むぎの城さんぽ

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植栗城(群馬県)

2020年06月29日 | 百名城以外の城
植栗城うえくりじょう
別名
構造崖端城
築城者植栗氏
築城年代寛政年間
指定史跡
場所群馬県東吾妻町大字植栗1355  地図

植栗安芸守の伯母婿である柳沢直安が、後の岩櫃城主となる
斎藤氏に襲われ、植栗城へ逃れて来ました。
その後、岩櫃城主大野氏が植栗氏を討とうと斎藤氏に命じたところ
斎藤氏は反旗を翻し、大野氏を滅ぼして岩櫃城主となりました。
以後、植栗氏は斎藤氏に従うこととなりました。




植栗城に隣接して植栗安芸守の墓とされる場所があります。


植栗安芸守碑

石碑は1698年に建立されたものです。


大手道

この先に堰堤を兼ねていたという水路を渡る土橋があります。


虎口

水堀の役割をしていたと思われる水路があります。



奥の一段高くなっている畑が主郭です。
右の角が姫の宮跡と呼ばれる場所で、
一段低い水田となっている場所が二の郭です。


二の郭

主郭と二の郭の間には堀が巡っていたのですが
御覧の通り、南側の堀は消滅しています。



主郭には城跡を示す標柱と看板があります。


案内看板

縄張図もあるので、照らし合わせながら散策します。


主郭

主郭は畑、主郭より低い帯郭は堀より水が引きやすいため
田んぼになっています。
田んぼに水が張られると水堀のようにも見えて来ます。


お堀の田浦

主郭西側に残る幅の広い堀は「お堀の田浦」と呼ばれる場所です。
城郭大系では周囲は野面積みの石垣で被覆されているとあるのですが
現在は石垣は見られません。


虎口

搦手の虎口です。
野面積みの石垣があったということから、畑にするのに邪魔になった石が
無造作に集められて放置さたのか、元々虎口に積まれた石なのか…。


搦手道

ここを下るのが搦手道です。



植栗氏は斎藤氏に従った後、岩櫃方として真田勢と戦うことことなりましたが、
その後真田に下り長篠の合戦では真田に属し、負傷しています。

農耕地になっているせいか整備もされているので
少し離れた所からも標柱と看板が見えるのでみつけやすいです。


令和2年5月30日登城

今回の参考本



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