むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

福島正則館(長野県)

2019年09月09日 05時23分48秒 | 陣屋・館
福島正則館ふくしままさのりやかた
別名福島正則屋敷・福島城
構造居館
築城者福島正則
築城年代1619年(元和5年)
指定史跡県指定史跡
場所上高井郡高山村高井 地図

関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元が広島城を福島正則に明け渡し萩城へ移ったのですが、
台風被害で崩れた広島城の石垣など修復した際、幕府に無断で石垣を改築したと武家諸法度の法に触れ、
1619年(元和5年)改易となりました。
その後、信州高井郡2万石と越後魚沼2万5千石の合計4万5千石を与えられ、高井野の地に住居を定めました。
しかしここでの生活は短く、わずか5年でこの世を去ることになります。64歳、病死でした。
信濃に来た正則は、検地や治水、新田開発と民政に尽くしたと伝わります。



火の見櫓と標柱

県道沿いに見える火の見櫓。
その脇に見える標柱には「福島正則屋敷跡」とあります。
その下には立派な石垣もあります。


石垣
古そうな石垣、これは屋敷の石垣だとすぐに分かりました。
間知ブロックと違ってひとつひとつの石の形、大きさが違うのがそそられます。




県道から石垣に沿って西側の道を入って来ると高井寺の入口に来ました。
石垣はまだ南へ続いていますが、とりあえずお寺の正面からお邪魔しようと思います。


案内看板

門の手前右側には「福島正則屋敷跡」の案内看板があります。
広島城を改易になった話は有名なので知っていたのですが、
恥ずかしながら、その後長野に来ていたことを知らずにここへ来てしまいました。^^;




朱色の屋根が印象的です。
福島正則が居館としていた期間の前後は高井野陣屋が置かれていました。
陣屋が廃された後に、この地へ高井寺が移って来ました。


本堂

現在屋敷跡には、どのような経緯があったのかはわかりませんが
1785年(天明5年)に移転してきた高井寺が建っています。
北の道路側にあった空堀はこの移転して来た頃埋められたと思われます。
こちらのお寺にはいつ誰が描いたのか分かりませんが福島正則肖像画と、
「義助」と銘の入った槍先、仏舎や掛軸などの貴重な資料が残されているようです。


寺紋
浄土真宗本願寺派の寺紋のようです。
西本願寺の宗派だそうです。


境内

この写真の左奥(筆塚の裏)に車が置けます。
道路は狭いので車はこちらに置かせていただくのが良いと思われます。



正則没後は、幕府役人の検死を受ける前に荼毘に付したことを問われ、
御家断絶、所領没収となりました。


筆塚

地元文人らの筆塚と記念碑があります。
筆塚は、寺子屋などで文字を習ったりして使い古した筆を
供養するための塚だそうです。



この南面と西面の石垣は1855年(安政2年)に築いたことが
記録されていて、古城跡はこの石垣を築く時の改修によって失われたことも記されています。



左の住宅地はかつて馬場があった場所です。


城之内御判屋(高札場)
館跡の周囲を散策していると、城之内の南側に高札場がありました。
この建物は昭和59年に復元されたものです。
長野県内では最大級のものとされています。



現存する高札7枚は、高山村歴史民俗資料館に保管されています。


本堂裏に残る土塁を見逃して来たようです。
周囲を一周してみたのですが、道から入った場所にある場合いは
見逃してしまいます。
先に情報が頭に入っていないと残念なことになっちゃいますので
この後訪れる方、本堂裏の祠のある土塁を見て来て下さいネ


令和元年8月11日訪問


こちらの本を参考にしています
縄張図・断面図・鳥瞰図で見る信濃の山城と館〈8〉水内・高井・補遺編
宮坂 武男
戎光祥出版
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