むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

五十公野城(新潟城)

2019年05月20日 08時08分47秒 | 百名城以外の城
五十公野城いじみのじょう
別名
構造丘城
築城者五十公野氏
築城年代不明
指定史跡
場所新発田市五十公野 地図

五十公野氏は新発田氏の支族で、御館の乱では上杉景勝を勝利に導く働きをしたにもかかわらず
恩賞が薄く、理不尽な論功行賞に怒り景勝に敵対しました。
織田信長と結び新発田氏と共に景勝と争うことになり景勝軍の藤田信吉に取り囲まれ滅亡しました。


登城口

ここから登って行きます。
前回はここで引き返してしまったので、リベンジです!



昨年は時間の都合で登城口までの紹介しか出来ませんでしたが、
忙しいながらも本丸まで攻めに行って来ました!



別れ道にさしかかりました。
こちらは正面(左側)の道です。
道が広く整備されているのでこちらが正解か?
でも、奥の方は草木が生い茂っているようにも見えます。どっちにしようかな…。



こちらが右側へ行く道です。
さて、どちらへ進もうか…道は細いがこっちの方が本丸に近い気がします!
私はこっち!
主人は真直ぐと二手に分かれて進んでみることに。



前回は真夏だったので草木が生い茂り虫も多かったので登城する
気力もなかったのですが、今回は今のうちならと虫を振り払いながら進んで行きました。



頂点?と思いきや、そこから道は下っています。
そして、ここで主人と合流しました。
どうやら道は繋がっているようですが、主人の進んだ道はあまり人が通った気配は
無かったそうです。(蜘蛛の巣の様子や足跡から)


堀切

下りきったところに堀切がありました。
浅いものではありますが堀切った感じははっきり見てとれました。
草木でとてもわかりずらいのですが先ほどの堀切と、ここは二重堀切になっている場所です。
手前と奥に堀切が二つあるのがわかるかな?



二重堀の二つ目の堀切に居ます。
ここからまた登りになります。



平場に出ましたが、小道になっているところ以外は草で平なのがよくわかりません。
L字になった東の主郭部分で居住区になっていたものと思われます。


主郭虎口

切った木が置いてある右側は堀切になっています。
その先は土塁があり西の主郭になっています。


主郭

主郭に出ました。
平場になっていて周囲には主郭を囲むように低い土塁が巡っているのが確認出来ます。


城址碑

昭和57年に設置された城址碑。


城址碑裏

城址碑の裏には説明文の他に発起人や協賛が刻まれています。


虎口
ここを虎口と言っていいのかわかりませんが、ここからスベリ台のような角度で
道が下っています。



写真だとわかりずらいのですがかなりな角度の急勾配です。
こちらから登れば主郭には近いのですが、この急な坂を登るとなると
かなり体力が奪われそうです。
こっちから攻めなくて良かった^_^;



中学校の裏に着地しました。
かつて尾根上に広い郭と堀切に区切られた郭が120mほど延びていたそうですが
この中学校の建設にともない削平されて失われたそうです。



そしてこの辺りには屋敷があったと思われます。



一周して来ました。


かつてはもっと大きい規模の城郭だったのでしょうが、近年になって中学校の建設や林道整備のために
かなり削り取られたようです。
昨年夏に訪れた時も一見山城は時間を要すると判断して先を急いだものですが
こんなにこじんまりしてると思ってませんでした。
攻城団での所要時間を見てもあまり時間を要していないのでそんなに簡単に登れてしまうのか?
と思ったのですが、確かに主郭までの所要時間は短く、
道も悪くないので初級コースです。(夏場は藪)
春秋に行くのであればもう少し遺構が見やすいのかなと思います。


平成30年7月21日登城
令和元年5月12日登城


甲信越の名城を歩く 新潟編
福原 圭一,水澤 幸一
吉川弘文館
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