無教会全国集会2018

2018年度 無教会全国集会ブログ

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無教会全国集会2018

2019-09-13 23:51:37 | 表紙

無教会全国集会2018

テーマ「応え給う神」




記 録 集


2018年10月27日(土)~28日(日)市川市山崎製パン企業年金基金会館サンシティ


ご参考

無教会全国集会2017     については こちら
無教会全国集会2015     については こちら  
無教会全国集会2014     については こちら
 
無教会全国集会2013     については こちら  
無教会全国集会2012・沖縄  については こちら  
無教会全国集会2011     については こちら



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開会挨拶

2019-09-13 23:44:00 | 開会挨拶

                         無教会全国集会準備委員会
                         議長 坂内宗男

 
皆さんこんにちは!

今年も100名近い方がお集まりくださいまして、一回限りの気持ちでの毎年来るごとの全国集会が32回目を数え開催出来ましたことを大変有り難く思います。

と申しますのは、御多分にもれず、日本基督教団を中心に、30年問題といわれるように、2030年代には信徒が激減するという危機的予測の中で、キリスト教会全体(無教会も同様)にあっても、高齢化の波のなかで急激な減少は免れず、かくなる状況下での今年の無教会全国集会でもありますので、皆様のご熱意を有り難く思います。

勿論私達は「信仰のみ」に立って、全てを主の御心にお委ねして歩むことは第一義でありますが、しかし、特に将来を担う若者をべストを尽くして信仰に導く土俵造りの努力は日頃為さねばならぬ責務にあることは当然のことでありまして、その意味でも、このようにして今年も開催できましたことは有意義と存じます。

そもそも第1回を開催致した1987年でのテ-マ「信仰による一致」を見る時、その背景には、いわゆる内村鑑三の直弟子達が文字通り神にのみ寄り頼む、天からのマナにのみ生きる捨て身の伝道があり、そこでの世俗や制度教会に対する集会の在り方は、まずもって神と己というタテの関係を強くしたスタンスにあったと思います。しかし、2代目が殆ど主の身元に召されたのが1987年頃であり、すぐれたリ-ダ-に導かれる時代は去って、個々人が横断的エクレシア(集会)にあって祈り励まし合うという時代を迎えて、この全国集会もその線上に在り、今もその重要性はいや増していると思うのであります。

昨年の31回全国集会での「無教会とは」の主題で開催した主旨は、その中に在って大きな節目にかかっているとの認識において、無教会の在り方を総括いたし、その本質を問い、今後の生きる指針を求めた意味合いを持っていたと思うのです。それを受けて、今回のテ-マ「応え給う神」は、生きる意味を問う重要な課題ではないでしょうか。

さて、毎年申し上げていることですが、「信仰のみ」とこの世に「地の塩」として生きることは、車の両輪の如きものでありまして、端的には私どもの全国集会は、いわゆる特別の全国的聖書集会ではなく、またこの世の問題を主題としての集会でもないことです。それは、両者が密接に絡み合った私達キリスト者個々人の存在意味(レ-ゾンデ-トル)を確認し、主を見上げて、この与えられた大地しっかり足を据えて塩として主の証しをするという生き方をエクレシアに当てはめたのがまたこの全国集会でもある、と思うのです。

最後になりましたが、長い間交わりに在る方、初めての方問わず、主に在る愛と信頼において、この二日間を実りある集いとして有意義に用いられますことを願って止みません。

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プログラム

2019-09-13 23:39:28 | プログラム

無教会全国集会2018プログラム

主題「応え給う神」

主題聖句「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマの信徒への手紙8章28節)
 

  第一日 10月27日(土)                       奏楽:安彦真穂

12:30受付

 

 

 

13:30開会式

 

 

 

 

讃美:讃美歌・453「きけや、愛の言葉を」

聖書朗読:ローマの信徒への手紙8章28節祈祷

開会挨拶(10分)

讃美:讃美歌361「主にありてぞ われは生くる」

司会:小舘美彦

一同司会

坂内宗男

13:50主題講演

 

 

講演者紹介  

主題講演(50分)「応え給う神」祈祷

讃美:讃美歌・376「正義の君なる 神の御子の」

司会:坂内宗男友寄隆静

友寄隆静一同

14:50休憩

 

 

15:00証

「人生を通して応え給う神」(各20分)

①「わたしにとって信仰とは -信仰による恵み-」

②「『いわき無教会』との出会いから」

③「人生を通して応え給う神」

讃美:讃美歌・366「父の御神よ、わが世の旅路」

司会:倉井香矛哉浅井慎也

高橋トミ子

田口宗一一同

16:20休憩

 

 

16:30 分科会

 

