mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

オーストリアの歴史

2009年08月20日 | 旅行記

 前回は、オーストリアのドナウ川、ヴァッハウ渓谷についてお伝えしました。

 今日は、そのオーストリアの歴史に深く関係するハプスブルク家についてお伝えします。

 オーストリアは、紀元前よりイリュア人やケルト人による鉄器文明が栄えていたそうです。

 しかし、その後、この鉄器文明と岩塩という貴重な資源を求めて、ローマが長い間、支配したとされています。

 その間、ドナウ川を利用した交易の拡大、キリスト教の布教などがあったのですが、最初のローマの支配は、ベーベンベルク家のレオポルド1世という方に命じて統治する、という形だったようです。

 ところが、1240年代のベーベンベルク家のお家断絶により、スイス、ハプスブルク家のルドルフ(1世)という方がローマからオーストリアの統治を任されたそうです。

 ここから、ハプスブルク家が640年間に渡ってオーストリアを支配することになったのです。

 ルドルフ1世は、その支配領域を拡大するにあたり、「婚姻」という政策を採ったそうで、これが後のハプスブル家の家訓みたいなものになったそうです。

 戦争をするより、婚姻関係を結んで平和に領土を拡大できるのであれば、こんな良いことはないと思います。

 それは、人の命や戦費などを考えると、民にとってばかりではなく、支配者(ハプスブルク家)にとっても非常に優れた政策だと思います。

 戦争というのは、皆さん、ご承知のように、資源を求めて、他国の領土を力ずくで手に入れようとするものです。

 そこには、欧米独特の「弱肉強食」という根本思想が横たわっているような気がしてなりませんが、ハプスブルク家の基本思想はそれを否定しているのですから面白いものです。

 もちろん、どのような手段であれ、他国の領土を奪ってしまうことを肯定するつもりはありませんが、16世紀にスペインやハンガリーを領土にした時は、「婚姻」という手法を使ったようです。

 しかし、ヨーロッパは、地続きですから「そんな悠長」なことを言っていられない時もあったはずです。

 現に、17世紀にオスマントルコ軍などと戦っています。

 ところで、現代のように大量破壊兵器が発達し、また、日本の特攻隊のような自爆テロやゲリラ戦などの手法を見ていますと、キリスト教とイスラム教という宗教の戦いのような感じがして、根本的な紛争解決は難しい!と思います。

 紛争解決に「どのような手段があるのか?」想像もつきませんが、ハプスブルク家の婚姻政策ような平和的な手段はないものでしょうか?

 「あれば、とっくに世界が平和になっいる!」と言われそうですね。

 今日は、話がとんでもない方向に流れてしまいました。