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東山魁夷の「自然は心の鏡」

2012-04-22 00:00:45 | Weblog
東山魁夷の「自然は心の鏡」。

東山魁夷のお墓にある石碑。

文箱(ふばこ)型の石碑に水をあげて、手できれいにした。
しばらくすると、「魁夷」が白く浮き出た。
東山魁夷にお会いできたようで、
うれしくなって撮った。

東山魁夷のお墓。

善光寺大本願、花岡平(はなおかだいら)霊園。2012年4月。

赤い信州りんごと、白い干し柿で、お墓が明るくなった。
石碑、「自然は心の鏡」は、右にある。

花岡平霊園からは、長野市街を見渡すことができる。2012年4月。

「東山魁夷館」①と「善光寺」②。
③は「信濃美術館」で、「東山魁夷館」①とは連なっている。

東山魁夷は、生前に墓地を決めていた。
作品を育ててくれた故郷信州である。
多くの作品が収蔵されている「東山魁夷館」①を、
望めるこの場所が、気に入っていた。
東山魁夷の「夢見る場所」。

夕星」(ゆうぼし)。東山魁夷の絶筆。1999年。

「東山魁夷館」所蔵。絵はがきから。

東山魁夷は「夕星」について、話している。
「これは何処の風景というものではない。
そして誰も知らない場所で、実は私も行ったことがない。
つまり私が夢の中で観た風景である。
私は今までずいぶん多くの国々を旅し、写生をしてきた。
しかし、ある晩に見た夢の中の、この風景がなぜか忘れられない。
たぶん、もう旅に出ることは無理な我が身には、
ここが最後の憩いの場になるのではとの感を、
胸に秘めながら筆を進めている」
「心の風景を巡る旅」、東山魁夷著、講談社、2008年から。

「夕星」の4本の木は、両親と兄、弟という。
空には、一つの星が輝く。
湖に映ってはいない。

「夕星」には、「魁夷」のサインと落款はない。
一度は入れたサインと落款だが、消している。
まだ、筆を加えるつもりだったのだろう?

「東山魁夷館」から、東山魁夷の「夢見る場所」が望める。

「東山魁夷館」の庭越しに山が見えるが、
ここで、東山魁夷は夢見ている。

右の4本の木は、
なぜか、「夕星」のようだ。
水に映っているところまで。

東山魁夷のお墓で、振り返ると、5本の杉が見える。

「夕星」の木のようだ。

「私は今までずいぶん多くの国々を旅し、写生をしてきた」
「ある晩に見た夢の中の、この風景がなぜか忘れられない」
と、東山魁夷が言っている。
パリ郊外を描いた「静唱」(せいしょう)が、「夕星」に似ている。

「静唱」。1981年。「東山魁夷館」所蔵。絵はがきから。
東山魁夷の夢の中に、パリがある。

東山魁夷の本に、
「自然は心の鏡」の文がないか?
「自然は心の鏡」につながる文がないか?
探してみた。

「東山魁夷画文集 美の訪れ」、東山魁夷著、新潮社、1979年、
の中に、「風景美はだれのもの」がある。

日本自然の美に恵まれた国である。
亜熱帯から亜寒帯に及ぶ変化の多い景観は、
四季の装いによって、実に多彩である」

井上 靖、川端康成、東山魁夷の3巨頭が、
安曇野の長峰(ながみね)山に集っている。1970年。

安曇野の先に、北アルプスが連なる。
「川端康成と東山魁夷 響きあう美の世界」、求龍堂、2006年発行から。
「五月の若緑に蔽われた安曇野は、なんと美しかったことか」
と、東山魁夷は言っている。

日本人は古来、自然を愛し
自然と密接なつながりを持って生活してきたが、
西洋人は、自然は人間と対立するものと見て、
それらを克服するところに進歩がある、
と考えてきたといわれる。
現在はそれがになったのではないだろうか」

「自然を人間生活の進歩のために利用する、
ということは当然のことであるし、
また、レクリエーションのための施設、
ドライブやケーブルカーなども、
ある程度は結構なことだと思う」

「しかし、私のように、戦前戦後を通じて、
始終、旅行している者から見ると、
もう遠くない将来に、
日本は風景の美しい国であった
と、過去形で語らねばならない時が来ると思う。
いや、現在、そうなっているとさえいえる」

「富士山の八合目までケーブルを架設する計画も、
現在五合目までバス道路ができているのだから、
これ以上、必要はないと思う」

「自然美だけでなく、
民族の生活のにおいを残している古い町も、
ほとんどが何とか銀座と名のつく、
安っぽい町並みに変わってしまった」

風景美だれのものか。
心ない行楽客のものでなく、
観光事業会社のものでなく、
われわれ国民全体の所有である」

「上高地」、松本市。

梓川(あずさがわ)、河童橋(かっぱばし)、穂高連峰を望む。
東山魁夷は、上高地を訪れている。

「特に重要で美しい場所は、
もっと強力保護される方法はないものだろうか。
日本美しい風景の国であると、
われわれの子孫も語ることができるように」


さらに、「自然は心の鏡」に、つながる文を探してみると、
「日本の美を求めて」、東山魁夷著、講談社、1976年の中に、
一枚の葉」がある。

「日本の美を求めて」の表紙に使われている、
秋思」(しゅうし)。1988年。奈良県天理市。

「東山魁夷館」所蔵。絵はがきから。

「私が常に作品のモチーフにしたり、随筆に書いているのは、
清澄な自然素朴な人間性に触れての感動が主である」

「現代は文明の急速度の進展が、
自然と人間人間と人間の間のバランスを崩し、
地上の全存在の生存の意義と尊さを見失う危険性が、
高まって来たことを感じるからである。
平衡感覚を取り戻すことが必要であるのは言う迄もない」

清澄な自然と、素朴な人間性を大切にすることは、
人間のデモーニッシュ(悪魔的)な暴走を、
制御する力の一つではないだろうか。
人はもっと謙虚に自然を、
風景を見つめるべきである」

「たとえば、庭の一本の木、一枚の葉でも心を籠めて眺めれば、
根源的な生の意義を感じ取る場合があると思われる」

「日本の美を求めて」、東山魁夷著、講談社、1976年の中には、
心の鏡」がある。

自然人間対立するものとしない感じ方、考え方が、
幼い頃から私の中に芽生えていたことは事実である」

「私は人間的な感動が基底になくて、
風景を美しいと見ることは在り得ないと信じている。
風景は、いわば人間の心の祈りである」

「私は清澄な風景を描きたいと思っている。
汚染され、荒らされた風景が、
人間の心の救いであり得るはずがない。
風景心の鏡である」

緑響く」。1982年。「東山魁夷館」所蔵。絵はがきから。

長野県、茅野市の奥蓼科にある御射鹿池(みしゃかいけ)がモデル。
緑の風景が、御射鹿池に鏡のように映る。

日本の、何という荒れようであろうか。
また、競って核爆発の灰を大気の中に振り撒(ま)く国々の、
何という無謀な所業(しょぎょう)であろうか。
人間はいまんでいる」

「母なる大地を、私達はもっと清浄に保たねばならない。
なぜなら、それは生命の源泉だからである」

「自然として生きる素朴な心が必要である。
人工の楽園に生命の輝きは宿らない」

「私達の風景という問題には、
いまこそ私達人間の生存がかかっていることを、
否応なしに深く考えざるを得ない現在である」


東山魁夷の想い!
自然は心の鏡
そして、東山魁夷の最後の言葉!
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