 

 

「神はどのように応え給うか」(各会場)

会場①3階陽光の間・前方 ②3階陽光の間・後方

  ③5階B会議室    ④5階C会議室

   ⑤6階第3会議室

 

17:50 移動と準備

 

 

18:05 夕食

陽光の間

 

18:50   特別プログラム

   (自由参加)

 

 

 

「無教会と平和主義-なぜ平和憲法を変えては

いけないのか」

特別講演(40分+休憩10分)フロアートーク(40分)祈祷  

讃美:讃美歌228「ガリラヤの風 かおるあたり」

司会:大西   宏

 

萩野谷興一同

司会一同

20:30 散会

 

 

 

第二日 10月28日(日)                       奏楽:佐々木洋子

9:00  受付

 

 

10:00 聖日礼拝

讃美:讃美歌第二編・157「この世のなみかぜさわぎ」聖書朗読:詩篇22章2~6節、23~32節祈祷

讃美:讃美歌21・354「天の神 祈ります」

講話者紹介

聖書講話「生ける神、応えたもう神」(50分)祈祷  

讃美:世界の讃美(2)・15「神の民」

司会:小舘美彦一同司会司会一同司会

吉村孝雄吉村孝雄一同

11:10 休憩

 

 

11:20   発題

 

①「伝道の場で」(20分)

②「病において」(20分)

③「愛する者の死において」(20分)

讃美:讃美歌・273B「わがたましいを 愛するイエスよ、」  

司会:多田義国荒井克浩安川文朗小舘美彦一同

12:30休憩と移動

 

 

12:45昼食分科会

第1分科会発題「伝道の場で」6階第3会議室  

第2分科会発題「病において」3階陽光の間後方  

第3分科会発題「愛する者の死において」5階B会議室第4分科会主題講演「応え給う神」6階第1会議室  

第5分科会特別プログラム「無教会と平和主義」3階陽光の間前方  

 

14:45移動と準備

 

 

15:00報告

 

福島の子供たちのための自然体験キャンプ

①「共に歩んで」(母ちゃんずボランティア)(10分)

②「母ちゃんず~こどもたちの未来を守りたい~」(40分)讃美:讃美歌・495「イエスよ、この身を ゆかせたまえ、」

司会:坂内宗男阿部真知子

竹内亜紀(代表)一同

16:00休憩

 

 

16:10閉会式

讃美:讃美歌第二編・156「めざめよ、わがたま」参加者感想(各5分×2)閉会挨拶(5分)祈祷

讃美:讃美歌・405「神ともにいまして」

司会:荒井克浩

 

小舘美彦司会一同

16:45

散会

 

 
<おことわり>
 このブログに当日のプログラムのうちで、一部掲載していないものもあります


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「応えたもう神」

2019-09-13 23:39:05 | 主題講演

主題講演「応えたもう神」      

                       那覇聖書研究会 友寄隆静

プロフィール

沖縄県本部町(美ら海水族館のある)出身
16歳の時に宮里キリストの教会で受洗
17歳の時内村鑑三『キリスト信徒の慰め』に出会う。
1969年3月同志社大学神学部卒
著書『なぜユタを信じるか、その実証的研究』(1981年8月刊、沖縄社)
那覇聖書研究会会員
職業は認可保育園長・理事長

 私は16歳の時にキリストの教会で洗礼を受け、17歳の時に内村鑑三の「基督信徒の慰め」を読んで、明治の日本に内村鑑三という巨人がいた衝撃を受けました。内村鑑三の信仰と思想によって、私は沢山の恵みを受けました。

内村の信仰のエッセンスは罪の赦しの信仰であり、内村の思想のエッセンスは絶対非戦論になるのではないかと思いました。又、特に信仰の独立、経済の独立、一期一会の教えにも似た一回きりの思いの大切さを知らされました。

イエス・キリストを罪からの救い主として受け入れる者は、罪から解放される。

それによって喜びと自由がいただける。聖霊がいただける。感謝の世界が広がってくる。この世界の造り主なる神様につながることによって、被造世界の現実はどうなっているか、世界は平和であるか、人々は幸せであるか、人権は大切にされているか、差別はないか、子どもや老人は大切に扱われているか、その他諸々の出来事に心が向けられるのも事実である。

 根底にあるものは、罪の赦しによる平和という個人的な救いであります。

神の愛をいただくことによって、「互いに愛し合いなさい。これが私の命令である」のみ言葉を受け、私たちは隣人愛の生き方へ参加させられる。喜ぶ者と共に喜ぶだけでなく、泣く者と共に泣く姿勢が求められる。

