むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

遠照寺(長野県)

2019年09月07日 14時57分06秒 | その他史跡
遠照寺おんしょうじ
別名
構造寺院
造営者最澄
造営年代821年(弘仁11年)
指定史跡市指定史跡
場所伊那市高遠町山室2010 地図

遠照寺は、桜の名所で有名な伊那市高遠のはずれの山間にあります。
1200年ほど前に薬師寺が建立されたことが始まりと云われています。
昭和58年に亡くなられた住職を弔うために植えられた3本の牡丹苗が増え、
今では「牡丹の寺」としても大変有名です。
江戸時代の大奥で起きた絵島生島事件で高遠に流刑された絵島の分骨墓があります。


駐車場

駐車場に車を置きます。
ずいぶん久しぶりにやって来ました。


山門

山門をくぐると、両脇には檜の大木があります。
これはなかなか立派なもので、国内産だし、売買するとなると相当高値がつくだろうなあ…なんて
煩悩全開で散策開始


梵鐘

境内入口付近にある梵鐘。


本堂

まず目に飛び込んで来たのは「井伊の家紋!」なぜ???でした。
しかし、これはお寺では家紋とは言わず寺紋というもので井伊家の家紋ではありませんでした。



小学生の頃にこちらに夏休みの宿題?だったか
友達数名で住職に取材をさせていただいたことがあります。
その時に見た小堀遠州の流れを汲む「亀島庭園」や、織田軍が高遠城攻めの際持ってきたという「陣太鼓」、
姫が載ったという駕籠があったのを思い出します。
現在これらは拝観申し込み所で申し込んでから拝観出来るようになっているようです。


南無庵

こちらでは拝観の申し込みや、十割そばを食べることが出来ます。



看板猫?がお出迎え。


日蓮宗の寺紋

先に口走った「井伊家の家紋!」は日蓮宗の寺紋です。
日蓮上人の家紋がこの井桁に橘という井伊家の家紋にそっくりなものですが
そもそも日蓮上人は井伊家から分かれた家系なんだそうです。



改修してまだ数年しか経っていない感じですね。
昭和の改修では私の祖父が改修を行ったと子供の頃から聞いています。
そこから?十年…改修されてたんですね。
そして、いろいろ話をして下さった住職が亡くなってぼたん寺となっていたんですね。
時が流れるのが早いと感じてしまうのは年を重ねた証拠ですね。


釈迦堂

入母屋造りの釈迦堂は1538年(天文7年)の建立で、
中には1502年(文亀2年)の建立の多宝塔が安置されています。
大工は高遠の鉾持に住む池上左衛門太夫政清とその一族であることが
塔内部に墨書で記されていることで判明しています。

実は、ここより上にある七面堂にある天井絵や欄間を見に来たはずが見つけられず、
この後「記憶違いか?」と別のお寺に行ってしまいました。
次はちゃんと見せてもらうように申し込みしてみよう。


薬師堂

1473年(文明5年)日朝聖人によって天台宗から日蓮宗に改宗され妙朝山遠照寺となりました。


眼病御守護の日朝様

日朝聖人は日蓮聖人の再来と崇められ、眼病御守護の日朝様として崇拝され、
「山室の日朝様」と近郷広く仰がれた名僧です。


絵島様分骨の墓

薬師堂の隣にある絵島様分骨の墓です。
高遠に流された絵島は、最初の6年間を長谷村の非持にある囲み屋敷で過ごしました。
漢字の書を借りたことが縁となり、遠照寺へ参拝するようになりました。
遠照寺では藩の許可を得て「絵島の間」なる一室を設けて絵島を迎え入れました。
こうして、絵島にとって上人の説法を聞いたり、上人と碁を打つことが唯一の楽しみとして過ごしていました。
そんな縁もあり、この墓には絵島の歯と髪の毛が納められています。
ずっと囲み屋敷に閉じ込められていたのかと思っていたら、
出掛けられることがあったんですね。



お寺で手打ちの十割そばが食べられるのですが、以前食べたのは
20年近く前のことだったでしょうか。
冷たい麺類が苦手な私が、ここで食べた蕎麦が美味しいと思い、
それ以、来冷たい蕎麦も食べられるようになりました。
その時に蕎麦湯もいただいたのですがここで頂いた時の蕎麦湯が
今でも忘れられず、ここの蕎麦湯を超えられるものにまだ出会っていません。
今もここで蕎麦が食べられることが確認出来たので、次は家族を連れて食べに来たいです。



令和元年8月15日訪問



高遠藩 (シリーズ藩物語)
長谷川 正次
現代書館
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