むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

霞ヶ城(長野県)

2020年10月06日 | 百名城以外の城
霞ヶ城かすみがじょう
別名手塚城・霞城手・塚屋敷・山王台
構造丘城
築城者手塚光盛
築城年代1177年〜1181年(治承年間)
指定史跡
場所長野県諏訪郡下諏訪町上久保 地図

霞ヶ城は、木曽義仲の家臣だった手塚太郎光盛の居館と伝わります。
俱利伽羅峠の合戦に参戦ししており、その後の加賀篠原の戦いでは斎藤実盛と一騎打ちとなり
見事に討ち取りました。
しかし、斎藤実盛は幼少の義仲(駒王丸)の命の恩人斉藤別当実盛であり、
義仲が号泣したという戦乱の世の悲劇としても知られています。
現在霞ヶ城跡は諏訪大社の駐車場となり、現地には案内看板と金刺盛澄の騎馬像があります。



諏訪大社下社秋宮案内図

諏訪大社下社秋宮を目指してやって来ました。
この図の中には霞ヶ城はありません。


神楽殿

天保6年に落成した御神前に神楽を奉納するための建物で、
国の重要文化財に指定されています。
正面の重量約1トンある大注連縄は、御柱祭毎に新しく奉納されます。
まずは諏訪大社にお参りしてから、隣の霞ヶ城へ。


駐車場

駐車場は、秋宮側(山王台)には八幡山裏と、霞ヶ城本丸にあたる場所が駐車場になっています。
八幡山裏から朱色の橋を渡った先が霞ヶ城本丸です。


長生橋

秋宮側の山王台と霞ヶ城本丸を結ぶ橋です。


堀切

橋の上から下の道路を見下ろすと、すぐにピンと来ました。
これは山王台と霞ヶ城との間の堀切の名残であろうと。


案内看板

橋を渡りきると、霞ヶ城側に案内看板があります。



この看板だけが頼り。
城郭大系にも載ってないし、
宮坂本6巻に掲載されているようですが、6巻だけ入手出来ていない
クリスマスプレゼントに期待するか…



ここには2017年までホテル山王閣が建っていましたが、ホテルは閉鎖となり、解体されました。
現在は、諏訪大社の駐車場となっているのでダイレクトに本丸まで来られます。


騎馬像

金刺盛澄の騎馬像です。
金刺盛澄は霞ヶ城主手塚光盛の兄で、城南寺流鏑馬で弓馬の達人として知られています。



ホテルの建物は解体され、諏訪湖が一望できる駐車場へと変化しています。


子供のころから何度も訪れている諏訪大社下社ですが、城跡があったとは攻城団で登録されるまで
まったく気付きませんでした。
知らなかっただけに、資料も手元に無く詳しい事は分からないまま、現地の案内看板だけが頼りとなりました。
確かに現地に行って立地や地形を見ると、何かがあっても不思議ないなと思います。
諏訪湖と諏訪大社と神聖なる場所であり、何と言っても眺めが良い!
今後訪れる時はこちらの駐車場を利用しようと思います。



令和2年10月3日登城