キリスト者の自由の行使は多様性があり、試行錯誤し、自分の弱さを痛感しながら、歩んでいく。神につながることは世界につながることになる。

詩篇126:1には「主がシオンの捕らわれ人を連れ帰られると聞いて
         私たちは夢を見ている人のようになった。」とあります。

これはすばらしい出来事、グッドニュースを聞かされた瞬間の喜びであります。

旧約聖書は、神の言葉に従うか否かが興国となるか亡国となるのかの捉え方をしています。偶像崇拝をするかしないかが国の存立に関わるとのことです。実際、偶像崇拝の結果、ソロモン王の栄華の時代が終わると北王国イスラエルと南王国ユダに分裂しますが、さらにその後北王国はアッシリアによりBC721年に滅び、南王国はバビロンのネブカデネザル王の時代BC587年に滅び、バビロンに捕囚となっていきました。が50年後、バビロンも滅びペルシャ王クロスの時に解放宣言が出されエルサレム帰還となります。(エルサレムからイラクのバグダッドの距離は756㎞ある。)

その時の感激が「夢見る人のようになった」と思われます。詩篇120:1が個人的であり、126:1,2は民族的な国家的な出来事のように思われます。

私は故里・沖縄が核も基地もない島になることを「夢」に見ます。

羽田空港から1600㎞南にある沖縄はどんな島であるか、歴史と現実はどうなっているか、「生きて働く神様」はここにもおられるのか、自問しております。沖縄は元々は琉球王国という独立国でした。沖縄と日本との歴史的関係は1609年島津の侵略により属国となる出来事があます。その延長線上に1879年の明治政府による琉球処分、ここで琉球王国は滅亡し、沖縄という名前に変えられました。明治天皇が「沖に縄のように伸びている島」だから沖縄と命名されたと聞いたことがあります。以後、皇民化教育により沖縄はマインドコントロールされ、1945年、捨て石作戦による悲惨な沖縄戦の戦死者20万人を出す流血の島となりました。1952年4月28日、講和条約により日本は独立しましたが、沖縄は米軍支配下の苦難を強いられました。講和条約は国と国による国際的な条約であるわけですが、1947.9の昭和天皇メッセージがその根底にあることに気づかされました。

「天皇の助言者である寺崎英成氏は、沖縄の将来に関する天皇の考えを私に伝えるため、あらかじめ日時を約束したうえ来訪した。・・寺崎氏は、天皇は米国が沖縄、その他の琉球諸島に対する軍事占領を継続するよう希望していると述べた。・・・彼らはロシアの脅威を懸念しているだけでなく、占領が終わったのち右翼および左翼勢力が台頭し、日本の内政に干渉するための根拠としてロシアが利用しうるような「事件」を引き起こすのではないか、と懸念しているのである」と述べ、さらに「また天皇は、沖縄(そのほか必要とされる島嶼)に対する米軍の軍事占領は、主権を日本に置いたままでの長期―25年ないし50年」またはそれ以上のー租借方式と言う擬制にもとづいて行われるべきであると考えている・・・」と書いている。(「資料日本占領―天皇制」=大月書店=より)

平和条約第3条 (1951.9.8サンフランシスコで締結 1952.4.28発効)には、「日本国は、北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。」とあります。

 進藤助教授は「天皇からのメッセージ」が天皇主導下に出されたものか、寺崎を含む天皇側近たちの主導下に発せられたものなのか、今日断定することは困難である」としたが、昭和天皇の侍従長・入江相政氏の日記によって天皇ご自身の考えによるものであることが明らかになった。

「お召ということで出たら昨夜、赤坂からお帰りの車中でうかがった「沖縄をアメリカに占領されることをお望みだった」といふ件の追加の仰せ。蒋介石が占領に加はらなかったので、ソ連も入らず、ドイツや朝鮮のやうな分裂国家にならずに済んだ。同時にアメリカが占領して守ってくれなければ、沖縄のみならず日本全土もどうなったかもしれぬとの仰せ。」(1979(昭和54)年4月19日 入江相政日記第5巻419p)

瀬長亀次郎衆院議員(共産党)は4月27日の衆院沖縄・北方問題特別委員会で天皇の沖縄発言について質問。「天皇は22年9月、米側に対し、側近を通じて沖縄を軍事占領し続けるよう提案していた事実がある。これ、は天皇の国政関与を禁じた憲法に違反する」として、政府の見解をただした。三原朝雄沖縄開発庁長官は「事実関係の有無がつまびらかでないので、責任ある発言を慎みたい」と答えた。 (入江相政日記第5巻470~471p)

