むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

稲村城(千葉県)

2019年10月03日 07時05分37秒 | 百名城以外の城
稲村城いなむらじょう
別名
構造丘城
築城者里見義豊
築城年代室町時代
指定史跡国指定史跡
場所館山市稲 地図

初代里見氏は本城を、白浜城(南房総市)~稲村城(館山市)~滝田城・宮本城(南房総市)~久留里城(君津市)~佐貫城(富津市)~岡本城(南房総市)~館山城(館山市)と変遷しています。
最初の白浜城から千田城へ移り、さらにそこから稲村城の築城をしました。
義豊が義堯に攻め滅ぼされた「天文の内訌」の舞台となった城です。
この内乱によって大きく二分されることとなった稲村城は、この後廃城となりました。




まずはナビに従いここまで来たのですが…駐車場に困って周辺をうろうろ。
この奥の貴船神社まで行ってみるも駐車スペースはみつからず。
この後、線路沿いに走っていたら、行き止まり、困っているところに地元の方が
不審そうに思ったらしく、声を掛けて来たので稲村城へ行きたいのだと話すと、
行き方を教えてくれて、自分もこれから整備にいくところだと教えてくれました。


城山踏切
教えられたように踏切を渡ると、この踏切の名前が「城山踏切」とありました。


遠望

目指すは、横に長いあの山です!


案内看板

案内看板もありました。
車はここに置けそうです。
しかし、さらに先に進んでみようと思います。



台風の影響で建物が倒れています。
この奥にも稲村城の道しるべとなる看板が隠れていました。



地主さんに許可されていないので撮影していませんが、
この付近の民家脇に大きめな駐車スペースがあり、地元の方々が
稲村城の整備のために集まり始めました。
そこで一緒に車を行かせてもらうことになりました。
この時、駐車するのに使ってもいいよとおっしゃって下さったのですが
土地の所有者さまではなかったので、ここでは断りを入れれば
快く置かせて頂けることだけお伝えしておきます。



稲村というだけあって、東側は水田や城井といった水を表す土地柄であったようです。
「水往来」という看板を見ても水の通り道のような水路状の道が山に向って切られています。



この先には切通しがあります。
幻想来な見所です。



じゃ~ん
トンネルのような切通しです。



そして狭い切通しを抜けると、ぽっかり空いた空間。



段々になった中郭です。



そして、段々畑と言えば…そうです!みかんです。


中郭部

稲村城の郭は大きく主郭と中郭、段々になった細身の外郭で構成されています。



ここは何?
と登ってみると…

正木様

土塁を登ったところに社がありました。
里見氏重臣の正木通綱を祀った社と思われます。



倒木が道をふさいでいますが、こちらも整備されて
主郭から戻って来るころには撤去されていました。


堀切

通路としても使われている堀切。



尾根伝いに延びる登城路。


堀切

主郭を守備する南側の堀切です。
主郭南側は高い土塁と堀切で補強しています。



ここを登るといよいよ主郭です。
南西から登る登城路と合流します。


鳥居

浅間信仰の石祠の参道として、鳥居が構えられています。


虎口

主郭の虎口です。
枡形などの複雑な造りでないことからも、時代は遡り
古い形式であることが分かります。


主郭

案内看板がポツリと立ち、平らで広い郭です。



このあと、地元の方々が草刈りをしてくれました。
主郭では以前、発掘調査がされたのですがここからの生活痕は発見されず
日常生活は営むことはなく、別の場所で生活していたものと思われます。
しかし、居館に関してはいくつかの候補地はあるものの、確定までには至っていないとのこと。


土塁

高さ3mの土塁が東と南の二面にあります。



地域の生活の中で生み出された浅間信仰の石祠が、主郭の土塁上にあります。


眺望

ここからも海が見えます
整備されている方の中に、お城好きの方がいらして少し話をさせていただきました。
白浜城へも行ってみたらいいよと伺ったのでこの後行ってみました。
結果は残念ながら荒れていたのでこの日は登城ならずでした。


台風直後の混乱している最中での城址整備とは、驚きました。
運良くそれほど被害がなかったという方々が集まったようですが
ちなみに、この日は本来近くの神社のお祭りの日だったようですが
境内の倒木によりお祭りは中止になったとも話していました。
こうして整備してくださる地元の方々に対して、我々は感謝しながら見学に来ることが
恩返しになるのではと考えます。
せっかく綺麗にしてくれても、誰も見に来てくれないのでは残念に思うのではないでしょうか。
もちろん、これだけの遺構が見られるので見に来る価値も十分にあります。
まだまだ見逃して来た部分も多いのでまたの機会にもう少し見所を紹介したいなと思います。
作業されている中、受け入れて下さった地元の方々に心より感謝申し上げます。


令和元年9月15日登城


今回の参考本
図説 房総の城郭
千葉城郭研究会
国書刊行会
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