富岡製糸場です。ウィキペディアにも色々書いてありました。
ここは繭を入れておく倉庫。伊藤博文とか大隈重信、渋沢栄一とかがかかわって、
フランス人の技師の元、官営の模範製糸場として作られたそうです。
明治5年に建てられて、昭和62年まで操業していたとの事。
初めてレンガを焼くところから、瓦職人が試行錯誤して作ったそうです。
この煉瓦の組み方はフランス式ですって。
杉や松などの木材と組み合わせて作られていました。
この方が、40分ほどで解説をしてくださいました。
とても上手でわかりやすく楽しい解説でした。
看板の上下にあるのが倉庫で、縦に長いのが繰糸場。
完成当初世界で一番長い繰糸場だったそうです。
繭から糸を取り出して、絹糸にして束ねた製品にする場所です。
繰糸場の内部です。140mあるそうで、途中に柱はありません。
天井に連なる三角が重さを支えているそうです。
10個の繭から糸を取りだし、まとめて糸にしていきます。
上のオレンジ色の容器に茹でた繭が流れてくる仕組み。
糸が切れたりすると、2枚のガラスで検知していて、追加ができるそうです。
「今あるこの機械を作ったのは、現在の自動車メーカーの一つですが、
どこでしょう?」という質問がありました。
自動織機を連想して、「トヨタ!」と皆さん言われたんだけど、実は「日産」でした。
日産でもプリンス系との事、意外なこともあるんですね。
こちらは女性たちの寄宿舎です。
電燈がないので、一日7時間半の作業で、日曜日は休みも新しい方法だったとか。
ここで学んだ人が、全国の繰糸場へと教えに行く仕組み。
この建物は、1940年ごろのものだそうで、それにしても古いです。
この工場は官営だったものが、三井になり、
次に原三渓(横浜三溪園の)、最後に現在の片倉になったそうです。
日本の細くて強い絹糸がアメリカの女性たちのストッキングになり
足を見せるファッションを作りだし、またナイロンの台頭で衰退など
面白い話がいっぱいありました。
もう一度ゆっくりと見に行きたいものです。
ここは繭を入れておく倉庫。伊藤博文とか大隈重信、渋沢栄一とかがかかわって、
フランス人の技師の元、官営の模範製糸場として作られたそうです。
明治5年に建てられて、昭和62年まで操業していたとの事。
初めてレンガを焼くところから、瓦職人が試行錯誤して作ったそうです。
この煉瓦の組み方はフランス式ですって。
杉や松などの木材と組み合わせて作られていました。
この方が、40分ほどで解説をしてくださいました。
とても上手でわかりやすく楽しい解説でした。
看板の上下にあるのが倉庫で、縦に長いのが繰糸場。
完成当初世界で一番長い繰糸場だったそうです。
繭から糸を取り出して、絹糸にして束ねた製品にする場所です。
繰糸場の内部です。140mあるそうで、途中に柱はありません。
天井に連なる三角が重さを支えているそうです。
10個の繭から糸を取りだし、まとめて糸にしていきます。
上のオレンジ色の容器に茹でた繭が流れてくる仕組み。
糸が切れたりすると、2枚のガラスで検知していて、追加ができるそうです。
「今あるこの機械を作ったのは、現在の自動車メーカーの一つですが、
どこでしょう?」という質問がありました。
自動織機を連想して、「トヨタ!」と皆さん言われたんだけど、実は「日産」でした。
日産でもプリンス系との事、意外なこともあるんですね。
こちらは女性たちの寄宿舎です。
電燈がないので、一日7時間半の作業で、日曜日は休みも新しい方法だったとか。
ここで学んだ人が、全国の繰糸場へと教えに行く仕組み。
この建物は、1940年ごろのものだそうで、それにしても古いです。
この工場は官営だったものが、三井になり、
次に原三渓(横浜三溪園の)、最後に現在の片倉になったそうです。
日本の細くて強い絹糸がアメリカの女性たちのストッキングになり
足を見せるファッションを作りだし、またナイロンの台頭で衰退など
面白い話がいっぱいありました。
もう一度ゆっくりと見に行きたいものです。