【明治天皇高山御小休所】めいじてんのうたかやまごこやすみどころ
【別名】深萱英次宅
【構造】御小休所
【年代】18880年(明治13年)
【指定史跡】ー
【場所】土岐市土岐津町高山 地図
行在所、御小休所などは、全国に377ヶ所ありましたが、国指定史跡に指定されたものの
「史跡の指定が新憲法の精神にそわない」と認められ、
1948年(昭和23年)6月29日に国指定史跡を解除されました。
指定解除後、建物は解体され、記念碑が残されています。
看板
この場所は、昭和11年11月2日から昭和23年6月29日の間、
明治天皇高山小休所として国の史跡に指定されていたところです。
明治天皇は、明治13年、中仙道を通り京都までの巡幸の際、
同年6月29日午後2時半頃、御小休所と定められた
ここ深萱英次宅に到着され、天皇は建物奥の庭に面した12畳の間に、
皇族・太政大臣・供奉員らは隣接した4室に入り小休されました。
明治天皇が陶器造りの実演をご覧になり、休憩されました。
この時、近郊から集まった住民たちが
街道をゆく約3千人もの従者の行列を圧倒されながら見送ったとされています。
令和2年6月27日訪問
【別名】深萱英次宅
【構造】御小休所
【年代】18880年(明治13年)
【指定史跡】ー
【場所】土岐市土岐津町高山 地図
行在所、御小休所などは、全国に377ヶ所ありましたが、国指定史跡に指定されたものの
「史跡の指定が新憲法の精神にそわない」と認められ、
1948年(昭和23年)6月29日に国指定史跡を解除されました。
指定解除後、建物は解体され、記念碑が残されています。
看板
この場所は、昭和11年11月2日から昭和23年6月29日の間、
明治天皇高山小休所として国の史跡に指定されていたところです。
明治天皇は、明治13年、中仙道を通り京都までの巡幸の際、
同年6月29日午後2時半頃、御小休所と定められた
ここ深萱英次宅に到着され、天皇は建物奥の庭に面した12畳の間に、
皇族・太政大臣・供奉員らは隣接した4室に入り小休されました。
明治天皇が陶器造りの実演をご覧になり、休憩されました。
この時、近郊から集まった住民たちが
街道をゆく約3千人もの従者の行列を圧倒されながら見送ったとされています。
令和2年6月27日訪問