むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

城の内館(茨城県)

2018年08月22日 | 陣屋・館
城の内館 しろのうちやかた
別名結城朝光館
構造平城
築城者結城朝光
築城年代鎌倉初期
指定史跡
場所結城市結城8718 地図

鎌倉時代の初めに、結城氏初代の結城朝光によってつくられ、
室町時代に新たに結城城が築かれるまでこの館は機能していました。
館跡は長方形に区画され、周囲を堀で巡らせて土塁で囲っていたことから
「堀の内」、「城の内」と呼ばれるようになりました。


館跡

道路からも見える広場は結城氏の居館跡です。


結城百選

居館入口には案内看板とともに結城百選という石柱があります。


散策路

城内は半周出来る散策路が付いています。



土塁と並行して内側を散策出来る軽自動車1台分ほどの道があります。


土塁

城内から見た土塁です。
このような高さの土塁が巡っています。



なにやら建物が見えて来ました。


栗橋圓翁土碑

栗橋家と言えば、ここから利根川に向って進むと江戸時代に整備された五街道の一つ、
日光道中に利根川を渡る房川渡が設けられそこには栗橋宿があり、栗橋関所が設置されました。
関所の警衛にあたる番士が幕府から任命され、関所の近所に定住したと伝えられています。
距離から考えるとこの栗橋家に関係のある人なのかと想像します。


立木地蔵尊

先程見えていた建物はこの立木地蔵尊でした。
栗橋家所有の地蔵尊でちゃんとした入口は別にありました。

この立木地蔵尊には昔からの民話が伝わります。
その民話とは…
この地を支配していた栗橋氏が、
城内のひときわ目立った御神木のような大木を、必要があって切ることを命じました。
斧を振り下ろすと木の切り口から血が流れ、その大木は生き怨みを言っているようであったという。
神のたたりがあるのではないかと恐れて、その木を切ることを中止しました。
この不思議な話は近隣の人々の耳にも伝わりました。
その後、栗橋氏は大木の霊をなぐさめるため、立木の地蔵をつくりました。

その地蔵は今もお堂の中に静かに祀られているという。。。。


手水






法華一字一石書写供養塔

一字一石というと、経典を小石に一字ずつ書写したものです。
その石を埋めて供養塔を立てたものらしいです。
この供養塔の下には法華経が書かれた小石が埋まっているのでしょうか。



そして立木地蔵尊からもとの道に戻り、先へ進んでみようと思います。



この道は半周したところで居館の広場に出ます。
草がない時期であればそのまま最初の入口まで横断して戻ることが出来ます。
草むらの中を横断するのはちょっとためらわれたので、引き返して戻りました。


外側の道

土塁に沿って付けられている城館外側の道はかつて堀だったのでしょうか。。。
この先に立木地蔵尊の本来の入口があります。


立木地蔵尊入口の門

こちらから直接立木地蔵尊へ行くことが出来ますがここへ行くための駐車場はありません。


土塁

城館外側からの方が土塁はわかりやすく、見やすいです。
ちなみに堀は発掘調査によって断面がV字型になる薬研堀だったことが判明しました。


城内の散策路はちょっと幻想的な感じがして、暑い中でも避暑地を散策している気分でした。
しかし、立木地蔵尊の民話を調べているうちに夏に語るに相応しいちょっと怖い話だなあと…。
知ってから行っていたら散策路も幻想的なんて言っていられなかったことでしょう。
それどころか、怖くて先に進めないとか、立木地蔵尊に近付くのも躊躇われたんじゃないかと思う。
しかも、独りで散策に行ったので思い出したら怖いです^^;
ちなみに私の書いた民話は短く、やさしく書いてます。
ただ、それを言っていたら戦国時代のどこ行ったって血が流れてますからね


平成30年8月5日登城


栃木の民話 第1集 (日本の民話 新版 32)
日向野 徳久
未来社