barayuka雑記

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時間と言葉と作業と編むこと

2017-11-22 19:16:37 | 日記
ふと、思ったこと。言葉の認識の違い。
私の言葉は義務教育時代に感覚と深く結びついていた。学んだことは、体の中心に落とし込む感じ。英語が得意で好きだった。英会話教室に行ってて人より学びはじめるのが早かったせいもあるかもしれないけど、よくできたので、優位性を感じられたせいもあったのかもしれないけど、文法の中にある法則性や音を聞いたまま発音することや、色んな感覚と繋がっていた。

そんな私は大学に行ってすぐ躓くことになる。今になって思うのは、好き嫌いがあったはずなのに自分が何が「したい」とか「やりたい」とか目的意識がきちんと持てなかったことじゃないかと思う。そんなわけで中退して、学ぶことは好きだったのに、より深く学ぶことはなかなか出来ておらず、興味のあることは必要に応じて本を買って読んだりはしてたけど、それでも体系的に学んだ人とは認識のずれがあるんだろう。「自分の分野」というものを持てないので、あくまで色んな分野を知っている素人に過ぎない。

正確さや慎重さに関しては自信があったりするのだけど、世の中が捉える「医療」や「福祉」や「心理」の感覚がわからない。だから、私がどんなに自分の言葉を使って症状や困りごとを説明しても、伝わらないんだろうか。

「何がいいたいの?」「何がしてほしいの?」とイライラしながら言われるとき、なんと答えるべきなんだろう、何を求められてるんだろうと考える。私は私の説明の仕方しかできなくて、「だから?」となると、私は私で自分の言いたいことが何も伝わらない辛さを感じるし、咄嗟になんと答えるべきなのかわからなくて返事ができない。

「〜をしたいからこのように手助けしてください」なんて、言えること自体がすごく高度だと思う。何が出来るのですか?とききたい。私は「働きたい」と言うけど、どんなことがしたいとかわからなくて、少し前に好きな作業とかはある?と聞かれたとき、多分与えられたものなら何でも楽しんでやれるのにな、と思った。義務教育時代がそうだったから。

試しにはじめてみたかぎ針編みは、ちゃんと作業として楽しめてる感じだ。愛せてると思う。作り続けてみようと思う。なんでも楽しめる、とわかったら、なんでもできる、とまた思えるかもしれない。



編むことと時間はとても似ていると思った。作業を続けることで何かが形になる、時間を形にする感じ。一目一目を繋げていくことが目に見えて形になって、そのことが自分の実感や自信になる。なるほど、作業療法ってこういうことを言いたいのかな、とふと思った。

時間があって、人がいて、積み重なって、形になる。義務教育時代の語学もそうだった。今の私の場合は、時間ときっかけと、教えてくれる人と、本、あとはひたすら時間。
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