むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

村松城(新潟県)

2019年07月02日 06時31分12秒 | 百名城以外の城
村松城むらまつじょう
別名村松陣屋・松城
構造平城
築城者堀直吉
築城年代1644年(正保元年)
指定史跡
場所五泉市村松 地図

村松城址公園として整備されている村松城は、かつて堀直竒の二男直時が3万石を分けられ、
安田に陣屋を築いた後、直時の嫡男直吉がこの地に移転させ陣屋を築きました。
1850年(嘉永3年)に城主格に昇格したことで陣屋から
現在の城の形へと大改修しました。
戊辰戦争では新政府軍に火を掛けられ廃城となりました。



村松郷土資料館
村松郷土資料館の駐車場に車を置いて公園内を散策開始!




本丸と南曲輪の間の堀は駐車場から村松郷土資料館へ行く途中で見ることが出来ます。


手洗鉢
村松郷土資料館入口前にあるこの手洗鉢は、江戸時代に村松藩の藩主が将軍家菩提寺である
上野の寛永寺に寄進したものを平成11年に寛永寺の厚意により寄贈され移設したもので、
村松城の外堀に使用されていた大沢石を使用しています。


本丸
公園化している村松城は、縄張り内を道路が斜めに横断していて残念なことになってますが
形としては城跡の縄張りの様子は確認することが出来ます。


土塁
本丸の南側を見ると、本丸が土塁で囲まれていたことが分かります。
その土塁の向こうは先ほど見た本丸と南曲輪の間の堀です。



左手道路側の公園入口付近には、電車とあずまやがあります。


蒲原鉄道の車両

加茂駅から中蒲原郡村松町を経由して五泉駅までを結んでいた鉄道路線で、
大正11年に蒲原鉄道を設立、翌年村松から五泉間を開業し、
平成11年に全線廃止となりました。


枡形虎口

本丸内側から見た枡形虎口です。
見所はやっぱりこの枡形虎口でしょうか。


枡形
土塁上には塀があり、枡形の門を構えていました。
石垣造りではないのでちょっとわかりずらいと思うのですが
土塁はL字になっているのがはっきり分かります。


案内看板
城址公園の説明が記されている案内看板です。



この土塁の上に枡形門が築かれていました。


石碑

歌碑のようです。


搦手口

こちらが搦手口とされる外堀を渡る橋から枡形門までの内堀の様子です。



公園化した時の改修がどこまでなのか…遺構はどの程度残っているのか
見ただけではよくわかりません。



城跡というよりは、館の色が濃く館跡として見た方がしっくりくるかも。


内堀

北東に残る堀。
この堀は縄張図にも載っている堀なので遺構と呼べる場所です。



散策には行っていないのですが、正面奥の方は南曲輪が広がっています。


じょうせきばし

外堀の役割も兼ねている滝谷川を渡る橋。

村松藩は新潟を占領した新政府軍の追撃を恐れ、藩主を米沢に逃がすことにしました。
新政府軍が近くまで迫ると、城下に火を放って津川口から米沢に逃げたのです。
しかし、会津藩に合流した後、城下で戦闘中に捕らえられ、打ち首となりました。
村松藩は幕府側の大藩である会津藩と領地が接していることもあり激戦地だったのですね。
北越戊辰戦争も激しかったことが、こうして城さんぽをすることで学ぶこととなり
こんなにも多くの城跡が戦乱に巻き込まれていたことに驚くばかりです。

また、赤坂古戦場跡にも北越戊辰戦争の爪跡が残ります。


令和元年5月12日登城



維新の墓標 昔々 北越戊辰戦争で
渡辺れい
新潟日報事業社
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