むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

小坂子城(群馬県)

2021年03月15日 | 百名城以外の城
小坂子城こざかしじょう
別名小坂小要害城・西新井城
構造丘城
築城者五十嵐氏
築城年代不明
指定史跡
場所前橋市小坂子町  地図

小坂子城は、嶺城の支城として築かれました。
城主の五十嵐氏は弓の名人で、大阪の陣で大手柄を立てています。
舌状台地に細長い形状で、並郭式の丘城の中央に主郭を置き堀と土塁で守りを固めています。
北の堀切は逆乙字形、西には二重の堀が巡っていました。



案内看板

入口にある案内看板。


堀切

トンネルのように畑に続くこの道は、
左にある主郭の南に築かれた堀切です。


主郭

上の段に出ました。左手と中央奥に土塁が残っているのが見えます。


土塁

当時は主郭を囲むように土塁があったのですが、
現在はL字型に一部残っているのが見えます。



この地区周辺には九つもの城や砦が築かれました。


土塁

主郭北側の土塁が残っています。
この先小屋の奥には鍵の手に土塁が残っています。



西側の土塁は北側に比べるとだいぶ低くなってしまっているようです。
しかし、小屋のある辺りを侵入するのは、物取りと勘違いされかねないので
これ以上勝手に踏み込むことは宜しくないなと思い、これ以上の土塁の状況確認は断念しました。



主郭から東側には外堡(別郭)と思われる茂みが見えます。



主郭の南側には二条の堀があったことが記録されていますが、入口のトンネルのような通路が
一本目にの堀で、もう一本堀がこの方向にあったはずですが…みつかりませんでした。


小坂子八幡神社

城の南端となる小坂子八幡神社へやって来ました。
この辺りまでが城域となります。


地蔵尊会館

小坂子城入口の案内看板に地蔵尊会館に碑文があると記されていたので
地蔵尊会館へやって来ました。



向かって右が延命子育地蔵で、左が子育地蔵です。
木の陰には小坂子城の城主の碑文があります。


地蔵尊

ここにある地蔵尊は前橋城主ゆかりのもので、酒井氏九代目の四男忠温の妻の産後の肥立ちが悪く
亡くなってしまったことを悲しみ、だれでも気軽に参拝出来るようにと、
子供の病気にご利益がある、子育て地蔵が祀られました。
後に延命子育て地蔵も奉納されました。


五十嵐荘左衛門の碑

江戸時代、前橋城と関わりの深い小坂子城主、五十嵐氏の功績を称える碑文です。
五十嵐氏は弓の名人で前橋城の北条影秀に家臣として取り立てられ、
小坂子城の城主となったことが書いてあるようです。
また、この碑文を書いた人物は当時江戸で有名な儒学者、井上蘭台であるという。


以前から知っている道沿いなのに、意識していなかったのでここに城跡があったとは知らずに
通り過ぎていました。
山城だと、なんとなくあそこにありそうな…となって気になって検索するのですが
ここは視界に入ってもすぐに城址とは想像出来ませんでした。
それでもここに城址があると知れば行ってみようということで訪問しました。


令和3年2月7日登城


10038ヶ所の城が掲載⁉



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。