このメッセージは私にとっては大きな衝撃でした。私の尊敬する内村鑑三は昭和天皇の即位式典をラジオで聞き、万歳をしたと日記にありましたが、内村の尊敬した天皇陛下が沖縄メッセージをしたことについては衝撃と言わざるを得ません。講和条約によってでなく、天皇メッセージによって日本の独立と天皇制の安泰が実現した日に、私の故里・沖縄は米軍統治下に追いやられ苦難のどん底に落とされた日と気づくまでに私は実に50年かかった気がします。

1979.4の雑誌「世界」で筑波大学の進藤助教授によって発表され、1991.朝日新聞発行の入江相政日記によって証明されるまでに1947から実に44年かかっています。私はこの年、1947年の2月に生まれ、この年の5.3日本国憲法が施行されましたがこの年9月の昭和天皇メッセージが米国に沖縄を売り渡す内容となっていることは衝撃でした。3,4年前に山本太郎参議院議員が平成天皇に直訴しようとしたことが天皇の政治利用になるとしてバッシングを受けたことがありましたが、この昭和天皇メッセージは天皇による天皇の政治利用の最たるものと言えましょう。政治的発言は憲法で禁止のはずなのに、やってしまった。これが日米の関係者によって料理され、講和条約第三条となったことはメッセージとすっぽりかぶさることで明白であると思います。その後の沖縄でどんなことが起こったか1959.6.30宮森小学校ジェット機墜落事件始め、中学生ひき逃げ事件、女性のレイプ事件、人権侵害の数々ははかり知れません。全国巡行した昭和天皇が沖縄には一度も来なかった裏には大きな罪意識がなかったか。沖縄に行けば石を投げられることを恐れていたのではないか、1975.皇太子が来沖の時にひめゆりの塔で火炎瓶が投げられた事件も起こっています。

1950年代、米軍支配下で沖縄の土地を一括買い上げしようとする事件に県民が立ち上がり15万人が集まる島ぐるみ闘争となり、阿波根さん 瀬長さんが非暴力で訴え続けた。「一滴の水も一握りの土も米軍のものではない。沖縄のものだ。」「住民の敵意に囲まれた軍事基地の存在価値は無に等しい」(瀬長亀二郎)

「金は一年、土地は万年」の上り旗を立てて乞食行進もしている。

「乞食をするのは恥ずかしいが、乞食をさせるのはもっと恥ずかしい」

「五本の指はみんな長さが違う。みんな助け合って、誰も威張らない。」

「相手が鬼畜なら我々は人間になろう」「ベビーもママーも本国であなた方を待っている。敵の幸せも考えるのが平和運動」「平和運動は沖縄だけでなく、世界中から軍事基地がなくなるまで続けなければならない」(阿波根昌鴻)

46年前の 1972.5.15日本復帰時 佐藤栄作総理は「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、日本の戦後はない」との名言を残し、ノーベル平和賞も受賞しましたが、祖国復帰は米軍基地付きの偽りの復帰でありました。復帰後約6000件の米兵による事件事故がありそのうち500件は凶悪犯罪です。米軍機による爆音公害も続き環境破壊は今も日常茶飯事です。19959月に米兵による少女暴行事件が起こりました。県民大会が開催され、8万5千人が集まり抗議しました。そのために日米政府は動き、1996.4普天間基地返還(橋本、モンデール会談)を発表したが、しかし、「代替え施設を辺野古に建設する。地元の頭越しに工事を進めることはしない」と橋本総理は言明しました。その後、名護市の市民投票で「辺野古基地建設反対」が民意となったのに、時の市長は「基地受け入れ」を国に伝えて辞任し、後任の市長が選任されていきました。

2013.10 辺野古基地建設反対を公約にして当選した自民党の代議士たち5人が石破幹事長の恫喝に屈して辺野古基地建設賛成を表明し、2013.12には時の県知事も(辺野古基地建設反対を公約して当選したのに)辺野古受け入れ承認を表明し「これでいい正月ができる」と、公約を破りました。その県知事の後援会長の翁長雄志氏がこれを憤り、翌年の県知事選に立候補し、約10万票差をつけて勝利しました。公約破りの5人も全員落選しました。翁長知事は「基地は地域振興の最大の阻害要因である」として辺野古基地建設反対を貫き通し、去る8.8に67歳で逝去。その後継者として立候補した玉城デニー氏が9.30県知事選で相手候補に8万票差をつけて当選となりました。

