むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

日本映画「ユメ十夜」…うーんいまいちだな(+「虹を架ける王妃」)

2007-10-15 01:15:39 | 芸術・文化全般
夏目漱石の「夢十夜」をオムニバス映画にした「ユメ十夜」を見てきた。本当は今台湾で話題沸騰となっている李安(アン・リー)監督の「色戒」を見たかったんだが、ちょっと今日は肌寒く、3時間近くの「色戒」を見るのはしんどいので、安易に?「ユメ十夜」に走った。

感想は、いまいちというところだ。10点満点でいうと5点くらいか。それなりに面白かったが、ただそれだけ。驚きだったのは、第2夜の市川崑監督、まだ生きているんだ!それからプロローグとエピローグに戸田恵梨香、第10夜で松山ケンイチと、デスノートのデジャヴュを見せられるとは思わなかった。映画としてはデスノートのほうがはるかによかった。

そもそも原作そのものがシュールがこの作品を実写映画化するなら、新たにアレンジして解釈を提示するべきだろう。実際それぞれにアレンジはされているんだが、運慶が仁王像を彫り出す第6夜を2ちゃんねる用語で現代的に再編したものがそれなりに創意工夫が見られる(やや悪乗りが過ぎたとはいえるが)以外は、あまり印象的だったとはいえない。
私個人は漱石の小説はあまり好きではないが(鴎外のほうが好き。ただし漱石は文明や近代化を直接論じた講演録は良い)、漱石の小説と評論を通じて流れる問題意識は、近代化への苦悩という問題があり、夢十夜のほとんどのモチーフも近代化、近代的自我と関係しているといえるだろう(中高校以来読んでいなかったので、青空文庫で読み返してみた)。
ところが、映画の脚本と演出には、そのあたりの読み込みが不十分か、まったく欠如していた。かといって原作そのものは単なる娯楽作品として楽しめるものではないシュールさがあるわけで、娯楽に徹し切れるわけがないものから、全体的に非常に中途半端だったといえる。
しかしそれにしても、こんなものを書いた漱石はやっぱり頭がちょっとおかしいといえるだろう。というか、そもそも作家というのはどこかおかしいと思う。だってフィクションってのは「妄想」の世界だからね。私は高校時代に試してみたことがあるが、やっぱりフィクションって書けないんだよな。

ちなみに、台湾の観客の反応だが、第10夜で豚のハリボテがぴょんぴょんはねたりする場面にすごく受けていて、相変わらず子供っぽいなと思った(4分の1くらいは日本人もいたようだが)。ただ、エンドロールでは半分くらいが残ってしっかり見ていたのは「進歩」だったけど。


話は変わるが、近くの夜市で、菅野美穂、岡田准一主演で李方子の生涯を描いた長編ドラマ「虹を架ける王妃」DVD海賊版があったので、彼らの韓国語がどれほどのものかと思ってみた。内容はいろんな波乱があった李方子の一生をわずか2時間に押し込めるという無理な話だったので、非常に大急ぎでいまいちだった。あと併合後にも「両国」といったり、「両国人民」「神社に礼拝」などといっているのも、用語としては疑問だったが。
しかし、岡田准一の韓国語の台詞がけっこううまいのには、驚いた。菅野美穂と渡辺いっけいは発音はいまいちだったが(ただ、菅野美穂は方子役だから、いまいちなほうが良いのかも知れない)。
しかし菅野や渡辺程度でも、韓国や台湾のヘボ役者どもに比べたら、役者としてのプロ意識はそうとうのものだと思う。その点では日本人はさすがだ。
映画「無極」での真田広之の中国語の台詞も、発音はいまいちながら、台詞も多く、しかも感情表現を込めて演技していたし、かつてのNHKドラマ「大地の子」での上川隆也も最初のうちはともかく中盤以降の発音と台詞回しはほとんどネーティブに近かった。
これが、これが日本語ができない韓国や台湾の役者に日本語の台詞をやらせた場合と比較すると、韓国人の場合ははちゃめちゃになるし、台湾の場合は第一「長い」とかいって覚えようとしないのだから。もっとも台詞も演技のうちなんだから、俳優が「知らない言語だから覚えられない」なんていってちゃダメなんだが(>オイコラ、台湾の役者ども!)

本当は2003年にやった「流転の王妃」での常盤貴子と竹野内豊と天海祐希の中国語も評判がいいみたいで、是非見てみたいと思っているのだが(伊藤美咲は最初から期待していないしw)、残念ながら最近、海賊版売っていないんだよね。


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