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串本の水と土

2008-05-31 10:22:42 | Weblog
かねてから、訪れたいところがあった。
それは、和歌山県の串本トルコ記念館である。
信州からは、車で岐阜県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、
奈良県、大阪府を経て、そして和歌山の串本まで600キロある。
奈良で1泊して、5月27日の朝、トルコ記念館に着いた。


なぜ、和歌山県の串本か?
トルコを訪れたときに、トルコ人から、
フラスコに入った和歌山県串本のが、1990年の
トルコと日本の修好100周年の祝賀会の会場に、置かれたのです」
 と、聞かされたからである。
――串本の水と土とは、なんのことだろう?
――どうして、日本の和歌山県串本を知っているのだろう?

トルコ親日国である発端は、串本にあったことを、トルコで知った。
「1890年に、オスマントルコ帝国の軍艦“エルトゥールル号”が、
日本を親善訪問して帰る途中、和歌山県串本沖で台風に遭って、沈没しました。
串本の村人は遭難者を崖からかつぎ揚げ、食料を持ち寄って介護しました。
乗組員600人のうち69人は助かり、トルコに送り届けられました。
遺体が捜索され、ていねいに埋葬されて、義捐金まで届けられました。
この美談が、トルコと日本の友好関係の起点となっているのです」
串本の水と土は、海と土に還ったトルコ人の御魂(みたま)を鎮(しず)めている。

東京都三鷹市の中近東文化センターで開催された、
「エルトゥールル号回顧展」へ行ってみた(2007年)。
エルトゥールル号の写真や遺品が展示されていた。
串本のトルコ記念館からの貸し出し品、とある。
ほかに、日本とトルコの友好が発展した展示もあった。


このほかにも、トルコ人が勇気づけられたことがあった。
「1905年の日露戦争で、日本がバルチック艦隊を破ったのです」
 と、仇敵ロシアに苦しめられていたトルコ人は歓喜した。
そして、トルコから助け舟があった。
1985年のイラン戦争で、テヘランに閉じ込められた日本人216名が、
トルコの特別機によって、危機一髪で脱出できたのである。
これらは自費出版した『世界がみる日本の魅力と通知表』に、
「“百年後の恩返し”をしてくれたトルコ人」
として書いてあるので、参照してください。

エルトゥールル号が遭難した現場は、
トルコ記念館の2階から眺めることができた。
写真の説明が置いてあるから、座礁した岩を特定することができる。

中央の波で囲まれている岩が、遭難現場と説明があった。

トルコ人が、行って見たい国の一番に挙げる日本
そして、時間があれば、串本を訪れたいだろう。
そのトルコ人に代わって、エルトゥールル号の遭難現場を、ズーッとみた。
コメント
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