6月12日(日曜日)、雨が上がったので、
おひさまの安曇野と松本めぐりをした。
そのときと、ほかの写真を掲載します。
安曇野は、「碌山美術館」と「大王わさび農場」、
それに、「天蚕(てんさん)センター」へ。
そして、松本は、ツール・ド・美ヶ原の「美ヶ原高原」、
「開智学校」、「松本城」、それに「旧制松本高等学校」へ。
「碌山美術館」、安曇野。2011年6月1日。
何度も訪れている「碌山美術館」だ。
父に連れられて。子どもを連れて。そして、一人で。
「荻原守衛(碌山)の絶作《女》の全貌」展をしている。9月4日まで。
碌山は1910年に没しているから、没後100年になる。
何度もみた「女」だ。
碌山美術館のほかでも、
2011年2月に、長野の信濃美術館で、
2011年3月に、東京国立近代美術館で。
「碌山美術館」の「女」を、借りてくるわけではない。
それぞれの美術館が所有している「女」を展示している。
「大王わさび農場」の「おひさま」の家のセット。2011年6月12日。
左の雲の上に顔を出しているのが常念岳(じょうねんだけ)。
セットの屋根の右が有明山(ありあけさん)。
家の右は、清流の蓼川(たでがわ)。
蓼川(たでがわ)で、ボート遊び。2011年6月12日。
三連の水車小屋、蓼川、堤防の右が万水川(よろずいがわ)。
ボート遊びは人気で、列ができていた。
「天蚕(てんさん)センター」。安曇野。2011年6月1日。
野生の蚕(かいこ)、天蚕の展示と手よる機織りの実演。
パンフレットの中央上部に、クルクルと巻かれたのが、実際の天蚕糸。
手による機織り。職女? はショールを織っていた。写真を撮らせてくれた。
「じょうぶですよ」と言われて、
天蚕糸を40センチほどもらって、左右に引っ張ってみた。
伸びるけれど、切れにくい。それに、青くつやがあった。
「1日にいくらも織れない」
「根気のいる仕事です」
「20年やっている」
「職女は、やがて鶴になる?」と笑い合った。
「おひさま」効果で、天蚕センターを訪れる人が増えた、と言う。
さて、私、天蚕はどこにいるでしょうか?
左からクヌギ、コナラ、ブナ、カシワの木。
私、天蚕は黒い幼虫で、
葉っぱがかじられたところを探してみると、
左のクヌギと右のカシワにいます。
左のクヌギ。
脱皮して、みどりになり、まゆのさなぎになり、ガになるのをみたい。
「幼虫をあげる」と、スタッフは言うが、
家の周りにクヌギやブナはない。
あきらめた。
「美ヶ原高原」。2011年6月12日。
美ヶ原高原のヒル・クライム、「ツール・ド・美ヶ原」は、
松本の浅間温泉から、美ヶ原高原まで21.6キロ、
高低差1,270メートルを駆け上がる自転車レース大会で、
来週の6月19日に開催される。
大会に備えて、試走するレーサーが大勢いた。
ゴール直前を登るレーサー(左)と、
試走を終えて下るレーサー(右)。
奥のテレビ塔は、美ヶ原高原の王ケ頭(おうがとう)、2,034m。
埼玉からきたレーサーは、
「標高が2,000メートルだから、上は涼しい」
「スタート直後の登りがきつい」
「来週の大会には出る」
と言う。
大会には2,000人が参加するが、
レーサーの脚力と心肺機能は並外れている。メタボがいない。
試走を終わったレーサーが、美ヶ原高原から松本市街へ駆け下りていく。
北アルプスの眺めが、レーサーのごほうび。大会当日は、晴れてほしい。
右の木の上が大天井岳(おてんしょうだけ)2,922m、
その左、三角が槍ヶ岳(3,180m)。
常念岳(2,857m)は、槍ヶ岳の手前になるが、見難い。
雲海の下が、安曇野と松本市街。
安曇野と松本は、山に囲まれている。
東は美ヶ原高原(2,034メートル)、
西は北アルプス(3,000メートル級)。
「ツール・ド・美ヶ原」のポスター。美ヶ原高原の売店で。
「開智学校」。2011年6月12日。
美ヶ原高原から、高低差1,270メートルを松本へもどった。
自転車ではない、車で。
多くの観光客が訪れる。松本城に近い。
「松本城」。2011年6月12日。
常念岳は、雲のあいだから、かすかに見えた。
雨上がりの日曜日、多くの観光客が訪れる。
近くの駐車場は、列ができていた。
「旧制松本高等学校」。2011年6月4日。
「おひさま」の陽子が通った「松本女子師範学校」には、平成の陽子の声が響く。
松本-安曇野-美ヶ原高原-松本は、およそ100キロのドライブ。
アルプスを見ることができれば、言うことなし。