全国の0.6%の面積の沖縄に、全国の米軍基地の70%を押し付けられて70年、耐用年数200年ともいわれる辺野古基地建設に抗う人々の胸中にあるのは何か。それは戦争につながるものを拒否する「沖縄の心」。これは沖縄の二つの新聞に生かされている。読売新聞や産経新聞にその気概はあるか。政府べったり新聞ではないのか。辺野古基地建設反対の座り込みをしている人々は殆どが高齢者の方々で手弁当での参加です。日当もらって、暴力も振るっているのは防衛局側につく機動隊や海上保安官、基地建設に賛成し警戒船として船を出している地元の漁協関係者です。いつも抗議行動に参加している島袋文子さん(89)は沖縄戦体験者です。戦争の時、家族で避難している時、のどが渇いて水を飲んだ。朝 気が付いたら戦死者たちの血が混ざっていたとのこと。子や孫たちに戦争の苦しみだけはさせたくない、戦争につながる基地建設は認めるわけにいかない、これが平和を願うものの生き方です。介護士として勤務していた女性や牧師婦人たちも基地建設に反対しています。やさしさの塊のような方々であり非暴力に徹する方々です。「沖縄の心は」保革を超えたオール沖縄となり、県知事選で、衆院選で、参院選で何度も示されてきた。安倍政権は天皇陛下の一声には即対応して退位の花道も準備したが、140万人の沖縄の叫びは無視し続けている。沖縄から米軍基地がなくなる日は来るのか。日本政府が今後も基地の島として差別を続けると、沖縄は独立国になる可能性がある。日本の行方は日本政府の沖縄政策に関わる。日米安保条約のために「基地負担を強制しながら負担軽減を唱える」安倍政権が沖縄の米軍基地返還をいうことは99%期待できない。神様が沖縄の苦しみに耳を傾けてくださり、クロス王のような存在を生まれさせ沖縄の基地はいらないから米軍基地は撤去する。か又は嘉手納基地のあたりに直下型地震が起こり、基地が使用不能になる時が来ることがあるかもしれない。生きて働く神様は「主は地の果てまでも戦いを止めさせ、弓を折り槍を断ち、戦車を火で焼かれる」(詩篇46:9,10)神様である。神様の答えは時間的に早く実現する答えがあり、何十年もかかるような答えがある。聖書は何を語っているか。

1.新約聖書におけるパウロの苦悩としてコリント後書12章7~9の「肉のとげ」があり、三度取り去るように神に祈ったとあります。しかし、「私の恵みはあなたに充分である。弱さの中でこそ神の恵みは強く働く」との応えをうけた。パウロは肉の苦しみは自分が高慢にならないための神の使いと理解して、その苦しみを受け入れたとあります。

2.黙示録6章9~11の殉教者の霊魂の叫び「主よ、いつまで裁きを行わず、私たちの血の復讐をなさらないのですか」については、「仲間の僕たちの数が満ちるまでなお、しばらく静かに待つように」との答えがあります。殉教者はまだ不足とのことです。

3.「父よ、できることならこの杯を取りのけてください」の主イェスのゲッセマネの祈りは血の汗を流しての祈りでありましたが、苦難の杯は取り去られませんでした。十字架上の「エリ、エリ、レマ、サバクタニ わが神、わが神なぜ私をお見捨てになったのですか」はイェスの絶望的叫びと言わざるを得ません。しかし、しかしです。 神様はイェスさまを死から復活させることによって、最大最高最深の応答をして下さった。絶望を希望に変えてくださった。

復活という信じられない出来事が絶望を希望に変えてくださった。これは個人大、国家大、宇宙大の応答ではないでしょうか。

神様が最も嫌われるものは何か、戦争です。命の造り主は命が損なわれることを心から悲しまれます。その最たるものが戦争です。

サタンが最も嫌うものは何か イェス・キリストの十字架、復活です。十字架と復活を知らせたくない。キリストによる平和をもっとも忌み嫌うサタンは誘惑の網を広げて妨害を試みます。私たちはそのことを看破しなければなりません。サタン同様、安倍政権が最も嫌うものは沖縄の基地問題は国民に知らせたくない出来事です。心ある方々が沖縄の苦しみに寄り添ってくださることは日本の平和のために大切な一事です。沖縄問題は沖縄のための問題ではありません。日本全国の問題であることを覚えてください。


 

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特別講演

2019-09-13 22:52:09 | 特別講演

特別講演
「無教会と平和主義-なぜ平和憲法を変えてはいけないのか」

萩野谷 興

 

プロフィール
職業:弁護士
今井館聖書集会、西村秀夫先生の家庭集会、札幌聖書研究会などで順次ご指導を受け、1984年から水戸無教会聖書集会に所属。憲法を生かす会・茨城の共同代表。2012年から東海第二原発の再稼働差止訴訟に弁護団の一員として関与。原子力規制委員会は本年11月には再稼働にゴーサインを出す見通し。訴訟と住民運動との提携によりこの状況をどう打開していくかが目下の関心事の一つである。

