東山魁夷画文集」、全10巻、別巻1巻の中に、
「行く秋」を描いた町の記述がないか? 探してみる。

「ドイツ北部」を旅して「公園」、「楓(かえで)」、「秋」、「黄金色」、
「落葉」、「湖」、「黄葉」、「森」、「白樺」などをヒントにして。

そして、「行く秋」を描いた町の記述らしいものは、つぎである。
a)「馬車よ、ゆっくり走れ」、東山魁夷著、1969年では、
オイティーン③のゼーシャルの森か?
「薔薇の町」の章には、つぎのように書いてある。

「オイティーンは、ドイツの最も北の地方」
「湖畔の城と自然林の赴きを残した庭」
「白樺と樅(もみ)の美しい公園、
「湖畔沿いに木の橋を渡って行くゼーシャルの森」

b)「馬車よ、ゆっくり走れ」、東山魁夷著、1969年では、
ベルリン④のティーヤガルテンか?
「再びティーヤガルテンで」の章には、
つぎのように書いてある。

「私の足は、自然にティーヤガルテンの中へ入って行った」
「もう、ベルリンにも別れる時が来た。
白樺の林の道を、池の岸へと歩いて、
ふと、心に思い当ることがあった。
これが私の心に、長い間、郷愁の象徴として、
潜在していた風景ではなかったかと」

これは、説明文1)と同じである。
そうすると、「行く秋」は、ベルリン④のティーヤガルテンか?
しかし、「秋」、「楓(かえで)」、「落葉」などの言葉はない。
ベルリン④を訪れたのは、春だから。

さらに、「行く秋」に関係しそうな記述を探そう。

c)「馬車よ、ゆっくり走れ」、東山魁夷著、1969年では、
ハンブルク⑤のザクセン・ヴァルトか?
「ザクセン・ヴァルトの秋」の章には、
つぎのように書いてある。

「黄ばんだ茶褐色の葉は、主に橅(ぶな)で、
(かえで)も交じっていた。
樅(もみ)の森が、背景になっていた。
地面には落葉が散り敷いていた」
「これが昔、ザクセン・ヴァルトで私の感じたものであり、
その後も脳裡に深く蔵(しまわ)われている光景である。
ヴァルトとは森の意味である。森の持つ魅力に、
このときほど引かれたことはなかった」

d)「東山魁夷画文集 六本の色鉛筆」、東山魁夷著、1979年では、
ハンブルク⑤のザクセン・ヴァルトか?
「ザクセン・ヴァルトの秋」の章には、
つぎのように書いてある。

「ザクセン・ヴァルトのに心を打たれたのは、
私の画家としての振り出しの地点であったのです」
「こんどの旅でも、ハンブルクに着くなり、
その日の午後、ザクセン・ヴァルトへ行っています。
それは、11月のはじめでした」

「例年よりも紅葉が残っていると土地の人は話していました」
「厚い絨毯(じゅうたん)を踏むよりも、もっと靴が深く沈み、
その上に弾力があって歩く度にざくざくと音を立てる落葉

e)「東山魁夷画文集 六本の色鉛筆」、東山魁夷著、1979年では、
ハンブルク⑤のザクセン・ヴァルトか?
「ザクセン・ヴァルトの秋」の章には、
つぎのように書いてある。

「『ドイツの森の落葉は、
それぞれの木の形なりに散り敷いています』
とハンブルクのある婦人が言いましたが、これは、
たいへん感じを捉えた表現だと思います。
風がなく、どの木の落葉も、その木を中心として、
落ちたままの場所に積もってゆくのです」