おひさまの安曇野と松本めぐりをした。
そのときと、ほかの写真を掲載します。
安曇野は、「碌山美術館」と「大王わさび農場」、
それに、「天蚕(てんさん)センター」へ。
そして、松本は、ツール・ド・美ヶ原の「美ヶ原高原」、
「開智学校」、「松本城」、それに「旧制松本高等学校」へ。
「碌山美術館」、安曇野。2011年6月1日。
何度も訪れている「碌山美術館」だ。
父に連れられて。子どもを連れて。そして、一人で。
「荻原守衛(碌山)の絶作《女》の全貌」展をしている。9月4日まで。
碌山は1910年に没しているから、没後100年になる。
何度もみた「女」だ。
碌山美術館のほかでも、
2011年2月に、長野の信濃美術館で、
2011年3月に、東京国立近代美術館で。
「碌山美術館」の「女」を、借りてくるわけではない。
それぞれの美術館が所有している「女」を展示している。
「大王わさび農場」の「おひさま」の家のセット。2011年6月12日。
左の雲の上に顔を出しているのが常念岳(じょうねんだけ)。
セットの屋根の右が有明山(ありあけさん)。
家の右は、清流の蓼川(たでがわ)。
蓼川(たでがわ)で、ボート遊び。2011年6月12日。
三連の水車小屋、蓼川、堤防の右が万水川(よろずいがわ)。
ボート遊びは人気で、列ができていた。
「天蚕(てんさん)センター」。安曇野。2011年6月1日。
野生の蚕(かいこ)、天蚕の展示と手よる機織りの実演。
パンフレットの中央上部に、クルクルと巻かれたのが、実際の天蚕糸。
手による機織り。職女? はショールを織っていた。写真を撮らせてくれた。
「じょうぶですよ」と言われて、
天蚕糸を40センチほどもらって、左右に引っ張ってみた。
伸びるけれど、切れにくい。それに、青くつやがあった。
「1日にいくらも織れない」
「根気のいる仕事です」
「20年やっている」
「職女は、やがて鶴になる?」と笑い合った。
「おひさま」効果で、天蚕センターを訪れる人が増えた、と言う。
さて、私、天蚕はどこにいるでしょうか?
左からクヌギ、コナラ、ブナ、カシワの木。
私、天蚕は黒い幼虫で、
葉っぱがかじられたところを探してみると、
左のクヌギと右のカシワにいます。
左のクヌギ。
脱皮して、みどりになり、まゆのさなぎになり、ガになるのをみたい。
「幼虫をあげる」と、スタッフは言うが、
家の周りにクヌギやブナはない。
あきらめた。
「美ヶ原高原」。2011年6月12日。
美ヶ原高原のヒル・クライム、「ツール・ド・美ヶ原」は、
松本の浅間温泉から、美ヶ原高原まで21.6キロ、
高低差1,270メートルを駆け上がる自転車レース大会で、
来週の6月19日に開催される。
大会に備えて、試走するレーサーが大勢いた。
ゴール直前を登るレーサー(左)と、
試走を終えて下るレーサー(右)。
奥のテレビ塔は、美ヶ原高原の王ケ頭(おうがとう)、2,034m。
埼玉からきたレーサーは、
「標高が2,000メートルだから、上は涼しい」
「スタート直後の登りがきつい」
「来週の大会には出る」
と言う。
大会には2,000人が参加するが、
レーサーの脚力と心肺機能は並外れている。メタボがいない。
試走を終わったレーサーが、美ヶ原高原から松本市街へ駆け下りていく。
北アルプスの眺めが、レーサーのごほうび。大会当日は、晴れてほしい。
右の木の上が大天井岳(おてんしょうだけ)2,922m、
その左、三角が槍ヶ岳(3,180m)。
常念岳(2,857m)は、槍ヶ岳の手前になるが、見難い。
雲海の下が、安曇野と松本市街。
安曇野と松本は、山に囲まれている。
東は美ヶ原高原(2,034メートル)、
西は北アルプス(3,000メートル級)。
「ツール・ド・美ヶ原」のポスター。美ヶ原高原の売店で。
「開智学校」。2011年6月12日。
美ヶ原高原から、高低差1,270メートルを松本へもどった。
自転車ではない、車で。
多くの観光客が訪れる。松本城に近い。
「松本城」。2011年6月12日。
常念岳は、雲のあいだから、かすかに見えた。
雨上がりの日曜日、多くの観光客が訪れる。
近くの駐車場は、列ができていた。
「旧制松本高等学校」。2011年6月4日。
「おひさま」の陽子が通った「松本女子師範学校」には、平成の陽子の声が響く。
松本-安曇野-美ヶ原高原-松本は、およそ100キロのドライブ。
アルプスを見ることができれば、言うことなし。