第1 憲法9条が今まさに変えられようとしていること

  1、安倍氏3選で改憲加速化
   2018年9月20日、安倍晋三首相が、自民党総裁選で3選された。
   このことにより、平和憲法は施行後、最大・最悪の危機に直面している。
   首相は、直後の記者

会見で、憲法9条への自衛隊明記を含む改憲案を秋の臨時国会に提出するとの意欲を示した。それから約1か月の10月24日の臨時国会での所信表明演説で、安倍首相は自民党改憲条文案を憲法審査会に示し、議論を進める方針を明言した。安倍首相の演説の中に、「国の理想を語るものは憲法です。」という言葉がある。この一言に、「冗談言うな」との思いを強くする。国の理想と言えるのは現在の平和憲法そのものであり、9条改正案は国の理想を放棄するに等しいのである。
 ここで、おさらいとして、自民党改憲案のあらましを見ておきたい。改憲項目は4つで、さる3月25日の自民党大会で確認されたものである。
資料A-1(安倍政権の全体像―改憲4項目。添付省略。注1)にその4項目と条文のイメージが書かれている。上から見ていくと、第1は、9条、第2は緊急事態条項、第3は参院選の「合区」解消、第4は教育である。自民党は、2012年改憲草案の中の一部に、すでにこの4項目の改正案を折り込んでいる。

2012年改憲草案と最近の議論の状況とを比較・整理したものがA-2(自民党の改憲4項目と2012年改憲草案。添付省略。注2)である。
今回の私のテーマは平和憲法であるから、9条以外の改憲項目についてはこれ以上深入りしない。ただここで強調したいのは、安倍政権の改憲の真の狙いは9条の改正であり、他の3つは真の狙いをぼやかすためのカムフラージュ的色彩が強いということである。

  2、安倍首相は、本年3月25日の自民党大会で、9条1、2項はそのまま残し、9条の2という条文を新たに設けて、自衛隊を明記するという案をとることを主張した。

この9条の2のイメージはA-1の「9条」の箇所に記載のとおりである。
現行憲法9条1、2項はどうなっているかというと、資料B(現行憲法、自民党改憲草案対照表。添付省略。注3)の3ページを参照していただきたい。上段が現憲法、下段が2012年自民党案である。
 上段の現憲法では、1項は、戦争と武力などの放棄、2項は戦力を持たない、戦争をする権利即ち交戦権は認めない、となっている。下段は、現憲法の2項を削除して、新たに、9条の2で国防軍をうたっている。

 今回の自民党改憲案は、9条1、2項をそのまま残すという点で、あたかも平和憲法の根幹は維持しているようにも見える。しかし、実際はそうでない。ここにカムフラージュがある。このことは、改正案を批判する学者らが異口同音に指摘しているところである。この指摘が正しいことは、安倍氏と一心同体で改正を進める高村正彦氏(発言当時は自民党副総裁)の発言でも裏づけられる。彼は言う。

 「自衛隊を明記するという安倍総理の提案の心は、自衛隊が合憲か違憲かという神学論争に終止符を打つことだ。しかし、集団的自衛権がどこまでできるかという神学論争は引続き残していいということである。党内ではこれでは不十分だという反対意見がある。私も理論的には2項削除論がいいと思っている。しかし、われわれは学者ではない。実現可能な望ましい案を出し、それを実現することが政治家の使命である。」(『安倍総理と日本を変える』飛鳥新社2018.8.21発刊のp.228以下)。

 この発言でも明らかなように、安倍首相の本音は9条2項を削除した上で国防軍の設置を明記すること(それは自民党改憲草案―資料Bのとおり)である。一般国民の受けをよくするために今回の形で改正をひとまず通し、それがうまく行けばあとは勝手にやらせてもらうという魂胆が見え見えである。 

  3、安倍首相の9条改憲の狙いは

 集団的自衛権の全面的な行使や自衛隊のさらなる海外派兵にあると考えられる。そのことはこれまでの安倍氏の折々の発言に加え、①  2014年7月、集団的自衛権が9条の下で認められるとの閣議決定、② 2015年9月、平和安全法制の強行採決等からも明らかである。

 言葉は「安全法制」ではあっても、実体は「戦争法制」である。これを積み重ねてきた安倍政権と国会の最近の情勢は次のとおりである。より詳細な動きについては、資料C(年表/改憲をめぐる動き。添付省略。注4)を参照されたい。

  (1)秘密保護法の制定

2013年10月 特定秘密保護法を国会に提案し、11月に「国家安全保障会議」
設置法を成立させた。この「会議」は、戦争を遂行するための国家機関、いわば
戦争の司令塔である。