「茶色の塊(かたま)り、オレンジ色の塊り、
橅(ぶな)は橅、(かえで)は楓というふうに
それぞれの木の下に、ぐるりと纏(まとま)っているからです」

f)「東山魁夷画文集 六本の色鉛筆」、東山魁夷著、1979年では、
メルン②か?
「メルンの町」の章には、つぎのように書いてある。

「メルンのホテルへ着くと、湖に沿う道を歩いてみました」
「多彩なの木の葉の彩り、水面を流れ過ぎてゆく落葉
落葉の厚く敷きつめた草地、小高い丘の林というふうに、
自然の趣をゆっくり観賞しながら歩くことができます」

g)「東山魁夷画文集 六本の色鉛筆」、東山魁夷著、1979年では、
メルン②か?
「落葉の森」の章には、つぎのように書いてある。

「メルンの想い出の風景は、全て茶色のトーンです。
グレーを帯びた静かな渋い茶と、
オレンジや黄に近い、やや、鮮やかな茶色の、
二つの系統が混り合っています」

「森や林を好む私は、秋の落葉の森も大好きです。
だいぶ前に落ちた葉と、新しく落ちた葉の色彩の鮮度の違い、
木の種類による落葉の豊富な色彩の変化、
晴れた日、雨の日の違い、
乾いた落ち葉、霜を置く落葉」

h)「東山魁夷画文集 旅の環」、東山魁夷著、1980年では、
ハンブルク⑤か? メルン②か?
「第三部」には、つぎのように書いてある。

「私はハンブルクとメルンに十日ばかり滞在した。
北ドイツの湖沼地帯の秋色を見たいと思ったからである。
幸いにその年の秋は天候が穏やかで紅葉が、
かなり残っていたのはうれしかった。
紅葉と言っても、橅(ぶな)、菩提樹、(かえで)、柏(かしわ)、
白樺などであるから、黄褐色から茶褐色の渋い色調である」

「ハンブルクの市内にも、近郊にも森が多く、
ことにザクセン・ヴァルトと呼ばれる広大な森は、
若いころに見たの色彩が忘れられないものになっている。
六年前に訪れた時は早春の季節であったが、
こんどは厚く散り敷いた落葉を踏み、
暗い水の上に漂い流れる色とりどりの紅葉を、
眺めながら森の中を歩いた。
そして遠い昔の印象が鮮やかに蘇えるのを感じた」

「ハンブルクの東南方にあるメルンは、
いくつもの湖に囲まれた小さな町」
「野趣のみなぎる静寂な環境は、
すでに冬の訪れを待つばかりの季節となり、
私にはいっそう好ましく映った」


「東山魁夷画文集」から、
「行く秋」が生まれた町の記述を探してきた。
そして、「行く秋」が生まれた町の候補は、つぎになった。
メルン②、
オイティーン③のゼーシャルの森、
ベルリン④のティーヤガルテン、そして、
ハンブルク⑤のザクセン・ヴァルト。

東山魁夷の説明文と一致するのは、
ベルリン④のティーヤガルテン、である。

しかし、東山魁夷がベルリン④訪れたのは春。
それに、「秋」、「楓(かえで)」、「落葉」、という言葉がない。
でも、「長い間、郷愁の象徴として潜在していた風景」として、
「荘重で華麗な自然の生命の燃焼」を、描いたと思えばいい。

「秋」、「楓(かえで)」、「落葉」、という言葉があるのは、
ハンブルグ⑤のザクセン・ヴァルトである。
それに、「行く秋」を記述している文がある、
「木の落葉も、その木を中心として、
落ちたままの場所に積もってゆくのです」

東山魁夷の説明からは、
ベルリン④のティーヤガルテンです。

秋に現地を訪れて、
「楓(かえで)」、「紅葉」、「落葉」に感激しているのは、
ハンブルグ⑤のザクセン・ヴァルトです。
「北ドイツの湖沼地帯の秋色を見たいと思ったからである」

「ザクセン・ヴァルトの秋に心を打たれたのは、
私の画家としての振り出しの地点であったのです」
と、ハンブルグ⑤のザクセン・ヴァルトへの想いは強い。
「こんどの旅でも、ハンブルクに着くなり、
その日の午後、ザクセン・ヴァルトへ行っています」

「行く秋」は、
ベルリン④のティーヤガルテンか、
ハンブルグ⑤のザクセン・ヴァルトにしぼられた。

どちらであっても、
「行く秋」は、「黄金色」に輝き、
私の「宝物」であることに、
かわりはない。
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