むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

山田城(群馬県)

2020年07月06日 | 百名城以外の城
山田城やまだじょう
別名古城
構造山城
築城者山田氏
築城年代不明
指定史跡町指定史跡
場所群馬県中之条町大字山田743 地図

山田城は、岩櫃城と尾根続きであることから、岩櫃城の鬼門に配された
重要な支城であったと思われます。
背後の山中にある高野平城とは別郭であるとの説もあり
関係性が気になるところですが、詳しいことは判明に至らず
古城と呼ばれる理由も明らかにはなっていません。



吾妻神社

山田城へ行く間に吾妻神社があります。
ここがひとつのポイント地点となるのですが、せっかくなので寄り道してみました。


山門

外から見ても立派な神門と社殿が見えます。
近年になってからの改修で、屋根の葺き替えや採色などされています。


拝殿

現在の社殿は1750年頃(宝暦年間)に造営されたもので、
以前は上妻神社と呼ばれていましたが、1880年(寛政12年)に
吾妻神社とあらためられました。


善福寺

吾妻神社と道を挟んでお隣に善福寺があります。
善福寺の創建は1342年(康永元年)とで、本尊は善光寺から持って来たと伝わります。
善光寺如来像が群馬県の指定重要文化財とされています。



吾妻神社を目印に看板の通りに交差点で曲がります。
ここから先はひたすらこの道を進むのみ。



しばらく登って行くと山田城址の案内看板が見えて来ました。
ここから左の舗装されていない道を進むのですが、これ以上は車で進入できないので
入口に駐車します。



道は手入れもされているので歩きやすいです。



道なりに進むとすぐに本丸に到着します。
道路からあっさりと来てしまいましたが、この高まりの上が本丸です。


本丸

登って見ると中央に標柱があります。
もうほとんど文字が読み取れないような状態です。


二の曲輪

本丸から二の曲輪方面を見下ろしているのですが、残念ながらその先は
手入れがされておらず、藪と化しているので段々に曲輪が延びているはずですが
今回は散策するのは断念します。


帯郭曲輪

本丸の南側の帯曲輪から堀切のある東側へ回り込んでみることにしました。


堀切

山田城にはふたつの堀切があると言われているひとつがこの堀切です。
本丸の東側を切っています。


三の曲輪

堀切を超えると三の曲輪があります。
東に向ってなだらかに三段と、北側にも段が付いています。


七の曲輪

本丸と三の曲輪の南側一帯が、山田城では一番広い曲輪となる
七の曲輪がありますが、こちらも藪になっているため水の手付近までとしましたが
藪とはいえ、先ほどの堀切から下を覗くと、かなり広いことがわかります。
ここが居住区であったと考えられているようです。


水の手曲輪

「池」と記され程の大きな水の手です。
あまり近くまで行くと足を取られるのではないかと思うほどです。
水がたっぷりあれば、それはそれで注意するのですが水溜りのようでいて周囲はぬかっています。




池と陸の境目がわからないので気をつけなくては。
底無し沼だったら…怖いですよ


堀切

池と繋がっているとみえて、池より北側に下流が見えて天然の要害となっています。


六の曲輪

土塁を登り、六の曲輪へやって来ました。
六の曲輪から北側を見ると、広く緩く段状に延びています。


五の曲輪

六の曲輪から南側に降ると、水の手を回り込むように五の曲輪へ。
先ほどの池の反対側になります。


四の曲輪

目の前の藪が四の曲輪です。
少し分け入ってみようと試みましたがここも断念。


全体的にあまり強そうに見えない構造にみえました。
本丸と言うよりは、水の手を守るように曲輪が囲んでいるかのようにも見えます。
生活はしやすそうで、あまり他では見掛けない面白い城跡でした。


令和2年5月30日登城

今回の参考本


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