2013年12月6日 特定秘密法の強行採決。
2014年12月 同法施行。
以上により戦争を進めるための情報管理体制が構築されたと言える。

  (2)閣議決定で改憲

2014年7月1日、集団的自衛権の行使を認めることを閣議決定。
集団的自衛権の行使を認めないことは歴代政府の憲法解釈・内閣法制局の確定した見解であった。これを一内閣の独断で変更してしまったのである。

  (3)平和安全法制(実は戦争法制)の強行成立
2015年9月19日未明、つぎの2つの法律が強行成立。

 ①  「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」(通称 平和安全法制整備法)(自衛隊法、重要影響事案法、武力攻撃事態等法などを含む10の法律の改正)

 ②  国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律(通称:国際平和支援法)

 以上の①、②を併せて平和安全法制(=実質は戦争法)と略称するが、
これらの法律は、手続きに多大な疑問があるが、政府は適法に成立したとして、
2016年(平成28年)3月29日に施行された。しかし、戦争法は、集団的自衛
権を認めるもので、戦後日本の安全保障政策を根本的に転換しようとするもので
あり、明らかに違憲である。

 今回の安倍政権の改憲の狙いは、自衛隊そのものの違憲性の議論に決着をつけると共に、これらの法律の違憲性を解消することにある。この憲法改正が実現すれば、9条は死文化すると言ってよい。

第2、自衛隊と憲法9条との関係

  1、 自衛隊は、今や世界有数の軍事組織である。主要12か国における日本の地位はつぎのとおり(2018.10時点ウィキペディア)。
軍事費(2016年)では、1位 アメリカ6,045億ドル、2位 中国1,450億ドルなどで、日本は473億ドル(約4兆7,000億円)で6位に位置する。フランス(7位)、ロシア(8位)、ドイツ(9位)よりも多額である。
兵員数(2017年)で見ると、1位 中国218.3万人、2位 インド139.5万人、3位 アメリカ134.7万人、4位 ロシア83.1万人と続き、日本は24.7万人で8位。フランス(20.3万人)、ドイツ(17.7万人)より多い。

  2、 憲法学者の大半は、自衛隊が憲法9条に違反しているとの見解である。これに対して従来の政府は、違憲ではないという立場をとってきた。その理由づけはこうである。
自衛権は国家固有の権利として、憲法9条の下でも否定されていない。そして、自衛権を行使するための実力を持つことは憲法上許される。つまり、自衛のための必要最小限度の実力は憲法9条2項の「戦力」には該当しない、というのが政府の見解であった。ここに言う「自衛のための必要最小限度の実力」とは何かは必ずしも明確ではないが、政府は、他国に侵略的な脅威を与えるような攻撃的武器は保持できないと説明してきた(芦部信喜『憲法(新版 補正版)』岩波書店P62)。

 この政府見解は現在の自衛隊の規模、戦闘能力などを前提にすれば受け入れがたいが、ともかく自衛隊の存在は既成事実化し、国民の大半はそれを問題視しなくなっていると言ってよい。
 なお、この政府見解は、安倍政権が2014年の閣議決定で9条の解釈を変更する前までのものである。その後は限定的とは言え、集団的自衛権を認めることになったので、従来の説明は通用しなくなった。

3、自衛隊は年々増強され、今や世界有数の軍事組織となっている。
自衛隊は、1954年の自衛隊法制定以来60年余存在し続けている。憲法学者の大多数は、憲法違反であるとはっきり主張する。裁判例でも、札幌地裁第1審の長沼判決(=福島判決)は違憲説をとった。これに対し、政府は、自衛隊は、個別的自衛権の行使(=専守防衛)のため、必要最小限の実力を保有するにすぎないから合憲であるとの見解に立ってきた(ただし、この政府見解は、前述のとおり2014年の安倍政権の9条解釈の閣議決定により変更された)。

自衛隊が存在するという現実と絶対的平和主義の理想をうたう9条とのギャップを法理論上どう説明するかはきわめて難しい問いである。
最近の中国や北朝鮮の脅威に対して日本および国民を守るには9条が邪魔であるとの素朴な思いを抱く人々がかなりいることも事実である。
そのような人々に対し、憲法改正はすべきでないことをわかり易く説明する必要があるが、なかなかむずかしいと私は実感している。

このような問題意識を持つ私にとり、憲法学者小林直樹の説明が参考になった。その要旨を紹介する(小林直樹『憲法第九条』岩波書店)。

「自衛隊は、憲法上は許されない存在。しかし、正規の手続を踏んで成立した自衛隊法に基づくから合法である。ゆえに自衛隊の存在の現実は、違憲かつ合法という矛盾状況として受け止めるのが正確な法的認識である。矛盾した緊張関係を正確に捉えることにより、その解消という問題に国民を向かわせることになるだろう。」

自衛隊は憲法上は許されていないが、国会が正規の手続を踏んで成立させた自衛隊法に基づくものであるから、合法であるという。これは明らかに矛盾だが、この矛盾を率直に認めようとの提言である。
 矛盾の解決の一つの方法は、9条を削除し、または改正して、自衛のための軍隊を持てるようにすることであるが、それはとりえない。

ではどうするかというと、一方で自衛隊の合法性を認めつつ、法律の枠外に出る活動をしないようにコントロールしていく、他方、憲法の観点から違憲性を常時自覚させ、平和憲法の理想への引き戻しの運動と政策を促進させる。

そして、小林は、「平和のための積極的構想」として詳細かつ多岐にわたる方策を提案している。示唆に富んでいるのでその骨子を次に引用する。

①仮想敵国を作らない。②アジア地域に安定空間を拡げ、ひいては世界の非核化と軍縮への足がかりをつくる。③非武装の徹底。それにより節約した費用を平和教育や国際支援などに使用。④軍事費よりも国民の福祉や教育への投資など。

これら諸施策により外国からの侵略の可能性を著しく減少できるであろう。

第3、なぜ平和憲法を変えてはならないのか。
現在、平和憲法を良いと思っている人は当然にこれを変えてはいけない理由も知っている。
 しかし、平和憲法の存続が大きな危機に直面している今こそそれを変更してはいけない理由を再確認しておく必要がある。思いついたいくつかをつぎに掲げる。

  1、まず、一般的に言われている理由はつぎのとおりである。

  (1) 戦争の悲惨さを経験した国民の多数は喜んでこれを受容したこと。
15年戦争による犠牲者は、日本人が約310万人、中国を初めとする外国人が2000万人をはるかに越えると言われている。この被害および加害の事実が象徴する戦争の悲惨さを契機として現憲法が誕生した。

そして、指導者たちはもちろん一般国民の多数もこの憲法を喜んで受け入れた。このことは、1946年4月17日に公表された「憲法改正草案」について同年5月に毎日新聞が行ったアンケートの結果で、70%の人が戦争放棄に賛成したということにも表れている。

  (2) 歴代保守政権による、憲法9条の改変の企てに対し、平和を望む広範な人々が抵抗し、これを阻止してきたこと。平和憲法の誕生が多くの国民によって祝福され、迎えられていたのに、1950年の朝鮮戦争の開戦を機にアメリカおよび日本の為政者からは邪魔者扱いされるようになった。

 1950年の警察予備隊設置後、1952年に保安隊、1954年の自衛隊に改編され、順次軍備が増強されていった。これらの事態に対し、憲法を支持する実に多数の人々が力を合わせこれを守るべく言論と裁判をも含む行動に力を注いできた。
 裁判闘争の結果として、下級審ではあるが、たとえばつぎのような歴史に残る違憲判決を勝ち取っている。

1959年3月30日 東京地裁判決(砂川事件。裁判長は伊達秋雄)
「アメリカ駐留軍は憲法9条2項の戦力に該当するから日米安保条約は違憲」
1973年9月7日 札幌地裁判決(長沼事件 裁判長 福島重雄)
「自衛隊は憲法9条に言う『戦力』に該当し、違憲」
 裁判所は、極力違憲判断を避けようとする傾向がある。そのような中、違憲判決が出されたことは貴重である。長沼判決は、深瀬忠一北大教授の憲法理論などを武器とし、数多くの関係者(市民、憲法学者、弁護士など)の協力によって勝ち取られたものである。

 この事件一つをとっても憲法を守る闘いの大変さと重要性の一端を知ることができる。このように平和憲法は、私たちの先輩たちや同時代に生きる人々の汗と涙によって今日まで辛くも守られてきた。この事実を重く受けとめるとともに、今ここに生きる私たち一人ひとりがこれを守り育てていく責任があることをあらためて確認したい。

(3) 平和憲法があるため、日本はこれまで外国で戦争や戦闘行為をすることがなかっ
た。また、志ある人々が平和の精神を持ち、外国で人道的な活動を地道に行ってきた。これらにより、日本および日本人に対する諸外国の信用・信頼を得てきたこと。上記のことによって、戦後の復興や経済の発展、暮らしの豊かさがもたらされた。
 終戦後70年が経過したが、その間、自衛隊が戦争で人を殺したり、また戦争で殺された人がいなかったというのは特筆すべきことである。



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